第22話 ゲベル

 配下の男、ゲベルはミケを殺すつもりで戦っていた。当然、彼の仲間である魔族も同じように戦っている。いや、戦うつもりでいた。


 突撃してきたミケに対してゲベルは拳を振るう。が、猫人の少女は高々と跳躍して彼の頭上を飛び越える。


 背後からの攻撃を恐れてゲベルはミケの方を向いて、飛び込んできた光景に瞠目した。


「バカな……」


 彼の仲間達、五人の魔族の首がなくなっていた。魔族には様々な種族がいるが、彼の仲間には戦いの最中に首がなくなるような魔族はいない。


 首の断面から青い血を噴き出しながら、仲間達が倒れる。その背後には、猫人の少女が立っていた。


 直後、彼の体を一本の光が貫いた。振り返って確かめるよりも先に、彼は自身の切り札を使う事を躊躇わなかった。


 ミケがゲベルと呼ばれた魔族を斬りつける。一瞬で魔族五人の首を切り落とした短剣から伝わってくる手応えは、しかし肉を切り裂くものではなかった。


 代わりに伝わってきたのは、硬い金属の手応えと金属音。短剣が弾き返されて、ミケは思わず飛び退いた。


「まさか、奥の手をこんな早くに使う事になるとはな」


 そういうとゲベルは、上着を脱ぎ捨てる。その下に現れたのは、青い皮膚……ではなく、鈍色の光沢を放つ金属の肉体だった。


「俺の種族は金属を喰らう一族でな。そして、こうして体を金属に変えることも出来るのだ」


 金属の肉体はあっという間に彼の全身へと広がっていき、やがて頭の天辺から爪先まで金属の光沢を放つようになった。


 そんな彼を見て随分とおしゃべりな敵だとミケは思う。だがそれは口にしない。口にしていられる余裕がない。ミケもリュカと同様、相手の大凡の力量は直感で理解している。まともに戦えば、ルリの援護があっても勝つのは決して容易くない相手だ。


 ゲベルの背中に、光の矢が突き刺さる。しかしそれは、皮膚に傷一つ負わせることなくあっさりと霧散してしまった。


「いかに天使といえど、この俺の鋼を超える肉体を傷つける事など不可能だ」


 ミケは武器に霊素を注ぎ込み強化する。光を帯びた武器を見て、ゲベルは、ほぅ、と感嘆の声を漏らす。


「魔力付与か。それも高位魔術師と同等の力を感じる……いいだろう」


 ゲベルはルリに一瞥もくれずに、背を向けたままミケに向き直る。


「来るがいい」


 その言葉を合図に、ミケの姿が再び消える。


 一瞬で背後に回り込んだミケの短剣が、ゲベルの首筋に突き立てられる。が、それは金属の肉体に対して傷一つ付けることが出来ずに終わってしまう。


 かすり傷くらいは付けられるものと考えていたミケは、この想定外の結末に僅かに判断が遅れ、けれども何とかゲベルの体を蹴って後ろに跳ぶ。


「あっ!」


 思わず声を上げた。ゲベルの拳が、ミケの短剣を掴んだのだ。


 だが次の瞬間には、男は短剣から手を離す。ミケは着地すると、短剣の状態を改めて、愕然とした。


 短剣の刃、おそらく掴まれたであろう部分が消失していた。握り潰された感覚はない。ならばコレは一体どういうことなのか。


 いや、それだけではなかった。もう片方の短剣もまた、刃がボロボロの状態になっていた。確かに硬い金属を斬りつけた感覚はあったが、このような状態になるまで斬りつけた感覚も覚えもなかった。


「言っただろう? 俺の種族は金属を喰らうと。俺に触れた金属は、その全てが捕食対象だ」

「……ああ、そういうことかい」


 ミケは使い物にならなくなった短剣をしまった。


「諦めたか?」

「ああ、諦めたね。この手だけは、出来れば使いたくなかったんだけど」


 そう言って、ミケは胸を叩く。


「起きな。食事の時間だよ」


 次の瞬間、ゲベルの背筋に悪寒が走った。


 彼は魔族の中では七魔将の副官に任命されるほどの力を持っている。それほどの力を持っていながらも、本能が警鐘を鳴らしている。


 彼は迷わずミケに向かって突撃した。アレを放置してはマズイ。放っておけば、具体的にはよく分からないが、大変な事になる。


 ミケの顔面目掛けて、魔族の拳が放たれる。


 その結果に、魔族は瞠目した。


 一瞬の間に、彼とミケの間に黒い壁が出来上がっていたのだ。


「なん……だとぉ!?」


 その壁の表面は波打ち揺らめき動いている。その壁が黒い水の壁だと理解するには、ほんの少しの時間が必要だった。


 それより先に、頭の中で一際強く鳴り響いた警鐘に、彼はその場から飛び退き……自身の右腕を見て愕然とした。


 ミケの攻撃を、ルリの一撃を物ともしなかった鋼を超える金属の肉体。頭の天辺から爪先まで一分の隙もなく金属に変えられている以上、その中には当然ながら腕も含まれている。


 その右腕が、肘のところまで消失していた。


 原因は考えるまでもない。あの黒い水に触れた部分が、消失したのだ。


 彼はミケを改めて見たとき、その姿にゾッとした。


 彼女の胸の中心から、止めどなく黒い水が溢れていたのだ。それは地面にこぼれ落ち、広がり、徐々に彼の方へと迫ってくる。


 色濃い死の気配をその水から感じた瞬間、彼はその場から逃げ出したくなった。


 ジリジリと後ろに下がる彼を追うように、黒い水もまたジリジリとこちらに進んでくる。見れば黒い水は周囲に広がることなく、一直線にこちらに進んでいる。何らかの意思を持っているのは、明白だった。


 マズイ。これはマズイ。なにかわからないが、とにかく危険だ。


 だが逃げることは許されない。まだ、隊長が戦っているのだから。そう思い視線を向けたゲベルの目に飛び込んできたのは、今まさに大斧で真っ二つにされたばかりの隊長の姿だった。


「クソッ!」


 背を向けて逃げ出すゲベルの後から、水がまるで蛇のように鎌首をもたげて襲いかかった。




 ルリは、無意識のうちにへたり込んでいた。


 おぞましい気配が、ミケから溢れている。これが、以前ミケが言っていた邪神の眷属なのだろう。


 邪神の眷属は、金属の塊であるゲベルの背中から襲いかかり、瞬く間に彼を飲み込んでしまった。必死にもがいて逃げ出そうとするゲベルだったが、その姿が悲鳴と共に小さくなっていく。


「ミケ、眷属を使ったんだ」


 戦いが終わったリュカが、ミケに声をかける。


「相性が最悪だったからね。短剣も食われたし、倒すにはこうするしかなかった」


 身体中から黒い水を溢れさせていたミケだったが、その勢いがピタリと止まる。


「ああ、食い終わったみたいだね」


 その直後、水がまるで時間を巻き戻しているかのようにミケの体へと吸い込まれていく。


 僅か数秒で黒い水は跡形もなく消え去り、ゲベルどころか他の魔族の姿も消え去っていた。


 と、同時にミケがその場にへたり込んだ。肩で荒く息をして、胸を押さえている。


「……大丈夫か?」


 リュカは知っている。眷属の解放は、ミケの体に負担をかける。これだけの量を放出したのなら、二日か三日は安静にしていないといけない。そうでなければ、封印が解けて邪神の眷属がこの世界に解き放たれることになる。


「……末端しか解放してないのに、本体がアタシの中から出ようとしてる。こりゃ、ちょっと安静にしてないと駄目だね。使う度に思うんだけど、二度と使いたくないねこれは」


 そう言うとミケは、古城に視線を向ける。


「幸い、ここならちゃんと休めそうだから、暫くはここで休もうか」

「そうだな」


 リュカが賛成して頷いた、その直後だった。


 リュカ達の前、中庭のど真ん中に荘厳な門が出現したのだ。


「これは……!」


 ルリの言葉に全員が身構えようとした時、門から放たれた光がリュカ達を薙ぎ払った。

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