第9話 ミケ1
「アタシはさ、東大陸の生まれなんだ。あそこはアルテナ教っていう人間至上主義を掲げてる連中が支配している土地でね。アタシみたいな戦人の扱いは酷かったんだ」
「戦人の扱いが、酷かった?」
それは、東大陸では人間の方が強いということだろうか。
「うん。東大陸には戦人がほんの少ししかいなくてね。圧倒的な数で勝る人間の方が強いんだよ。まぁ、アタシの家族は人間に見つからないように細々と暮らしてた。だけど……」
ミケは表情を曇らせる。
「ある日、人間の軍隊がアタシ達の家を襲った。理由は後で知ったんだけど、アタシの一族は戦人の英雄の血筋でさ、当時、アタシの父ちゃんや母ちゃんを祭り上げて戦争を起こそうっていう戦人の連中がいたらしいんだ。それを阻止しようとしたんだってさ」
全くいい迷惑だよ。そうぼやいて、ミケは続ける。
「そんで、父ちゃんと母ちゃんは……どうなったのかはわからない。アタシは一人で逃がされて、それ以来ずっと一人で東大陸を放浪してた」
「あ、あの、それっていつ頃の話、何ですか?」
「ああ、確か、アタシが四歳くらいの頃の話だよ」
ルリは言葉を失った。そんな幼子が、ずっと一人で放浪の旅をする。ルリの想像以上に、ミケは壮絶な人生を歩んできていた。
「周りの人は、助けてくれたりは……」
ミケは「無いね」と言って首を振った。
「戦人ってだけで、向こうでは迫害対象だからね。下手に関わったら自分達の身が危ないよ。戦人を目の敵にしてる連中に追いかけ回されたりはしたけど」
ミケの言葉に、ルリは憤りを覚えた。
「とはいえ、アタシもアタシで色々悪いことをしてたからね。金や物を盗むなんて当たり前だったし……まぁ、教会の追っ手を仕留めたこともあったよ」
「でも、それは……」
「ああ、生きるためには仕方ないし、手を出してきたのは向こう。でも悪いことは悪いことだよ」
それで、とミケは続ける。
「ある日、中央大陸の話を聞いてね。ここよりは幾分マシだと思って、船に潜り込んでこの大陸にやって来たんだ」
その時の事を思い返して、ミケは自嘲気味に笑う。
「この大陸には流石に手を出せないのか、教会の追っ手は来なくなった。そん時のアタシは、これで自由だ! って思ったんだ。身の程を知らされたのは、その後だけど」
「身の程を知らされた、ですか?」
「ああ、東大陸と違って中央大陸は、狩人協会、霊素術士協会、商業組合の三つを主体として、幾つもの協会や組合とかそういうのが合わさった同盟っていう勢力が支配していたんだ。ルリはアタシに最初あった時、何かを感じたかい?」
突然そう言われて、ルリはその時の事を思い出す。
「えぇっと、その……」
だが、その時の事を思えばこそ口ごもってしまう。ミケを見たとき、ルリは確かに不吉な何かを感じたのだ。
「ああ、言いにくいのはわかるよ。アタシの中にはさ、バケモノがいるんだ」
そういって、ミケは自分の胸をトントンと叩く。
「アタシのご先祖様、英雄と呼ばれる戦人が、どっかの馬鹿な国が招来したっていうとある邪神と戦ってね。何とか退散させたのはいいんだけど、置き土産というか悪あがきというか、自分の眷属を残していったんだよ」
ルリは黙ってミケの言葉に耳を傾ける。
「それで、ご先祖様は何とかその眷属を倒そうとしたんだけど、これがまたとんでもなく面倒な相手でね。粘液状の生物で、神の眷属ってだけあってしぶといというか、バラバラにしても死なない相手だったんだ。邪神の時に切り札を使い切って退散させる事も出来ないし、本当に手詰まりだった」
バラバラにしても死なない。そんな相手をどうすれば倒せるのかルリにはさっぱり見当がつかず、そしてミケの中にバケモノがいるという話を思い出す。
「もしかして……」
「ああ、その通り。それで英雄と呼ばれた戦人は、自分とその一族の身体に眷属をバラバラにして封印したんだ。そんで、その封印を親から子へと繋いでいって、今に至るってわけ」
それで話を戻すけど、そう言ってミケは続ける。
「アタシは、ちょっとならその眷属を制御して操ることが出来た。東大陸ではこれが結構役立ってね。けれど、中央大陸じゃそうもいかなかった」
「どうしてですか?」
「単純に同盟の連中、その中でも狩人協会の連中が強かったってだけの話。全員が全員強いって訳じゃないけれど、それなり以上に金を持ってるような連中はまず強い。ちょっと眷属を制御出来る程度のアタシだと、軽くあしらわれる位にはね」
「そんなに強いんですか!?」
「あー、誤解が無いようにいっておくと、連中が強いのは確かだけど、当時のアタシがそれぐらい弱かったってのもある。眷属もバラバラにされた上にちょっとしか力が出せないから、当時の強さは一欠片も出せてないし、何よりアタシはそん時は……中央大陸に来た時だとまだ五歳かそこらだったからね」
そうだ、これはミケの幼い頃の話なのだ。ルリはそれを思い出すと同時に、ミケに尋ねる。
「やっぱり、助けてくれる人達は……?」
「いや、いたよ。中央大陸でも孤児や貧民層向けに炊き出しをやってたし、戦人とはいえ子どもが一人歩いているのを心配してくれる人もそれなりにいた」
ホッとするルリだったが、ミケは少しだけ寂しそうな表情を浮かべた。
「ただ、そんときはもう、アタシは誰も信じられなかった。それでも、アタシの事を受け入れてくれる、底抜けにお人好しな奴は大体村や町に一人くらいはいた。でもね」
そう、一旦区切ってからミケは遠い目で空を見上げる。
「そういう人達も、アタシの中にいるバケモノを知ったら、怯えちまってね」
ルリは、心が痛んだ。ミケの人生は、失望と裏切りの連続だった。ルリは、この世界の神に問わずにはいられなかった。ミケちゃんが、なぜこんな目に遭わなければならないのかと。
確かにミケは人を襲い、傷つけ、金や物、時には命さえも奪った。
だがそれは、平凡に暮らしていた少女を人間達が襲ったことがそもそもの発端である。元を正せば、人間も戦人も彼女達を放っておけば、こんな事にはならなかったはずなのだ。
「そんなこんなで、各地を転々としてたんだけど……まぁ、さっきも言った通り、狩人協会の連中は手強い奴らが多い。だからアタシは、まず観察を始めたんだ」
「観察、ですか?」
「ああ。金を持っていて、襲いやすい奴らがいないかって確かめて……それで商業組合の連中に目を付けたんだ」
確かに商人ならばお金を持っているし、戦う事を生業にしている狩人達に比べれば貧弱もいいところだろう。だがルリは少し考える。
「商人の人達、護衛とかは雇っていないんですか?」
「雇ってるに決まってるさ。ただ、中には護衛を雇わずにいた奴がいてね……狙い目だと思ったアタシは、手始めにとそいつを襲ったんだ」
ゴクリ、とルリは唾を呑んだ。
「んで、ボッコボコにされた」
「え?」
「ボッコボコにされた」
疑問符を浮かべて首を傾げたルリに、ミケはそう繰り返した。
「いやまぁ、ちょっと考えればわかるんだけど、護衛を雇わずに町の外を移動してる商人ってのは、腕に自信がある奴か脳みそが足りてない奴のどっちかでさ。アタシが襲ったのは前者だったってわけ」
でも、とミケは続ける。
「幸いな事に、相手は先生だった。……ああ、先生ってのは、こんど町に来る記憶を治せる人だよ」
「先生ってことは、教師とかお医者さんなんですか?」
「いや、本業は商人さ。先生って呼んでるのは、あの人がアタシにとっての先生だからだね。ちなみにリュカは師匠って呼んでる。……まぁ、とにかく先生はアタシの事情を聞いて、カザリナまで送ってくれたんだ」
ミケはリュカを見る。
愛おしそうに、リュカの髪を、頭を撫でる。
「……それでアタシは、コイツと、リュカと出会ったんだ」
それからの事をミケは続ける。
「先生の紹介で、アタシはリュカの家で世話になることになった。何処の者とも知らない猫人を、リュカも、おじさんとおばさんも、当たり前の様に受け入れてくれた」
おじさんとおばさん。今はもういない、リュカ達を残してどこかへ行ってしまった竜人の夫婦。その話を、ルリは興味深く聞くことにした。
「最初はさ、変わった人達だと思った。けど、その変わった人達を、アタシは今まで何人も見てきた。どこの町や村にも大抵一人はその手の人はいる。相手の出自にかかわらず、初対面の相手だろうが誰とでも仲良くなれる、お人好しや人懐っこい奴」
「いい人達、だったんですね」
本当にいい人達だったよ。そう言ってミケは頷いた。
「ただその時は頃合いを見て逃げるつもりだった。あの時は、まだ先生もあの人達も、信用や信頼なんてしてなかったからね」
だから、とミケは続ける。
「アタシは、必要以上にあの人達に関わらないようにしたんだ。突き放すような態度で接していれば、大抵の奴は諦める。その上で絡まれて嫌そうな顔をすれば、まずそれ以上関わってくる奴はいない」
確かにそうだろうとルリは内心で思った。もしも何も知らない自分が当時のミケと出会ったならば、きっと途中で関わるのを止めるだろう。
「そうなったら家の空気は壊すだろうけど、そこは先生と受け入れた自分達を恨んで欲しいと思った。だけど一つ……いや、二つかな。想定外の事があったんだ」
「想定外の事?」
「一つ目は、それでもあの人達が予想以上に粘ったこと。まぁ、コレに関しては別に良かった。その時のアタシは、いつかあの人達も折れて諦めるだろうと思ってたし」
「二つ目はなんですか?」
ルリの言葉に、ミケは少し恥ずかしそうに答えた。
「二つ目は……うん。おばさんの料理がとても美味しかったことだね」
「へ?」
間の抜けた声が、ルリの口から放たれた。
「美味しかった、ですか?」
「アタシが放浪生活してた頃、まともな食事を取ったことがなかったんだよ。一応中央大陸でなら炊き出しで食べ物を貰ったことはあるけれど、あくまで食うに困った人達に向けた、質よりも量を重視した物だったからね」
まぁ、それでさ。とミケが続ける。
「何というか、胃袋をがっちりと掴まれちまったんだよね。それでまぁ、なんていうか、少しはおばさんの言うことなら聞いてもいいかなって思っちまってさ」
それを聞いて、ルリは少しだけ呆れたように笑った。だけど、嬉しかったのも事実だった。ミケは完全に擦り切れてはいなかったのだ。その前に、いい人達に救われたのだ。
「まぁ、それで少しずつおばさんの言うことを聞いて、上手い具合に使われるようになったんだよね。……ただ、それが心地よかったのも事実だよ。何というか、昔に戻った気がしてさ」
苦笑しながらミケは続ける。
「それからは、おばさんの手伝いをして料理を教えて貰って、あとは無茶苦茶やってるリュカの面倒も見たりした」
「無茶苦茶やってる?」
「あいつさ、特訓と称して森に入っては、森の獣達にぶっ飛ばされる生活を送ってたんだよ。実際強くなるには手っ取り早いけど、バカみたいだろ?」
「えぇ……」
今はやっていないリュカの奇行に、ルリは彼女の頭を疑った。世の中には傷つくことに快感を覚える人がいるというのは知っている。そういう趣味があるとは思いたくないが、そうじゃなければ頭がおかしい。
「しかもヤッバイ奴と遭遇したこともあったんだよ。その時もアイツは嬉々として挑んで、当然の如く返り討ちに遭ってた」
「それ、大丈夫だったんですか?」
こうして生きているので無事だったのだろうと分かりながらも、ルリは尋ねずにはいられなかった。
「森に入るときに渡されてた、発光玉やら煙玉やらを無我夢中でありったけぶちまけて、それからリュカを引っ掴んで逃げたよ」
あの時は完全に死ぬかと思ったね。そうミケは愚痴をこぼす。
「何とか上手く逃げ延びて、発光玉を見てやって来た大人たちに保護されて、生き延びることが出来たんだ。当然だけど、アタシを巻き込んだ事でリュカはそりゃもうこっぴどく叱られてた」
それはそうだろうとルリは呆れながらも続きを促す。
「その後も、リュカは何度も森の獣達に挑みに行った。だけど、大人達やおじさんとおばさんにも叱られた事もあって、アタシを連れて行こうとはしなくなったんだ。んで、そうなるとアタシは家の事を覚えながら、ボロボロになって帰ってくるリュカを迎える日が続いてさ、それである日、気になって聞いたんだ。なんでそこまでして挑むのかって」
「なんで、挑んでたんですか?」
「強くなりたい。アイツはそう言ったんだよ。それでやっと気付いたんだ。リュカはお人好しでも人懐っこいわけでもないって事に」
そして、ミケは愉快そうに、嬉しそうに、あるいは呆れたように告げる。
「こいつ、ただの馬鹿なんだ」
その意見には、ルリも同意見だった。
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