第13話 旅立ち

 光が失われ、森の中に静寂が漂う。


「すげぇ……」


 その光景に、リュカはポツリと呟いた。


 全てが終わった後、元の姿に戻ったルリはその場でへたり込んだ。リュカは慌ててルリの元に駆け寄る。


「大丈夫か、ルリ!」


 顔を青くしているルリがこちらを見つめてくる。その視線は、リュカの左腕に注がれていた。


「リュカ、ちゃん。その、左腕……」


 言わんとしている事が理解できたリュカは、安心させるように問題ないと朗らかに笑った。


「ああ、大丈夫。また生えてくるから」

「生えてくるって、そんな……」

「いや、本当だよ。戦人は魂の形を元に肉体を再生させるんだ。だから、身体のどこかが欠けても、また元通りに直る。そうだよな、ミケ」


 同意を求めるように、リュカはミケの方を見た。


 しかしミケは、それどころじゃないと頭を抱えてブツブツと呟いていた。


「ミケ、どうしたんだ?」


 尋ねられたミケは、焦った表情で顔を上げる。彼女にしては珍しい表情だった。


「ヤバい、ヤバいよ。これ、ヤバいよ」

「ヤバいって何が?」


 リュカの問いに答える前に、ミケはルリの方を見た。


「さっきの翼と光輪……ルリ、アンタもしかして、天使かい?」


 ルリは視線を一旦逸らし、けれども覚悟したように溜息をついてから告げる。


「はい。そう、みたいです」


 事の重大さが、リュカにも理解できた。


「ミケ、周りに誰かいた?」

「何人か。もうカザリナに引き返したよ」


 それを聞いて、リュカは呻き声を上げた。いまいち理解できていないのは、ルリだけだ。


「あの、どうしたんですか?」


 確かに天使というのは、ルリの記憶が正しければ人から敬われる立場であり、おいそれと姿を見せていい存在ではない。だが、こうして頭を抱えている理由が分からない。少なくともこの世界の歴史を学んだ範囲では、天使が人間から敵視されているなどという事も聞いたことがない。


 ミケは顔を上げて、苦虫を噛み潰したような表情で告げる。


「これからルリの記憶を戻そうとする人、先生なんだけどさ……立場上、異世界の神族と敵対関係にあるんだよ」


 ミケの言葉に、ルリもようやく事の重大さが理解できた。


 リュカ達の師匠、それはこの世界の支配者と呼ばれる存在だ。そんな支配者とルリは敵対関係にある。これはどう考えても面倒な事にしかならない。


「どうしましょう……」

「どうしよう……」

「どうするか……」


 そうして三人が頭を抱えていると、遠くから三人を呼ぶ声が聞こえた。


「おぉーい! リュカ! ミケ! ルリ! 大丈夫か!?」


 三人の元に届いた胴間声はヘーベモスのものだ。ミケは絶望的な表情で、駆け寄ってくる彼を見た。


「なにやら、大変な事になったな」


 ルリを見ながらそう言っているヘーベモスは、先程のルリの一撃を見たのだろう。薄暗い森の中で、あれほどの強い光を放てば遠くにいても嫌でも目に付く。


「おっちゃん、どうしよう?」


 ヘーベモスは眉間に皺を寄せてタテガミを弄る。彼もこれからの展開が大方予想できているのだろう。


「どうするも何もなぁ……恐らくは族長会議を開いて、ルリをヒースに引き渡す事になるだろう。竜人の族長の決定は絶対だからな。今まで覆ったことがない」


 とはいえ、と言ってヘーベモスは続ける。


「そこまで悪い話ではあるまい。あいつは支配者の中でも穏健派だからな。ルリの記憶を戻したら、元の世界へ送り返す事だろう」

「そ、それは駄目です!」


 焦った様子でそう言ったのは、ルリだ。全員が驚いた表情でルリを見る。


「ルリ?」

「あ、いえ。その、駄目なんです。それだけは、駄目なんです」

「もしかして、約束の事か?」


 それを言われて、ルリは首を振る。


「それもありますけど、それだけじゃないんです」

「……もしかして、記憶が戻ったのかい?」


 問われて、ルリは逡巡し、やがて頷いた。


「はい。さっき、大体の記憶が戻りました。わたしが何故この世界に来たのかも、何の目的があって来たのかも」


 そういって、ルリは語り出す。




 ルリはこことは違う、異世界の天界に住まう天使だった。


 元の世界では、人間と魔族が戦っていた。数では勝っても個々の力では劣る人間は次第に劣勢を強いられていくが、そんなある時、神の加護を受けた勇者が誕生する。


 その勇者によって、人間達の勢力は徐々に盛り返していくが、しかしそれを黙って見ている魔王ではなかった。魔王は自ら前線に立ち、戦場で幾度となく勇者と戦った。その結果、世界は魔族と人間とで二分される事になる。


 だがある日を境に、勇者は戦場に姿を現さなくなった。様々な噂や憶測が流れたが、真実はどうなっているのかは定かではない。しかし、理由がどうであれ、勇者がいなくなったのは確かだった。


 勇者を失ったことで、再び劣勢を強いられる人間達。蹂躙されていく人々の姿を見ていた女神は、ルリを始めとする天使達に、勇者の捜索を命令したのだ。


 そうしてルリは、仲間の天使達と共に、勇者を探すことになった。


 捜索は難航したが、それでもルリは世界中を探し回ったことで勇者の居場所を探し出すことに成功した。


 勇者がいたのは異世界だった。何処で異世界に通じる門を通ったのかは定かではないが、居場所を特定したルリ達は、すぐにその場所へと向かう事を決める。


 異世界へと繋がる門を作り、あとは勇者を連れ戻すべく異世界へと向かうだけ……のはずだった。


 だがこの時、魔王もルリ達の動きを察知していた。魔王は勇者奪還を阻止すべく、魔族を差し向けた。そして門を通る直前になって、魔族との戦いになってしまったのだ。その戦いの最中、ルリを残して他の天使達は全滅してしまった。


 ルリ自身も魔族に捕まり力の大半を奪われてしまった。何とか隙を見て脱出して門に身を投げ込んだルリだったが、転移の途中で門が消えかかり、ルリは最後の力を振り絞って門を再構築し、その反動で意識を失いながらも何とかこの世界へとやって来たのだ。


「わたし達天使は、元の世界では物質的な肉体を持つ人間達とは違って、魔力で身体を構築している存在でした。そのため魔力を使いすぎると、身体がちゃんと機能しなくなるんです」

「でも、ルリは普通に動けてたよな?」

「多分、無理に力を使ったせいで身体よりも魂の方に何らかの不調が出たんだと思います。その結果が一時的な記憶喪失なんだと思います」

「ふむ……」


 ヘーベモスは、顎に手を当てて何やら考える。


「となると、あの目玉の怪物はその魔王軍とやらが差し向けた刺客か何か、というわけか」


 ルリは頷く。


「わたしは多くの犠牲を払い、この世界までやって来ました。ですから、勇者様を連れ戻すまで戻ることは出来ないんです。絶対に、勇者様を見つけなければ」

「では、どうするつもりだ?」


 問われて、ルリは逡巡する。そして、覚悟を決めた顔でヘーベモスを見る。


「森を、抜けようと思います。そして、勇者様を見つけます」


 その決意と言葉に、ミケは嘆息して問いかける。


「見つけるって、どうやって? そもそも、森をどうやって抜けるのさ?」

「それは……」


 ルリは口ごもる。本来ならば、門は勇者の近くに現れ、直ぐに勇者と共に帰還するはずだったのだ。しかし現在、門は消失し、勇者の場所も判らない。そして幾度となく森に踏み込んだルリも、そこを彷徨いている瘴獣の危険性をよく知っている。


「門だけならば、勇者様の持つ聖剣の力とわたしの力を合わせれば、元の世界へ繋がる門を再び作ることが出来るのですが……」

「肝心の勇者の居所がわからない、と」


 俯くルリ。その様子を見て、ミケは更に続ける。


「おっちゃん、今からルリがカザリナに戻って大丈夫かい?」


 その言葉にヘーベモスは渋面する。


「……やめた方がいいだろうな。カザリナに戻った瞬間に上の連中に拘束されて、そのままヒースに引き渡し、などという展開になりかねん」

「じゃあ、どうすればいいと思う?」


 ヘーベモスは嘆息して、森の奥を見る。


「先程ルリの言った通り、このまま森を抜けるしかあるまい。出来る事ならワシが同行してやりたい所だが……」

「やめときなよ。獣人の族長が異世界の天使に加担したら、その後どんな扱いを受けるかわかったもんじゃない」

「あ、あのさ!」


 三人のやり取りを黙って聞いていたリュカが、ここに来て口を挟んだ。


「オレが、一緒に行くっていうのは、どうかな?」


 その提案に、ヘーベモスは困惑する。その提案の意味する所を理解しているが故に。


「本気か? まだ正式に引き渡しが決まっていないとはいえ、天使を逃がしたとなれば、恐らくは二度とカザリナには戻って来れなくなるぞ?」


 ヘーベモスの言葉に、リュカは覚悟を決めた顔で頷いた。


「リュカが行くなら、アタシも一緒に行くよ」


 ミケはリュカを見て、その後ルリを見る。


「と言うことで、アタシとリュカが一緒に同行することになるけど、いいかい?」

「……駄目です」


 ルリは、複雑な表情で首を振った。


「オレ達じゃ不安か?」

「違います。だって、二度とカザリナに戻って来れないんですよ? それって故郷を捨てるっていうことじゃないですか」


 その言葉に、リュカは頷いて答える。


「うん。でもさ、それって巡礼の旅も同じなんだよ」

「え?」


 予想外の言葉に、ルリは言葉に詰まった。その横で、ミケが続ける。


「そういえばルリは巡礼の旅について知らなかったか。巡礼の旅が赤い炎ファズミールの足跡を辿る旅、ってのは知ってるよね?」

「そう、ですよね?」

「じゃあ、ファズミールの旅については知ってるかい?」

「えっと、様々な世界を巡って、幾つもの世界を救ったんですよね?」


 その言葉に、ミケは頷く。


「そう。ならファズミールは最後どうなったのか、それについては知ってるかい?」


 その言葉に、首を振ったルリは嫌な予感がした。


「だろうね。実は、ファズミールの最後を知るものは誰もいないんだ。たまに異世界からやって来る旅人が、巡礼の旅に出ていった竜人の手紙を持ってくることはあるけど、それにもファズミールが最後どうなったのかなんていう話はなかった」

「カザリナに戻っては来なかったんですか?」


 ミケは頷く。


「旅に出たファズミールは、それからカザリナに戻ってこなかったんだよ。ファズミールの話は異世界からやって来た人達から伝え聞いた事ばかりで、その後ファズミールがどうなったのかは誰にもわからない。噂では、今も旅を続けているっていう話だけどね」


「つまりさ、ファズミールの足跡を辿るっていうのは、終わらない旅に出るっていう事と同じなんだ。実際、巡礼の旅に出て戻ってきた竜人は誰もいないんだ」


「終わらない、旅」


 衝撃だった。まさか、巡礼の旅がそんな意味を持つなんて、ルリは今この時まで知らなかった。


「じゃ、じゃあリュカちゃんが両親を探すために巡礼の旅に出るっていうのは?」


「うん。巡礼の旅を続けていれば、必ずどこかで……どれだけ時間がかかるかわからないけれど、父ちゃんと母ちゃんと会える。師匠の話だとファズミールは、古代人の作り上げた世界群の殆どを旅して、その外側の世界までも旅をしているって話だからさ」


 それで父ちゃんと母ちゃんを見つけたら、一緒に旅をするんだ。そういってリュカは笑う。


「結局の所、巡礼の旅っていうのはこの世界と古代人が作り上げた世界群の全てを巡る旅なんだよ。下手をすれば、一生かかっても終わらない旅になるだろうね」

「でも、わたしと一緒に行くのなら、その旅を諦める事になるんじゃ?」

「そうでもないよ」


 首を振って、リュカは告げる。


「門自体はこの世界に幾つもあるんだ。だから、ルリの目的を達成しつつ他の門を使って旅をするのも、巡礼の旅に出るのも大して変わらないんだよ」


 そう伝えられて、ルリは逡巡する。そして、覚悟を決めた表情で頭を下げた。


「二人とも、ありがとう。……よろしくお願いします」


 それを見て、リュカとミケは笑みを浮かべた。


「さて、それじゃあ行くけど……おっちゃん、追っ手とかは気にしないでいいかい?」

「なるべく時間は稼ぐが、もって一日だろうな。だが連中はお前達が森を抜けられるとは思っていない。恐らく二層で網を張って、三層には近寄らないだろう」

「つまり、出来るだけ早く二層を抜けて三層に行けばいいんだね」


 ヘーベモスは頷き、言葉を付け加える。


「あとはヒースをどうするか、だな」


 その言葉を聞いて、ミケは溜息をついた。


 そうなのだ。リュカとミケの師匠は、商いの為に現在進行形でこちらに向かっている。むしろ三人にとって脅威の度合いは、大人たちの追っ手よりもこちらの方がずっと大きい。


「先生、ね。何とか説得、というか取引出来ればいいけど」


 その言葉に、ヘーベモスは顎に手を当てて考える。


「さてなぁ、もしもカザリナにいて族長が引き渡したのであれば、即刻元の世界へと送り返すだろうが……」

「今ここであれこれ考えても始まらないよ。とりあえず、師匠とばったり出くわしたらその時はその時で行こう。時間もないんだからさ」


 リュカの判断に、それもそうかとミケは頷いた。


 三人は散らばった荷物を集めて、整理する。幸いにして、壊れた物や失った物はなく、これから森の深層に挑むのに何の支障もなかった。


「じゃあ、おっちゃん、オレ達行くよ」

「……達者でな、三人とも」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る