第11話 リュカ

 ある日、ルリはリュカと共にリュカの部屋を掃除しているときに、ふと本棚にしまわれている一冊の本が目に留まった。


 本棚にあるのは、英雄の伝説やその軌跡、冒険譚などが主なのだが、その本だけは背表紙に何も書かれておらず、何の本かわからなかった。


「リュカちゃん、この本って何の本なんですか?」


 そういってルリは一冊の本を取り出す。


「ああ、それか。思い出の本だよ」

「思い出の本、ですか?」


 開いてみればわかるよ、とリュカに言われるがままルリは本を開いた。


「え?」


 その本には文字が殆ど書かれていなかった。代わりに、そこにあったのは絵だった。しかもただの絵ではない。まるで景色をそのまま切り取ったかのような精緻な出来な上に、絵の中の人物が動いているのだ。


「これは一体……?」

「動絵、っていう奴なんだ。古代人の遺産の一つで、紙の中に短い時間の出来事を記録して、再生するんだってさ」


 ルリは、動絵をマジマジと見つめる。


 そこに映されていたのは、四人の記録だった。一人はリュカ、もう一人はミケ、後の二人は知らない子達だ。


「この二人は、誰なんですか?」

「オレ達と同じ、師匠の弟子。少し前まで、一緒に暮らしてたんだ」

「そういえば、ミケちゃんの言っていた先生とリュカちゃんのお師匠様って同じ人なんですよね?」

「うん。よかったらオレと師匠が出会った時の話でもしようか? あと、その二人についての話も一緒にさ」


 ルリが頷くと、リュカは自分の過去を語って聞かせた。


 今から三年前の事だ。


 リュカは森の中にいた。


 戦人には、戦闘適応という人間にはない異能がある。戦いの中で強くなる事が出来るというこの異能は、戦う相手が強ければ強いほど、成長の幅も大きくなる。


 だからリュカは、何度も森の獣達、それも知恵を持ち強大な力を持つ獣達に挑んではぶっ飛ばされてきた。


 そして今日も、いつもと変わらない日が始まる。


 朝起きて、ミケが用意した食事を食べて、武器を持って大森林へと向かう。


 そこで瘴獣達を狩りながら、そのままの勢いで森の獣達に挑み、ぶっ飛ばされる。


 そして痛む身体を引きずりながら、帰路につく。そのはずだった。


 ぶっ飛ばされたリュカの前に、一人の人間が現れたのだ。


 ここは大森林の表層で、人間がやって来るには異世界から繋がっている門を通るか、大森林を踏破するしかない。


 場所を考えると、大森林を踏破した様に思える人間だが、その人間は時々カザリナにやって来る商人の格好をしていた。


 リュカの認識では、商人とは人間の中でも物を売買して暮らしている人間という認識で、とても大森林を踏破出来るような力を持っているとは思えない。


 だが、その男は確かに強かった。少なくとも、リュカは見ただけで彼が自分よりも強いと本能的に理解できるくらいには。なのでリュカは、彼が森を踏破してやって来たのだと、そう思った。


 その男は、リュカを覗き込みながら尋ねる。


「君は、なぜそんな無茶をしているのですか?」


 起き上がって、リュカは胸を張って応える。


「強くなりたいから」


 その答えを聞いて、男は更に重ねて問いかけてくる。


「なぜ、そこまでして強くなりたいのですか? そんな事をしていては、いずれ死んでしまうかもしれませんよ?」


 それは、真面目な問いかけだった。本気でリュカの事を心配している声だった

 リュカのやっていることは本当に無茶なのだ。確かに戦闘適応を最大限に引き出すのであれば、自分よりも圧倒的に強い敵に本気で挑み、命を賭した戦いをする方が効率が良い。しかしそれは、一歩間違えれば命に関わる事でもある。


 大人たちはリュカのやっていることに呆れていた。いくら戦人でも、そんな鍛え方は無茶苦茶だと。だから、呆れもせずにただ心配して疑問をぶつけてくることが、リュカには意外だった。


 だけど、問われれば胸を張って答えるしかない。少なくともリュカには、それだけの理由があるのだから。


「オレさ、父ちゃんと母ちゃんを探す旅に出たいんだ。でも、今のオレじゃ弱いから駄目なんだ。だから一日でも早く強くなって、大瘴霊石を壊して大人たちを認めさせたいんだ」


 それで、とリュカは続ける。


「父ちゃんと母ちゃんを見つけたら、世界を見て回りたいんだ。強くなってさ、世界中の誰も見たこともない場所に、冒険に行きたいんだ」


 リュカの答えを聞いて、男は少し意外そうな顔をした。


 当然と言えば当然だ。戦人の多くは強さを求める傾向にあるが、なぜ強くなろうとするのかという動機について尋ねれば、「強さを求めるのに理由はいらない」とか「戦人だから」とかそういった答えが返ってくるのが普通だからだ。


 リュカの様な強さを求める理由。両親を探すという点に関しては何も言わないが、冒険をするために、世界中を見て回るために強くなりたいというのは、戦人が強くなる理由としては多くの大人たちが「不純だ」と口を揃えて言うことだろう。


 事実、リュカは何度もそんな不純な理由で強くなろうとするな、と言われた。だが、それでもリュカは問いかけられる度に、胸を張って答えてきた。


「そうですか、それなら……」


 男が、リュカに手を差し伸べる。


「君は私の弟子になりなさい」


 それが、リュカと師匠との、初めての出会いだった。


 師匠はカザリナの大人たちの間では、有名な人間だった。


 後で知った話だが、あの英雄ファズミールと共に旅をした仲間であり、世界の支配者である王の一人というものらしい。


 英雄の仲間は理解できたが、世界の支配者というのが壮大すぎてよく分からなかった。とにかく強くて偉い人、らしい。そんな人がリュカを弟子にした。それはカザリナ中であっという間に話題になった。


 あとついでとばかりに、ミケも師匠の弟子になった。これは後で知った話なのだが、実は師匠はミケが目当てでカザリナを尋ねてきたらしい。


 そんな師匠の特訓は、霊素の制御を中心とした特訓だった。というのも、古代人は霊素の制御を完璧にこなすことで、神すらも打ち倒す力を手にしたという。そんな事を聞かされては、リュカも霊素の制御に力を入れざるを得ない。


 それと平行して、戦闘適応による強化も行われた。師匠は確かに強かったが、意外なことに手合わせでリュカは一度も師匠に負けたことがなかった。


 その理由は、師匠は常にリュカの限界よりも少し上程度の力しか出さなかったからだ。具体的には、死力を尽くして限界を超えれば勝てる程度の力しか出していない。


 常人にとっては「ふざけるな!」と言いたくなる様な特訓法でも、常に森の獣達と戦い己の限界を超えてきたリュカにとっては、ちょうど良い慣れ親しんだ特訓法だった。


 怪我をすることは増えても、絶妙に手加減の上手い師匠との戦いの中では、以前のような命に関わりかねない傷を負うことはなくなった。その結果と言うべきか、リュカは以前よりもずっとずっと効率よく強くなることが出来た。


 それから、半年が過ぎた頃。ミケに色々と力の制御を教えてきた師匠が、カザリナから出ることになった。リュカもミケも寂しがっていたが、師匠はリュカ達に幾つかの課題を与え、他の弟子がその内カザリナにやって来るから、一緒に取り組むように、と告げた。


 それから二ヶ月後、師匠の言葉通りに、弟子と名乗る二人組がやってきた。


 どちらもリュカと同い年位の女の子で、片方は金の長髪に人懐っこい笑顔が特徴の女の子、そしてもう片方は赤髪を二つ結びにしたキツい目つきの少女だった。


「あたしはキティ。あんたがリュカね?」


 そういって赤髪の少女は、値踏みするような目つきでリュカを上から下までじろじろと見てきた。


「……ま、とりあえずは合格って所ね。そこそこ出来るみたい」


 初対面の少女から発せられる、不遜とも不躾もと言える視線と言葉にリュカは暫し言葉を失った。


「あ、あの! ごめんなさい!」


 そういって頭を下げてきたのは金髪の少女だ。


「キティちゃん、わたし達以外に先生の生徒が他にいるって聞いて、ずっと機嫌悪くて」

「そんなんじゃないわよ! ただ……」


 そういってキティと名乗った少女は言葉を切った。


「ただ、そう、戦人の弟子がどんなもんか、気になっただけよ!」


 リュカとミケは顔を見合わせる。


「えっと、とりあえず、二人が師匠が言ってた弟子ってことでいいんだよな?」

「そうよ。その通りよ。あの英雄にして世界の王であるヒース・ウォーレット。その一番弟子がこのあたしよ!」


 キティはふん、と鼻息荒く年相応の薄い胸を張る。


「わたしはアリス。アリス・キャロルっていいます。先生の生徒で、色々教わってました」


 礼儀正しくお辞儀をする金髪の少女……アリスからは育ちの良さが窺えた。


「んで、ちょっといいかしら?」


 キティが高圧的な態度を崩さずにリュカに問いかける。


「あんた、どれくらい強いの? ちょっと手合わせしてもらおうかしら」


 その言葉に、再びリュカとミケは顔を見合わせる。


「あのさ、キティって人間だよな?」

「……それがどうしたの?」


 リュカを竜人の戦人と知って、手合わせを願う。常識としては考えられない事だった。普通の人間が相手では、まず間違いなく勝負にならない。


「まぁ、いいけど……」

「ああ、言っておくけど」


 不敵な笑みをキティは浮かべる。


「手加減なんてしたら、死ぬわよ?」


 それから、リュカの家の前の路上で手合わせと称した少女達の戦いが始まった。


 結果として、リュカは負けた。


 それはもう筆舌に尽くしがたい程に、ボロクソに負けた。竜人としてのプライドがズタズタにされるのではないかと思うくらいに、ボッコボコにされた。


 だが、リュカは笑っていた。


 大人の戦人は、この世界には自分達より強い種族など存在しないと豪語する。それは事実であり、かつて人間と戦人との間で起こった戦争では、戦争と呼ぶのが憚られるほどの一方的な殺戮が行われた。


 そんな歴史があったからこそ、リュカは最初は戸惑い、だから笑う。世界には、こんなに強い人間がいるのかと。


「あんた、身体の方は大分出来上がってるけど、霊素の制御の方はまだまだね」


 リュカを見下ろし、手を差し伸べながらキティがそう告げる。


「まぁ、鍛えがいがあっていいわね。これからは、あたしがヒースの代わりにあんたの師匠になるわ」


 ここまで叩きのめされては、とても首を横には振れなかった。いや、リュカには断る気は元々なかった。


 そこでふと、リュカはアリスと名乗った少女の事が気になった。キティがこれほど強いのなら、アリスも同様に強いのだろうかと。


「ええ、強いわよ。あたしと同じくらいには」


 それなら手合わせをと思ったリュカだが、キティに止められた。


「あの子は、あたしと違って手加減がそこまで上手くないから、戦ったら死ぬわよ?」


 アリスに挑むのは、キティに色々と教わってからにしよう。そうリュカは決意した。


 師匠の弟子であるアリスとキティ。二人がやって来たことで、家の中は賑やかになった。


 二人はリュカと同い年でありながら、既に世界中を旅している旅人らしく、色々なことを知っていた。その二人から、リュカとミケは色々なことを教わった。


 キティからは霊素の制御と戦い方を教わり、アリスからは旅に必要な知識や道具の作り方など様々な事を教わった。


 そして二年が過ぎた頃、二人はもう教えることはないと告げた。


「まぁ、楽しかったわよ。ここの生活」


 そう言いながら、顔を背けてキティは言う。


 二人は、様々な世界を旅して回り、自分達の国を作ることを目標にしていた。今回は師匠の頼みだから引き受けただけであって、このままカザリナにいつまでも留まっているわけにはいかなかった。


「……ねぇ、リュカ、一ついいかしら」


 振り向いたキティは、涙を堪えた目で、リュカの目をじっと見つめた。


「あんた、世界中を冒険したいのよね?」

「うん。父ちゃんと母ちゃんを見つけた後、だけど」

「そっか、それなら」


 一瞬目を伏せてから、キティは告げる。


「あたし達が国を作ったらさ、遊びに来なさいよ。歓迎するわよ」

「うん。約束する。キティが国を作ったら、必ず遊びに行く」


 その約束をして、リュカは、二人と別れた。


 賑やかだった家が、寂しくなるほどに静かになった。


 リュカが語り終えたあと、ルリは少しだけその話が羨ましく、そして寂しく思えた。


 きっと、騒がしくも充実した日々だったんだろうと。その日々に、自分がいないことが、寂しく思えた。


「そのお二人、今はどうしているんでしょうか?」

「今も旅を続けてるって話。ただ、国の候補地が見つかったって前に届いた手紙には書いてあったよ」

「……じゃあ、早く課題を終わらせなくちゃいけませんね」

「うん。でも、こういうのは焦っちゃ駄目だからね」

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