第8話 霊素制御と霊素の回復
その空間は、不思議な力で満たされていた。
「ミケちゃん、これは?」
「霊素だよ。ルリ、アタシの部屋に満ちてる力を感じることは出来てるよね?」
頷くルリに、ミケはよし、と頷いた。
「まずは大きく息を吸って、力を取り込むんだ」
言われるがままに、ルリは大きく息を吸い込む。
途端、部屋に満ちていた力の一部が、自分の体の中に入り込むのがわかった。
「次に、体に入った力に意識を集中させる。すると、二つの力が感じられるはずだよ」
ルリは言われるがままに意識を体内に集中させる。
「……はい。確かに、入り込んだ力と、それに似たような力があるのを感じます」
ルリの反応に、ミケは満足げに頷いた。
「そのまま意識を二つの力に傾けな。段々、二つの力が一つに混ざるのがわかるだろ?」
ルリは意識を二つの力に向ける。すると最初は別々だった力が触れ合い、その輪郭が徐々に溶けるように消えていくのがわかる。
そして二つは溶け合い混ざり、一つになっていく。二つが一つになるというより、元々あった力が、体内に取り込んだ力を少しずつ吸収していくようだ。
「そしたら、左手でも右手でもいいから、その力を人差し指の指先に集中するように思い描くんだ。強く思い描くこと、その想像力こそ、霊素制御の基本だからね」
「想像力……」
「そう、想像するんだ。自分の中にある……」
そこまで言って、ミケは言葉を止めた。その視線は、ルリの手に注がれている。
ルリの手には、いつの間にか光の粒子が集まって出来た、弓と矢が握られていた。間違いなく、霊素制御によって造られた霊素の弓矢だ。
「……合格だよ、ルリ」
ミケの言葉に、しかしルリは反応を示さない。
「……ルリ?」
再び声をかけたところで、ルリはハッと我に返った。同時に、握られていた弓矢が光の粒子となって霧散する。
「大丈夫かい?」
「あ、はい。大丈夫です」
困惑しているルリを見て、ミケは顎に手を当てながら話しかける。
「初めてとは思えない出来だったけど、もしかして初めてじゃないのかい?」
ルリは少しの間を置いてから、ミケの問いに答える。
「えっと、向こうの世界では、わたしはさっきの弓矢で戦っていたみたいです」
「記憶が少し戻ったのかい?」
「そう、みたいです。わたし、向こうでは仲間と一緒に戦っていたみたいです。それで、その仲間達もわたしの様に霊素を武器にして戦っていました」
ふむ、とミケは思案する。
「現時点では霊素制御は及第点だね。形は作れるし、一応武器としては使えるけど練度も収束も甘いところがある。足を引っ張らない程度には戦えるって感じかな」
「そう、なんですか?」
「うん。あとはそうだね……身体強化は出来るかい? こっちじゃ、霊素術の基本技術の一つなんだけど」
「身体強化……こう、ですか?」
ミケの問いに応えるように、ルリの身体が強く光り輝いた。
しかしそれを見て、ミケは微妙な顔をした。
「あー……うん。一応出来るみたいだね。ただ、無駄が多い」
「う……無駄が多い、ですか……」
「身体が光るってことは、それだけ外に霊素が漏れてる証拠なんだ。だから、まずは霊素を身体の内側に完全に抑え込む練習からだね」
ルリは目を閉じて、身体の内側に霊素を抑えるように意識を集中させる。
途端に、輝きが収まり始める。それを見てミケは満足そうに頷いた。
「もう少しだよ。もう少しだけ、霊素の放出を抑えるんだ」
ミケの言葉に応じるように、ルリの身体から漏れていた光が、少しずつ無くなっていく。そして……。
「よし、その状態を維持だ」
完全に、光が失われた。
ルリは目を開ける。
「どう、ですか?」
「合格。あとはこの状態をずっと維持出来るように、毎日練習だね。動けるかい?」
「ちょっと、難しいです」
むむむ、と眉間に皺を寄せて答えるルリに、ミケは苦笑した。
「なら、まずは慣れるところからだね。慣れれば身体強化をしたまま散歩とかも出来るようになるさ」
その日から、ルリの日課に霊素制御の練習が組み込まれることになった。
それから一〇日が経過した。
今ではルリは、身体強化を施したまま散歩が出来るまでになった。とはいえ、その時間は非常に短い。これは集中力の問題ではなく、ルリ自身が持つ霊素量と体力の問題だ。
ルリの保有する霊素量が常人よりも少なかったのだ。そして、身体強化の身体にかかる負荷はルリの想像を超えていた。
瘴獣との戦いでは身体強化を施しての戦闘が基本となる。それを知ったルリは、何とか少ない霊素量で戦うことを学ぶために一度リュカと手合わせしたのだが、何も学ぶことなくあっさりと負けてしまった。
落ち込むルリに、リュカはルリは今よりもずっと膨大な霊素を持っていたはずだと告げた。身体強化や霊素武器を扱う際の制御がここまで甘い状態だったのは、元々持っていた霊素量が多い為に、技術を磨く必要がなかったのではないかと。
リュカの見立てでは、ルリの霊素量は常人の一〇倍はあり、戦人と同等の霊素量を持っている。ミケもこれには同意見であった。
「というわけで、これからはルリの霊素回復を重視しようと思う」
「じゃあ、特訓はやらないんですか?」
「いや、特訓は続ける。その上で、回復量を増やそうって話さ」
何となく、ルリは直感で嫌な予感がした。女の子として、とても嫌な予感が。
「あの、それってどういうやり方なんですか?」
「簡単さ。ルリはどうやって自分が霊素を回復しているのかわかるかい?」
ルリは首を横に降る。
「戦人と違って人間は自分で霊素を生み出すことは出来ない。だから、外部から霊素を取り入れる事で霊素を回復するのさ。ルリ、アタシが霊素術の時に教えたこと、覚えてるかい?」
「……大気中にも霊素が含まれている、という話ですか?」
「それもある。けど、もっと大事な話さ。この世の全ての物質は、霊素で出来ているって事だよ」
嫌な予感が大きくなっていくのを感じながら、ルリはミケに問いかける。
「……つまり?」
「食べ物にも霊素が含まれてるって事さ。これからはルリの食事量を増やしていくよ」
その絶望的な宣告に、ルリは気が遠退くのを感じた。
「ぐ、具体的には?」
「最低でも五割増し。後はちゃんと動くことだね。そうじゃないと色々と大変な事になるよ」
ルリは身体を動かすのは好きな方だ。だが、取り入れた分の栄養をキッチリ消費するにはそれ以上に運動量を大幅に増やす必要がある。
「暫くは家の手伝いもしなくていいよ。その分、体力作りも兼ねて走り込みでも頑張りな。時間があればアタシも付き合うからさ」
「……はい、がんばります」
項垂れながら、ルリは消え入りそうな声で応えた。
ミケの回復案は、思った以上に効果的だった。
それまでは体力が尽きるより先に霊素が尽きていたのだが、現在では体力の方が先に尽きるようになっていた。その結果、ルリが保有する霊素量は順調に増加していった。
同時に、ルリは老竜人の工房に足を運んで、自分の体重を計測する機械を作ってもらっていた。そして毎日お風呂上がりに体重計に乗っては、ホッと息を吐く姿を二人は何度も目撃することになる。
そんなある日の事だ。もう日課となった走り込みにミケとリュカが付いてきた。
そして三人でカザリナの西側にある湖を周回すること数時間。いい汗かいたと三人は湖で水浴びをしてから、木陰で休むことにした。
リュカは地面に仰向けに転がって寝息を立てており、そんな彼女の頭を、ミケは優しく撫でている。
「こんな騒がしい場所でも寝られるなんて、ほんと羨ましいよ」
そう言って苦笑するミケの表情を見て、ルリは悟ってしまった。ミケの表情が何よりも物語っていたのだから。
リュカの頭を優しく撫でるミケは、手つきと同じくらい優しい表情をしていた。
ルリの記憶では、ミケは一部の人と話すとき以外では、飄々としたような、あるいは人を小馬鹿にしたような感じで話している。それが原因でレグノスを始めとした戦人と喧嘩になりそうな時もあったが、それでもその態度を変えることはなかった。
そんな彼女が、本当に優しい表情をしているのだ。まるで手のかかる子どもを可愛がる親の様な、そんな表情を。
これが、ミケの本当の顔なのだとしたら……それを見せる相手は、本当に特別な存在なのだろう。
ミケは、リュカの事が好きなのだ。友人として、同居人として、家族として。
「ミケちゃんは、リュカちゃんの事が好きなんですね」
つい漏らしてしまった言葉を自覚して、ルリはハッとして口元を押さえた。
「……そうだね。アタシは、リュカの事が好きだよ」
ミケは顔を上げて、ポツリポツリと語り始めた。
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