第12話 混合型と覚醒
時間はゆっくりと、けれども確実に流れていった。
時間が経つにつれて、ルリの記憶も少しずつ取り戻していった。
その多くは、仲間達との旅の記憶だった。それを取り戻す度に、ルリはリュカに語って聞かせ、リュカもまた目を輝かせてルリの旅の話を聴き入っていた。
ルリは、仲間達と様々な所を旅していた。緑に覆われた平原を歩き、草木一本も生えない荒野を進み、火山の熱さに耐えながら探索をして、氷に覆われた凍土に凍えながらも、旅を続けていた。
だが、その目的については、まだわからない。
リュカは、本格的に荷造りを始めた。森を踏破するには、戦人でもひと月近くかかると言われている。しかも、深部に向かうにつれて瘴気が濃くなっていき、水はともかく食料の調達が難しくなっていくという。よって、森を抜けるのなら持ち込む荷物は食料が大半占めることになる。
そんなある日、リュカ達は森の調査をすることにした。
ルリはいつもの木の実や果実を取りに行くような格好ではなく、森の中を進むのに用意した服装だった。
リュカとミケも、武器と革袋を背負っている。これから、森の中枢までの道筋と必要物資の調査をするのだ。
「さて、行くか!」
三人は顔を見合わせて、頷く。
森の中に踏み入った三人は、瘴獣を蹴散らしながら順調に先へと進み、あっという間に第一層と第二層の境目までやって来た。
ここまでは順調だった。問題はこれからだ。
リュカ達は、表層までしか立ち入ったことがない。第二層以降がどうなっているのか、話に聞いたばかりで実際はどうなっているのか、まだ見たことがないのだ。
リュカは高鳴る鼓動のままに、ミケは注意深く耳を澄ましながら、ルリは緊張に表情を硬くしながら、第二層に足を踏み入れる。
その時だった。
「二人とも、何か来る!」
ミケの警告に、リュカは爆砕斧を構える。
見れば薄暗い森の奥から、何かがこちらに向かって来ている。それも、大型の動物が。
もしコレが瘴獣だった場合、相当な大きさになる。最低でも、牧場の苔桃豚と同じくらいの大きさだ。
リュカは目を凝らし、森の奥を見つめる。
こちらに向かって凄まじい速度で駆けてきているのは、獅子の姿をしていた。森獅子がやって来たのかと最初は思っていた。
が、近づくにつれて露わになっていく姿に考えを改めた。
獣の通った後には、黒い霧のような物が数瞬だけ残っていた。それは、通常の獣では有り得ない。
「瘴獣! それも受肉した奴だ! 大物だ!」
リュカは歓喜の声を上げて、爆砕斧を構える。第二層でもここまでの大物はそうはいないだろう。歓喜に満ちていた表情は、だがすぐに強張ることになる。
瘴獣は発生したときは体を瘴気で構成しているのだが、動植物を捕食することで、その姿を模倣する事が出来る。よって初めは森獅子を食ってその姿を模倣しているのだと思っていた。
だが違う。いや、正面から見れば、確かに森獅子だ。しかし、その背からは、もう一頭、山羊のような動物の頭が生えている。極めつけは、尾だ。獅子でも山羊でもないそれは、紛れもなく蛇の形をしていた。
「混合型!? なんでこんな所にいるんだ!?」
瘴獣はその力が強まれば強まるほど巨大化していくのだが、その時に他の瘴獣達を取り込んで巨大化することがある。それは混合型と呼ばれ、三つ以上の瘴獣が合わさった混合型は、本来ならば森の深層である第三層の深部か第四層にしか出現しない。
「……ミケ、ルリ、援護を頼む!」
返答を待たずに、リュカは駆ける。
相手が誰であるかどうかなど、この際どうでもよかった。重要なのは、強力な敵が現れたということだ。
ならば、戦うしかない。あの速度ではミケはともかくルリは間違いなく逃げ切れないのだから。
リュカは放たれた矢の如く突き進む。相手は平屋の家ほどの大きさもある、巨大な瘴獣だ。容易い相手ではない。
だが、同時に決して勝てない相手ではない、とリュカは思う。
確かに相手は強いのだろう。だがこちらは一人ではない。ミケが居る、ルリが居る。何より頼もしい爆砕斧がある。
瘴獣はこちらに気付いているのか気付いていないのか、加速することも減速することもなくこちらに向かってくる。
瘴獣とリュカとの距離が、あと一〇歩ばかりという所まで迫ったところで、リュカは大きく跳んだ。
瘴獣は、それでもリュカを見ていない。まるで眼中にないとでも言わんばかりに、そのまま直進を続ける。
舐められている。リュカはそう判断し、ならば目にもの見せてやると大きく振りかぶって爆砕斧を叩きつける。重厚な刃の一撃を受けて無事だった瘴獣は、今のところいない。例え深層の瘴獣が相手でも、それは変わらないとリュカは確信していた。
その確信とは裏腹に返ってきた手応えは、リュカを瞠目させるのには充分すぎた。
硬い。爆砕斧の刃を以てしても、叩き割ることが出来ない。
いつもならば易々と瘴獣を屠ってきた刃が、この瘴獣にはまるで通じていない。
「ヤバッ」
直後、自身の方へと向いてくる凄まじい力を受けて、リュカは跳ね飛ばされた。
大きく宙を舞ってから、地面に叩きつけられるその直前に態勢を立て直して、着地する。
強い。リュカはその手応えから、相手の強さを推測する。
巨体から繰り出される、ただの突進の凄まじい威力。恐らくは、自分だけでは手に余る相手だ。その強さに、リュカの戦人としての、戦士としての心が奮い立つ。
リュカを跳ね飛ばした瘴獣は、反転してリュカの方へと向き直った。
その背後から、ミケとルリの声が聞こえてくる。だが、それはリュカの耳には届かない。
正確には、リュカの耳がその声を聞き流していた。
強敵との戦い。明らかに手心を加えてくる大人たちとの訓練とは違う、ともすれば命さえ失いかねない戦い。
こちらを叩きのめすのではなく、こちらの命を狩り取ってくる、そんなものは訓練では味わえない。
ああ、コレだ。コレを求めていたんだ。
血が沸き立ち肉が躍る。
リュカは、久しぶりに本気になった。
口元が歪み、笑みの表情を作り上げる。
強敵との命を賭した戦いの時には、リュカも本気になる。そして戦人が本気になったとき、その能力は人間の常識を超える。
改めて、混合型の瘴獣を見る。
目算でおよそ自分の三倍はある巨体。鋭い爪と牙。山羊からの攻撃は未知数。尾の蛇は恐らく毒の牙を持っているだろう。
そこでふと気付く。瘴獣は、獅子も山羊も蛇もこちらを見ていた。つまり、ミケ達に対してはあまり警戒している様子はなかった。
ああ、なんだ。リュカは大きく息を吐いて、肩の力を抜いた。
恐らく相手は深層の瘴獣なのだろう。確かに混合型の瘴獣は強い。けれども、こいつは勘が悪い。付け入る隙はいくらでもありそうだ。少なくとも、狡猾な森の獣達はまずリュカよりもミケの方を警戒するのだから。
「リュカ! 大丈夫か!?」
それまで聞き流していたミケの声が、やっとリュカに届いた。
「大丈夫! ミケ、ここでコイツを片付けるぞ!」
叫ぶように答えると、リュカは爆砕斧を構える。
先程の一撃は、瘴獣に対して何の効果もなかった。それならば、効果のある一撃を叩き込めばいいだけだ。
爆砕斧は本来、ただ力任せに振るう武器ではない。これは霊素を自在に操る古代人が造り上げた兵器の一つであり、本来の使い方はまた別に存在する。
リュカは、空気中や体内の霊素を集めて爆砕斧へと注ぎ込む。
爆砕斧は、一定以上の霊素を注入することで、段階的に機能が解除されていく兵器だ。全ての機能を発揮させるには、高純度の純霊石の結晶が必要となるのだが、この程度の相手にはそこまでする必要はない。この兵器は、本来神を滅ぼすために造られた兵器であって、瘴獣狩りの兵器ではないのだから。
霊素が爆砕斧に注入されると、刃が熱を帯びて赤い輝きを放ち、その光が周囲の瘴気を焼き清めるかのように浄化する。
これが、爆砕斧の第一段階の機能が解除された証。高熱を帯びた浄化の刃だ。
「行くぜ!」
瘴獣に向かって、リュカは再び駆ける。対する瘴獣は、その場を動かずにリュカを迎撃する構えを取っている。
次の瞬間、山羊の周囲の空間が歪んだ。
リュカの背筋に悪寒が走る。何かが来るという直感が、リュカに回避の選択を取らせた。
その直後、山羊の周囲から無数の光弾が放たれた。一直線に進んだ光弾はリュカが先程までいた場所に直撃し、衝撃で土砂が巻き上がる。
その光景を見て、危なかったとリュカは冷や汗を流す。竜人の体は頑丈だが、あの攻撃は危険だと直感で理解できた。恐らく直撃すれば、良くても吹き飛ばされるか、最悪体に風穴が開いていたかもしれない。
再び瘴獣の周囲の空間が歪む。恐らく相手は、核である瘴霊石から抽出した膨大な霊素を頼りに力任せの物量で攻めてくるだろう。
確かにそれは脅威だろう。だがこの時、リュカの中では大筋とは言え勝利への道筋が完成していた。
必要なのは一撃、ただそれだけだ。その一撃を叩き込むことが出来れば、自分達の勝利がほぼ確定する。
大きく息を吸って、吐く。脳ではなく、魂で思考する。反応ではなく、反射の領域で対処する。意識する必要はない。こういった攻撃の対処は体や魂が覚えている。師匠との戦いで嫌というほどに叩き込まれたのだから。
リュカは再び駆け、瘴獣が再び光弾を放つ。先程の再演だが、リュカは避けることなく更に加速した。
胸が地面に付きそうなくらい体を屈め、その頭上を光弾が通り過ぎていく。それを見計らって、リュカは再加速をかけた。
再加速したリュカに瘴獣が驚き、慌てて距離を取ろうと飛び退く。その巨体は音を立てて、ミケ達の近くに着地した。
だが、リュカはそれ以上の速度で間合いを詰めていた。瘴獣が着地するのと同時に、爆砕斧が振るわれる。回避は、間に合わない。
森の中に瘴獣の咆哮が轟いた。爆砕斧の刃が、瘴獣の前肢を一本切り飛ばしたのだ。
爆砕斧の第一段階である赤熱した浄化の刃。瘴気を浄化し焼き払うその刃は、受肉しているとは言え瘴気で肉体を構築している瘴獣には致命的だ。
この時、瘴獣はリュカを最大の脅威として捉え、リュカの一挙手一投足を見逃すまいと全ての神経を集中させた。
そして、それこそがリュカの狙いであり、瘴獣は最大の墓穴を掘ることになる。
瘴獣は、リュカを見ている。爆砕斧を見ている。赤熱した浄化の刃を見ている。それ以外のものは目に入っていない。
それはつまり、背を向けているミケに対して全くの無防備を晒すことになると言うことだ。
次の瞬間、瘴獣の背に何かがぶつかったような衝撃が走る。いや、これはぶつかったのではない。何かが飛び乗ってきた衝撃だ。それについて意識を向けるより先に、背に痛みが走る。
リュカは見た。瘴獣の意識が完全にこちらに向いた瞬間に、ミケが高々と跳躍して瘴獣の背に飛び乗ったのを。そして、その背に輝く刃の短剣を突き立てたのを。
この時、リュカは勝利を確信した。
ミケの短剣は、霊素を注ぎ込むことで擬似的な浄化の刃を形成する。その一撃が、確かに瘴獣の硬い毛皮を僅かに貫いた。しかしそれでは、体内にある瘴獣の瘴霊石には届かない。
だがそれでよかった。彼女は、先生と呼ぶ師からそれで勝てる戦い方を教わっていた。その戦い方について当初のミケは少し、いや、かなり師の悪辣さに辟易していたのだが、実際に戦う段になってこの時ばかりは師に感謝した。
確かに瘴獣は硬い毛皮に守られており、ミケの短剣では僅かに貫く事しかできない。しかし師はミケに教えたのだ。硬い装甲に覆われた瘴獣でも、その中身は存外に脆いことが多いのだと。
ミケはニヤリと笑い、そして叫ぶ。
「爆ぜろ!」
それは、刺した短剣を触媒にして、相手の体内で爆発の霊素術を行使する方法。ミケが知る中で、高位の瘴獣にすら致命傷を与えることが出来る、唯一の霊素術。
体内で発生した爆発が、瘴獣の体を二つに分断した。
体が二つに分かたれた瘴獣を見て、勝ったと思い込んだリュカは気を抜いてしまった。
上半身だけとなった瘴獣の周囲の空間が歪み、二つの光弾が現れる。その矛先を見て、リュカは焦った。
瘴獣が狙ったのは、ルリだった。リュカは無我夢中で爆砕斧を投擲する。爆砕斧は二つの光弾をかすめ、その衝撃で光弾はその場で爆発する。
瘴獣は、更にもう一発の光弾を出現させる。リュカは瘴獣に飛びかかり、光弾を引っ掴むと無理矢理瘴獣の獅子の頭に叩きつけた。
光弾が爆発し、リュカが吹き飛ばされる。この時リュカは、自分の判断が間違っていたことに気付いた。
獅子の頭を潰せば、瘴獣は止まるとばかり思っていた。だがあの瘴獣の本体は、獅子ではなかったのだ。思えば獅子の頭は、リュカと戦っているときでも何もしていなかった。
山羊の頭部の周囲に、光弾が現れる。本体は山羊だったのだ。
そして狙いは、またしてもルリだ。
「ルリ、逃げろ!」
リュカの叫びに、しかしルリは動かない。ルリの視線は、瘴獣でも光弾でもなく、リュカの左腕に注がれている。
この時リュカは、やっと気付いた。
自分の左腕が、あの爆発で吹き飛んでいたことに。
ルリの心臓が、ドクン、と跳ね上がるように鼓動する。
この光景を、ルリは知っている。
かつて、自分を庇って同じように仲間の一人が片腕を失った。そして、その仲間はその後また自分を庇って……。
脳裏によぎるのは、辺り一面に散らばる屍。血に塗れた大地。自分達を包囲する、夥しい数の敵。その時、大切な仲間達は……。
「い、嫌ぁあああぁぁぁぁ!!!!」
ルリが絶叫を上げたその時、リュカは確かに見た。
彼女の背に光の翼が現れ、頭上に光輪が輝くのを。
その手に握られていたのは、目を焼かんばかりに眩く輝く、身の丈ほどの光の弓矢。
半狂乱になりながら、ルリが光の弓を引き絞る。その瞬間、光の矢は数倍の大きさに膨れ上がった。
ルリが矢を放つと同時に、瘴獣が光弾を放つ。両者は丁度二人の間でぶつかり、一瞬の拮抗もなく巨大な光の矢が光弾を飲み込んだ。放たれた光の矢はそのまま突き進み、上半身だけになった瘴獣を消し飛ばした。
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