第18話 守護者

 三日後、充分準備を整えたリュカ達は湖を経った。


 そこから十日かけて三人は森の中を進む。道中幾度となく瘴獣達が行く手を阻んできたが、リュカ達はその全てを打ち倒して先を進んだ。


「なぁ、ミケ」

「どうしたんだい?」


 襲いかかってきた最後の瘴獣を倒し、瘴霊石を回収しながらリュカが尋ねる。


「四層の瘴獣ってこんなに弱いのか?」


 リュカの言っていることは、ミケも疑問に思っていた。


 四層に入ってから、幾度となく襲撃があった。そのどれもがリュカの言うような弱い瘴獣などはいなかったのだが、逆に自分達が苦戦を強いられるような相手もいなかった。


 瘴獣を狩って瘴霊石を取り込み、力を付けていた知恵持つ獣である鉄毛熊に比べると、四層の瘴獣達といえど些か以上に劣るのは理解できる。紅玉狼に至っては比べるだけ失礼だ。だがしかし……


「二層の入り口であったアイツの方が、よっぽど強いよ」


 そう。二層の入り口で戦った、混合型の瘴獣。その瘴獣がやって来たはずの四層の瘴獣は、あの混合型の瘴獣よりもずっと弱かった。むしろ三層の瘴獣と大して変わらない強さだ。


「……こりゃあ、なんかあるかもしれないね。それに」


 ミケは周囲を見回す。相変わらず変異した植物達が多いのだが、一つ気になる所があった。


「深層って言うわりには瘴気が薄い気がする。いや、聞いた話よりずっと薄い」

「え? これで薄いんですか?」


 気分が悪そうに告げたのはルリだ。四層に入ってから漂う瘴気が辛い様子だった。


「アタシが大人たちから聞いた話じゃ、四層の瘴気は濃霧のような密度で視界がすごく悪いって話だよ」


 現在、リュカ達の視界には本当にうっすらとだが、瘴気が漂っている。視界は悪いが、聞いた話とは大違いだ。ミケは大人たちが話を盛った可能性というのも考えたが、色んな大人たちから話を聞いても同じような話だったので、おかしいのは現在の状況なのだろう。


 更に森の中を進むリュカ達は、かなりの頻度で瘴獣が襲いかかってくる以外は大した障害もなく順調に進み、ついには森の中枢へと辿り着いてしまった。


 リュカ達は中枢に踏み込む前に、巨大樹木に登って隠れながら様子を窺う。


 森の中枢は、巨大な瘴気の沼だった。広大な沼地の地面には瘴気が淀んでいる。


 沼地の中心には大きな紫色の水晶が鎮座していた。


「あれが……」

「大瘴霊石、だね。もしかしたら誰かが砕いた後かもしれないと思ってたけど、ちゃんとあるんだね」


 その周囲には、瘴獣が一体だけ。


「……大きい」


 ルリがぽつりと呟く。瘴霊石ではなく、瘴獣に対して。


「あれが守護者だよ。大瘴霊石を守ってる、恐らく森の中で一番手強い瘴獣だ。……リュカ、左腕はどうだい?」


 リュカの左腕は元通りに戻っていた。だが、それは表面上だけで、実際にはどこまで動かせるのかは本人にしかわからない。


 何度か左手を動かし、拳を握っては開いてを繰り返してからリュカは答える。


「……動かす分には問題ないけれど、あんまり力が入らないから戦いの時には左腕は頼りにしない方がいいかな」


 返答を聞いて、ミケはじっと瘴獣を見つめる。


 瘴獣は混合型ではなく植物型で、瓢箪のような形をした姿をしている。が、その身体は無数の蔦や草が絡み合って出来ているので、戦闘時には様々な姿をする事が予想できる。高さはカザリナで放牧してる苔桃豚よりも遥かに大きく、恐らくは後ろ脚で立った大人の鉄毛熊と同じ位の大きさ……つまり二階建ての家の屋根に届くほどの高さだ。


 攻撃方法は触手による攻撃が予想できる。しかも植物型なうえにこの大きさならば、触手の数は数十にも及ぶだろう。外見では瓢箪の上側部分から二本の触手が生えているだけだが、草花の植物型は見かけでは想像もつかない程の触手を使ってくるのが普通だ。


 植物を食って受肉したタイプなので、火が有効だろう。となれば、リュカの爆砕斧ならば相性がいい。


 あと問題は、とミケはチラリとルリを見た。


 ルリが、相手の攻撃を避けることが出来るかどうかだ。自分やリュカは問題ない。この手の相手には慣れている。


「ルリ、身体強化、どれくらい出来る?」


 問われて、ルリは考える。


「……今の状態なら、全力戦闘で三分、でしょうか」


 瘴気の漂う森を進むだけでルリは消耗する。申し訳なさそうに答えるルリに、ミケは充分だと言って微笑んだ。


「リュカ、最初から全力戦闘で行くよ」

「ん。了解。三分で片付けるんだな?」


 先程のやり取りを聞いていたリュカがそう尋ねる。ミケは頷いて、リュカの背後に回る。


「アタシがリュカをアレの所まで飛ばす。そしたら、アタシ達は降りてリュカの援護だ。いいね、ルリ」


 緊張した面持ちで、ルリが頷く。


「じゃあ、行くよ!」


 その言葉を合図に、リュカは木の枝を蹴って飛ぶ。ミケの後押しもあって、その体は勢いよく宙を跳び、大瘴霊石の前に陣取っている瘴獣の頭上にまで届いた。


 赤熱した刃を振りかぶって、リュカは瘴獣を見据える。


 飛来物を認識したのか、瘴獣の体が僅かに傾く。その緩慢な動作を見てリュカは確信する。これなら相手が迎撃する間もなく、爆砕斧を大瘴獣の頭部に振り下ろせると。


「行くよ、ルリ!」

「はい!」


 ミケとルリが木の幹から飛び降りて駆けだし沼地に踏み込む。ちょうどその時、大瘴獣の体がぐらりと傾いた。リュカが爆砕斧を叩きつけたのだ。


 倒れると判断したリュカは、急いで大瘴獣から爆砕斧を引き抜き、頭部を蹴ってその場から飛び退いた。


 ズン、と大地を揺らしながら大瘴獣が倒れる。それを見て、ミケが叫ぶ。


「ルリ!」


 名前を呼ぶのとほぼ同時に、その場に立ち止まったルリが光の矢を放つ。無数の矢は大瘴獣に吸い込まれるように一直線に進み、その体を僅かに削る。


 直感に従ってミケは身体強化を更に引き上げ加速する。沼地という悪路を、まるで草原の上を疾駆するかの如くの速さで駆ける。


 その直後だった。


 大瘴獣が、ほどけた。


 大瘴獣を形作っていた蔦や草が、核を覆っていた部分を残してほどけ、何十という触手となってリュカへと襲いかかる。


 そのうちの数本は軌道を変えてミケに、そしてルリへと襲いかかる。


 ミケはそのうちの二本を斬り払い、残りは避けながら進む。頭上から襲いかかってきた触手が、沼地にドスドスとめり込む。


 ルリは身体強化を全開にした。自分の役目はリュカの援護である。つまり、触手を引きつけながらリュカに襲いかかる触手を可能な限り撃ち落とさなければならない。


 ルリは瘴気に対して敏感である。いくら受肉しているとは言え、大瘴獣は本質的には瘴気の塊だ。ならば目を瞑ってでも襲いかかってくる触手が気配でわかる。


 ルリは、避けながらも手を休めることなく何本もの光の矢を放つ。その全てがリュカに襲いかかろうとしていた触手を貫き、十数本の触手が浄化の力を受けて弾ける。それでもまだ、リュカを襲う触手の数は数十にも及んでいる。


 圧倒的な数の触手を前に、リュカは避けずに一歩も退かなかった。片手で大斧を荒々しく振り回しながら、一歩また一歩と歩みを進める。


 リュカは攻撃を見たときに、直感でこの程度は避けるまでもないと判断していた。


 無数に分かれた触手は、浄化の刃に近づくだけで溶けて消えていく。消しきれなかった触手が体を切りつけてきても、戦人の中でも一際頑丈な竜人の体には軽く皮膚を切って血が滲む程度だ。これならば問題ないとリュカは更に歩みを進める。


 全身を切りつけられてもリュカは止まらない。かすり傷程度ならば、少し休憩していれば治る傷だからだ。どれだけ浅い傷を付けたとしても、リュカの命にはまるで届かない。


 やがて、ミケが追いついてきた。こうなればもう、怖いものはない。リュカは更に一歩踏み出した。


 大瘴獣は、近づいてきたミケへの対処として、リュカへの攻撃に動員していた触手の一部を振り分ける。


 十数本の触手がミケに襲いかかるが、時には輝く短剣で斬り払い、時には避ける。中には紙一重というところで避けているものもあるが、当たらないものは当たらない。


 ミケは避けながら、瘴獣の側面に回り込む。別の方向から攻め込むことで、リュカへ向ける触手の数を減らすためだ。


 リュカの身体に届いていた触手の数が、ミケへと一部動員したことで急速に数を減らしていく。僅か十数秒の間に、その数はゼロになった。


 大瘴獣はルリに向けていた触手を戻し、リュカとミケの攻撃に加える。


 だが、足りない。二人の戦人の子どもは、天使の援護を受けながら触手を時には避け、時には斬り払う。


 一歩、また一歩と踏み込んでいく子ども達を前に、大瘴獣はついに核を守っていた触手をも動員して攻撃に加えた。


 しかし、止まらない。たった二人の子ども達の歩みを止めることが出来ない。


 いける。押し切れる。片手で大斧を振り回し触手を溶かしながら、リュカは更に踏み込む。ミケもそれに合わせて、大瘴獣へと近づいていく。


 その時、触手の太さが倍増しになった。大瘴獣が触手に霊素を注ぎ込み、強化したのだ。結果、それまで近づけるだけで溶けていた触手がリュカの体に届くようになった。


「リュカ、大丈夫かい?」


 ミケの心配する声に、リュカは笑って答える。


「問題ない!」


 むしろこれぐらいが丁度いいとばかりに、リュカは爆砕斧を振り回す速度を加速させる。今までは近づけて溶かすだけだった動作から、明確に斬り払う動作へ。


 だがそれでも、先程よりも多くの触手がリュカの体を傷つける。霊素を注ぎ込まれて強化された触手は、もしも相手が竜人でなかったならば、あっという間にその体をバラバラに引き裂いていただろう。


 刻まれる傷が、より深くなる。だがリュカは止まらない。確かに傷は深くなったが、まだ命には届かない。


 大瘴獣が、今度は触手の数を増やした。それに対応するようにリュカも手数を増やすかの如く速度を上げて斬り払い、ミケは短剣に回していた霊素を身体強化に注ぎ込んで、全てを避ける方向に切り替える。


 ルリは相手の攻撃が止んだことで身体強化を切ってその分を援護に回す。触手が強力になった上に数を増やしたので、威力と手数を増やすにはそうするしかなかった。


 二人の進む速度が、明確に遅くなった。だがそれは、止まるには至らない。


 戦いの最中、ふと、その時リュカの脳裏に疑問がよぎった。


 こいつは本当に、大瘴霊石の守護者なのか?


 確かにこいつは強いのだろう。少なくとも、並の人間の軍隊ならば万の軍勢を投入してもあっという間に挽肉の山が出来てしまう位には。


 だがそれでも、リュカは比較してしまう。二層の入り口付近であった、あの瘴獣の方がずっと強い、と。


 少なくとも、こんな思考が出来るくらいには、今のリュカには余裕があった。言ってしまえばリュカは、あの時とは違い本気ではなかった。手を抜いているわけではないが、それでも本気になるような相手ではない。あの瘴獣にはあって、大瘴獣にはないもの。それは、竜人の命に届くほどの強烈な一撃だ。


 そこまで考えて、リュカは気がついてしまった。


 受肉した上位の瘴獣となれば、その肉体はずっと強固だ。少なくとも、竜人に匹敵する位には。この大瘴獣は果たしてそういった者達と戦い、勝てるのだろうか。


 いや、無理だ。確かに自分の体に傷を付けられるが、肉体を強化して治癒力を底上げしていれば、死に至るほどではない。これでは他の瘴獣と戦っても同じ結果だろう。


 となれば、考えられる可能性は二つだ。一つはこいつが守護者ではない可能性。


 そしてもう一つは、何らかの理由で弱体化している可能性だ。


 そう考えた時、攻撃が止んだ。リュカ達が止まらないと判断した大瘴獣が、触手を束ねてリュカに向けて叩きつけようとしたのだ。


 リュカは瞬時に、思考を切り替える。いくら考え事をしているとはいえ、敵が見せた隙を竜人は見逃さない。


 身体強化を限界まで引き上げ、大きく跳ぶ。目指すは大瘴獣の核である瘴霊石だ。先程まで触手に覆われて守られていたそれは、今では全ての触手を攻撃に回している。その攻撃が放たれる前に、リュカの一撃は大瘴獣の核を粉砕するだろう。


 その時だった。


 束ねた触手が再びほどけた。


「しまった!」


 罠だ。ミケの背中に嫌な汗が流れる。


 だが気付いた時には、既に無数の触手は跳んだリュカを狙っている。それを避ける術は、ない。


 次の瞬間、光の線が触手を焼いた。いや、触手だけではなく、光の線は核である瘴霊石を僅かにかすめ、削り取った。ミケが振り返ると、光輪を浮かべて天使の翼を生やしたルリが、そこに居た。


 浄化の力を受けて、大瘴獣が怯む。その致命的な隙は、リュカが必殺の一撃を放つには充分すぎる隙だった。


 浄化の刃が、剥き出しになった大瘴獣の核に振り下ろされる。


 大瘴獣の、声なき声が聞こえた気がした。

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