第15話 鉄毛熊

 次々と襲い来る瘴獣達を退け、打ち倒し、リュカ達は進む。


 第三層。瘴気によって変異した動植物達が蔓延るこの場所では、瘴獣以上に深刻な問題が発生する。


 瘴気は人間に取っては毒である。長時間吸い続ければ、肺が腐り死に至る。戦人は瘴気を体内で浄化して霊素に変える器官があるため、むしろ普段よりも力が発揮できるのだが、ルリの場合は力を消費して瘴気を浄化している。そのため、適度に休憩を挟みつつ進まなければいけなかった。


 そしてもう一つ、食料の確保が予想以上に厳しかったのだ。水については、霊素術を使って飲料に適した水を出せるので問題は無いが、食料だけは何とかして自力で確保しなければならない。


 だが……


「いやはや、もう手を付けることになるとはね」


 乾燥肉を囓りながらミケが呟く。


 第三層に足を踏み入れてから四日。塩漬けの鹿肉を食い尽くしたリュカ達は、もう保存食に頼ることになった。


「まさか、ここまで食えるものが手に入らないとは思わなかったよ」


 頷きながらリュカが塩漬けの肉を囓る。


 その横では、ルリが暗い表情で俯いていた。


「ごめんなさい。わたしが足を引っ張ったせいで」

「いや、あの頻度で襲われてたら、どうやっても休憩は必要だったさ」


 一七回。それが、今日のリュカ達が瘴獣に襲われた回数である。襲撃してきた瘴獣達は、そのどれもが第二層と比べて手強い相手だった。


「しっかし、この分だと進むよりも食料の確保をどうにかした方がいいね」

「……大人の人達は、どうやっているのでしょうか? 大人の人達も、ここまで来ることがあるんですよね?」


 ふとした疑問に、ミケが答える。


「汚染が少ない場所を見つけて、そこを中心に狩りをして食料を確保してるって話だよ。その場所が見つからない時は、素直に町に戻る。いくら戦人に瘴気を浄化できる器官があるといっても、竜化が終わった竜人でもない限り、汚染された肉や果物を食ったら流石に浄化しきれないからね」


 だが、自分達は戻れない。第二層にはきっと大人たちが待ち伏せている。


「まぁ、この環境は確かにクソッタレだけど、幸いなのが大人達にとってもクソッタレだってことだね。普通に踏破出来るんだったら、とっくにアタシ達は捕まってる」


 言いながら、荷物を漁って食料の残りをミケは調べる。


「……残り三日。瘴獣に襲われる事を考えると、出来れば水だけで過ごすのは避けたい。だから、それまでに綺麗な水場を見つけるよ」

「綺麗な水場、ですか?」


 首を傾げるルリに、ミケは苦笑する。


「アタシ達は水を出せるけど、普通の動物は水なんて出せないんだよ」

「あっ!」


 それもそうだとルリは声を上げた。


 水は動物にとっても必要不可欠なものだ。そして綺麗な水場にいる動物ならば、瘴気に汚染されている可能性は限りなく低くなる。


「幸い、水の音も幾つか聞こえるからね。明日からは片っ端からそれを探していくよ」


 先行きに不安を感じていたルリは、ここに来てようやくホッと息を吐けた。




 綺麗な水場探しは、当然ながら困難を極めた。


 何せ第三層は第二層よりも遥かに瘴気の汚染度が高い地域である。ミケの耳を頼りに探した水場は、その全てが汚染されていた。


 何とか食べられないものかと仕留めた動物も、変異が著しく何処を食べたら安全なのかもさっぱりわからない。


 そうして水場を求めて三日が過ぎた。いよいよ食料が底をつき、最後の水場に望みを託して向かっている途中、それはやってきた。


「二人とも、静かに」


 先頭を歩いていたミケが、リュカとルリを静止する。


 注意深く耳を動かし音を探るミケ。何かを捉えたのだろうその表情は、三層に入った時より険しくなっていた。


「なにか、来る」

「何が来るかわかるか?」

「……重い足音だね。多分、熊か何かが一頭だけ。速いしデカいよ」

「逃げられそうか?」


 ミケは黙って首を横に振った。


 リュカは周囲の木々を見回す。第三層では樹木も変異を遂げて食肉植物と化している場合があるのだが、この付近の木々は大丈夫そうだ。


「木の上に登ろう。勝てそうなら奇襲をかけて、一気に仕留める」


 三人は急いで巨大樹木の枝に登り、息を潜めて様子を窺う。


 森の奥から姿を見せたのは、ミケの予測通り熊だった。巨大な森の中で生息する熊の体は、森に見合うだけの巨体を持ち合わせていた。


 だがその姿を見て、これは厄介な奴が出てきたとリュカとミケは眉を顰めた。


 その熊には、二人とも見覚えがあった。大きさは違えど、ルリが来る前に町の市場で見かけた姿にそっくりだ。


 その熊は、間違いなく鉄毛熊だった。遠くから駆けてくるその姿は、周囲の木々などと比較してみると、ヘーベモスが仕留めたものよりかは二回り以上も小さい。だがそれでも、成人男性の上背をやや上回るくらいの体高がありそうだ。


 そんな大熊を、まだ子どもだとリュカとミケは判断した。大人の鉄毛熊になると、その大きさはヘーベモスが仕留めたような大きさになるからだ。


 ヘーベモスの時は知恵持つ獣の一頭だったが、まさか東の森にいる獣が、こんなところにやって来ることはないだろう。半月ほど前の縄張り争いは、瘴気の薄い表層や第二層に住まう知恵持つ獣達との小競り合いで終わったからだ。そして南の森の知恵持つ獣の中に、鉄毛熊はいない。となれば、こいつは元々第三層に住まうただの獣なのだろう。


 リュカは口元に人差し指を立てて、ルリに声を出さないように伝える。野生の動物は耳が良い。ここから小声で話しても、鉄毛熊はその声を聞き取ってしまうだろう。


 ミケが視線でどうするのかと尋ねてくる。リュカは大熊を観察しながら考える。


 確かに鉄毛熊は手強いが、相手はまだ子どもだ。勝算は充分にある。


 ミケはこちらに来るのは一頭だけと言っていた。それならば、あの熊は親からはぐれたのだろう。瘴気による汚染や変異をしている様子はなく、仕留めれば大量の肉が期待できそうだ。熊という生き物は肉の下処理に時間のかかるものが多いのだが、鉄毛熊は別だ。下処理に大した時間も必要なく、旨い肉が大量に取れる。食料が底をつきかけている自分達には、有り難い存在だ。


 リュカは手振りで奇襲を仕掛けるとミケに伝える。幸い、鉄毛熊は真っ直ぐこちらへと向かってきている。このまま進んでくれれば、自分達の真下を通るはずだ。


 息を潜めて鉄毛熊が真下を通る瞬間を、リュカ達は待ち続ける。


 鉄毛熊の駆ける速度、落下に掛かる時間、それらを考慮してリュカは慎重に襲撃の機会を見計らい……枝から爆砕斧を構えて飛び降りた。


 だがその直後、想定外の自体が起きた。


 それまで駆けていた鉄毛熊が、速度を急激に落として止まったのだ。停止位置は、リュカの想定した位置よりも僅かにズレた場所だ。


 そして鉄毛熊は頭上を見上げた。熊の視線が、リュカを射貫く。


 気付かれたのだと、リュカは内心で歯噛みした。


 止まった鉄毛熊だが、だがそれでも頭部を叩き割るだけならば爆砕斧が何とか届く場所にいる。リュカの襲撃に気付いた鉄毛熊は、その場を動かない。


 余程の自信か、慢心か、それとも受けきってから反撃に転ずるつもりか。


 一瞬の間に、リュカは相手が受けきってから反撃に出るだろうと判断した。ならばやるべき事は、一撃を与えたら即座にその場から離れることだ。多少の傷を与えたところで、鉄毛熊は無視してその豪腕を振るってくるだろう。


 赤熱した刃が熊の頭部を捉え、森の中に硬い金属がぶつかる音が鳴り響いた。


 その結果に、リュカは瞠目する。


 無傷。それが、落下速度を加えたリュカの一撃の結果だった。


「嘘だろ!?」


 いくら何でも硬すぎる。いや、硬いだけではない。鋼のような硬度と獣毛の柔軟性を併せ持つ毛皮の特性が、爆砕斧の一撃を見事に受けきったのだ。


 リュカの背筋を、死の気配が震わせる。


 咄嗟に鉄毛熊の鼻先を蹴って、後ろに跳ぶ。次の瞬間、先程までリュカのいた場所を、鉄毛熊の豪腕が通り過ぎた。


 勝てない。それがリュカの出した結論だった。あの一撃で傷一つ負わないのなら、自分では勝ち目がない。となれば、頼みの綱は一人しかいない。


「ミケ! 頼む!」

「あいよ!」


 打てば響かんばかりの速度でミケが飛び降りながら鉄毛熊に襲いかかる。


 その瞬間、鉄毛熊は顔を上げてミケの方を見た。そしてリュカの方を一瞬だけ見てから、再びミケに注意を向ける。


 その様子を見て、リュカは再び内心で歯噛みした。


 鉄毛熊は今まで戦ってきた瘴獣と違い、誰が本当の脅威なのかを正しく理解している。随分と勘が良い。


 猛獣は後ろ脚で立ち上がり、その豪腕を振るいミケを迎撃する。だが、その直前に光が鉄毛熊の腕を弾いた。枝の上で待機していたルリが光の矢を放ったのだ。


「もらった!」


 ミケの短剣が輝きを放つ。ほんの僅かにでも刃が通れば、内部で霊素を炸裂させて致命傷を与えることが出来る。


 しかし次の瞬間、短剣が切ったのは何もない空間だった。鉄毛熊が立ち上がった状態で器用に飛び退いたのだ。そして四つ足で大地を踏みしめる体勢を取り、着地したばかりのミケに向かってお返しとばかりにその巨体で突進を行う。


 突進を回避すべく、ミケが咄嗟に横に跳ぶ。しかし、無茶な姿勢で跳んだ為にうまく着地することが出来ず、ゴロゴロと地面を転がってしまう。もしも追撃が来れば、今のミケは間違いなく避けることが出来ない。


 ミケを援護するためにリュカが鉄毛熊に襲いかかる。例え傷一つ負わせられなくても、ミケから注意を逸らすために爆砕斧を全力で振るう。それしか方法はない。


「うおおおぉぉぉぉ!!」


 ミケに再び突進を仕掛けようとした鉄毛熊は、雄叫びを上げて迫り来るリュカを一瞬足を止めた。


 取るに足らないとばかりに再びミケに注意を向けようとした鉄毛熊だったが、次の瞬間、足元まで迫ったリュカから放たれた強い威圧感を受けて、咄嗟に四肢に力を込めた。


 ドン、という大気を叩く衝撃音が森の中に響く。


 それは、全力の身体強化に全力の踏み込みを加えた、まさに全身全霊の一撃だった。その一撃は鉄毛熊の体毛に阻まれ、その肉どころか皮にすら届かない。が、それは鉄毛熊にとっては無視することの出来ない一撃だった。


 四つ足でしっかりと大地を踏みしめていた、鉄毛熊の体勢が崩れる。リュカの一撃は確かに傷一つ与えることが出来なかったが、前肢の一本をずらして体勢を崩す事には成功したのだ。


 リュカが咄嗟にその場を離れ、同時に上からルリが無数の光の矢を放つ。その全てが鉄毛熊に直撃するが、先程とは違い威力よりも手数を優先した矢の威力では、鉄毛熊の獣毛に阻まれてびくともしない。だが、注意を逸らすだけならば効果はある。


「ミケ」


 リュカは視線で体勢を立て直したミケに何かを問いかける。その問いかけの意味を理解したミケは、首を横に振った。


 その時、頭上から眩い光が降ってきた。見上げれば、天使の姿をしたルリが、巨大な光の矢を放とうとしていた。


 鉄毛熊はこの時初めて、ルリに対して明確な反応を見せた。注意をリュカからルリへと変えた鉄毛熊は、体をルリの方へと向ける。


 ルリが巨大な光の矢を放つ。強力な混合型の瘴獣を消滅させた一撃は、果たして鉄毛熊に直撃し、猛獣を怯ませその体を僅かに吹き飛ばした。怯ませて、僅かに吹き飛ばした、それだけだった。


 だがその瞬間を、ミケは見逃さない。


 一瞬で間合いを詰めたミケは鉄毛熊に飛びかかり、短剣を突き立てる。


 手に伝わる確かな手応えを感じた瞬間、鉄毛熊の身体が白い光を放った。


 その直後、ミケは即座に鉄毛熊から飛び退く。歯を食いしばり鉄毛熊を睨む少女の頬には、汗が伝っていた。


「ミケ、こいつ……」


 尋常じゃない様子のミケに、リュカが声をかける。


「ああ、こいつは体内に純霊石を持ってる。……東の森の知恵持つ獣だ」


 冷や汗を流しながら、ミケは言葉を絞り出すように答えた。


 その言葉をまるで待っていたかのように、赤い影がリュカ達と鉄毛熊の間に乱入してきた。

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