第7話 霊素術

 リュカの家に住むようになってから暫くが過ぎたある日、ルリは珍しく早起きした。


 別に普段から寝坊しているわけではない。いつもは日の出と共に起きるのだが、今日は日が出る前に目が覚めてしまった、というだけの話だ。


 窓から外を見れば、まだ暗い。日が出てないので当然だ。


 このまま二度寝するのは何だか気が引けるので、ルリは部屋から出て階下へと降りることにした。とりあえず、顔を洗って着替えるだけ着替えておこう。


 部屋から出た途端、階下からいい匂いが漂ってきた。どうやらミケはもう起きて朝食の支度をしている様だ。


 ふと、ルリはこちらに来てから今まで一度も料理をしたことがない事に気がついた。何か手伝えることがあるかもしれないと、ルリは階段を降りて台所に向かう。


「ミケちゃん、おはようございます」

「ああ、ルリかい。おはよう。こんな時間に目が覚めるなんて珍しいね」


 料理の手を止めることなくミケは返事をする。その手際は実に手慣れていて、とても十二歳とは思えなかった。


「あの、わたしにも何か手伝えることはありますか?」

「そうだね。それなら、まずは野菜の皮むきをお願いしようかな。ただその前に、顔を洗って着替えてきな」


 ルリは洗面所に向かい、顔を洗って外行きの服に着替えると、台所に戻る。ミケの隣に立ったルリは、用意された野菜達を見て手が止まった。


「どうしたんだい?」

「あ、いえ。ただ……」


 そういって、野菜をマジマジと見つめる。いつも食べている野菜で、何処にもおかしいところはない。


「ただ、わたしのいた世界の野菜も、似たような形をしていたので面白いなって」


 ミケは合点がいった。


「ああ、世界が違うのに食べ物が似ているってことかい? それなら多分、世界を創った神様が同じ世界基盤を使って世界を創ったからだと思うよ」

「世界基盤?」


 聞き慣れない言葉に、ルリは首を傾げる。


「アタシもよくは知らないけれど、世界の素、みたいなものだって先生が言ってた。神様はソレを使って世界を創るんだってさ。それで、同じ世界の素を使うと、似通った世界が出来上がるって話」

「なるほど」


 理解できたような、出来なかったような曖昧だが、それでもルリは納得することにした。


 皮むき用のナイフを使ってタルカイモやカザリナニンジンなどの皮を剥いていると、隣から視線を感じた。ルリはミケの方を振り向くと、彼女は感心した様子でルリの手元を見ていた。


「どうしたんですか?」

「いや、随分と手慣れているなって思ってさ」


 そう言われて、ルリは苦笑を浮かべた。


「何となくですけど、身体が覚えているんだと思います。それに、ミケちゃん程じゃないですよ」


 お世辞でも何でもなく、ルリは率直な感想を口にした。


「魔法で料理を作るなんて、わたしにはとても出来ませんから」


 ミケの周囲には、幾つもの調理器具が浮かんでいる。ミケが手を動かすと、その調理器具達はひとりでに動いて料理を作っていく。そうやって数人分の作業を並行して行うことは、ルリにはとても出来ない。


「魔法じゃなくて、霊素術だよ」

「霊素術?」


 疑問符を浮かべたルリに、これは知らないのか、とミケは呟いた。


「んー、そうだね。あとで用事が済んだら、その辺の勉強をしようか」




「アタシ達が使っているのが、なんで魔法ではなく霊素術って呼ばれてるかわかるかい?」


 ルリは首を横に振る。


 現在はカザリナの西側にある湖で、ルリはこの世界の魔法の歴史について教わっている。


 ルリの世界には魔法が存在していた。魔力という奇跡の力を使い様々な超常的な現象を引き起こす、そんな魔法が。


「今から四〇〇年前の事だよ。三〇〇年続いた鉄の時代が終わり、再び魔法の時代がやって来た」

「鉄の時代?」

「あー、そっちはまた時間を取って勉強しようか。まぁとにかく、そんな魔法の時代にとある国で魔法の大会が開かれたんだ」


 それは、再来した魔法の時代を象徴する大会だったという。中央大陸だけでなく、他の大陸からも腕利きの魔法使い達がやって来て、魔法の腕を競い合う。そんな大会だった。


「万物を構成する力であり物質でもある霊素を発見し、再び魔法の時代が力を取り戻してからまだ一〇〇年程度しか経ってなかった。そういうのもあって、当時の魔法使いは誰もが様々な魔法を使って腕を競い合ってきた。そんな時、とある二人の参加者が会場を賑わせたんだ」


「二人の参加者ですか?」


「今から一五〇〇年前に西の魔王を討伐した勇者一行の魔法使い、クレア・コープス。そして五〇〇年前に古代人の遺跡を踏破し、霊素と古代人の記録を発見して鉄の時代を終わらせた戦人の魔法使い、業火のレリーナ。この二人が参加したんだ」


「え、ちょ、ちょっと待ってください」


 すかさずルリは待ったをかける。


「あの、一五〇〇年前と五〇〇年前の人が出たんですか?」


 当時でも一一〇〇年前と一〇〇年前の人間だ。この世界の人間もそこまで長生き出来る生き物ではないことは、ルリも知っている。


 だがミケは、頷いて説明を続けた。


「神の領域に踏み込んだ魔法使いは、時間の流れから切り離されて、老いることがなくなるって話さ。当人達の話だから、どこまで本当なのか疑わしいけどね。まぁ、業火のレリーナに関しては戦人だから、たかだか一〇〇年程度じゃ老いて死なないけどさ」

「戦人は寿命が長いんですか?」

「種族によってまちまちだけどね。竜人なんかは一〇〇〇年は余裕で生きるよ」


 まぁ、そんなことはどうでもいい。そういってミケは続ける。


「世界を救った魔法使いと、世界を変えた魔法使い。そりゃもう大注目だったし、実際二人の戦いは凄まじかったらしい。この二人の戦いは、再びやって来た魔法の時代の歴史に刻まれる戦いになると、誰もがそう思っていた。二人が戦う前までは」

「戦う前までは?」


 ミケは頷いて、続ける。


「二人は勝ち進んだ。誰の予想を裏切ることもなく。魔法の精度も威力も詠唱の速さも何もかもが常識外れだったらしい。そして、大会の決勝戦で二人は戦った。神の領域に踏み込んだ者同士の戦いは、きっと互いの秘術を尽くしての競い合いになる。もしかしたら失われた古代の魔法さえも見られるかもしれないと、誰もが期待してた。けど、そのとき二人の使ったのはそんなもんじゃなかった。いや、正確には神話の時代の魔法だったけどね」


 ルリは、ゴクリと唾を呑んだ。神話の時代の魔法。それは一体どんな魔法だったんだろう。


「神話の時代。神々と戦った古代人は、魔法を解析して、万物を構成する力であり物質である霊素を発見した。この世界のあらゆるものは、霊素で出来ている。それは魔力も例外じゃなかった。そしてその霊素を自在に操る技術を手に入れたことで、古代人は神を討ち滅ぼす力を手に入れた。二人が使ったのは、そんな魔法……いや、霊素術だったんだ」


 ミケはおもむろに右腕を持ち上げると、大空に人差し指を突きつける。


 そして、ミケの指先から光の弾が放たれた。それは空高く突き進んだ後に、少しずつ小さくなり……やがて霧散する。


「結局の所さ、魔力を使って言霊を唱えて超常現象を引き起こして相手を攻撃するより、霊素を収束・圧縮して撃ち出す方が圧倒的に速くて、強いんだよ。そして霊素を制御して方向性を与えれば、魔法と同じ現象を引き起こすことが出来る」


「じゃあ、朝の料理の時も?」


「そう。アタシがやったのは、大気中の霊素に自分の霊素を混ぜて物を動かすやり方だね。物に干渉して動かす霊素術の中でも、比較的負荷が少なくてやりやすいやり方さ」


「やり方、ということはそれって技術なんですか?」


 ミケは頷き、話を続ける。


「二人の戦いのあと、研究者達によって霊素術は体系化されて学問となったんだ。そして今では、お金を払って学校に行けば誰もが学べる技術となった。その結果、才能が物を言う魔法はあっという間に駆逐され、努力が物を言う霊素術が台頭した。再興した魔法の時代はたった一〇〇年で幕を下ろし、霊素術の時代がやって来たんだ」


 才能ある者が力を持つ時代から、学べば誰もが力を持つ時代へと。


「では、この世界では魔法は失われてしまったのですね……」


 どこか寂しげにルリは話す。だがそれをミケは首を振って否定した。


「廃れただけで、失われたわけじゃないよ。ただ、より効率のいい方法が見つかったってだけの話さ」


 そうしてミケは、人差し指を立てて何やらブツブツと呟く。


『火よ』


 最後にそう呟くと、ミケの指先にポッと火が灯った。


「ちゃんと残ってるんだよ。学校でも一応魔法の授業はあるらしいからね。現代の霊素術だと全ての魔法を再現するのはまだ出来ていないし、そういった物はやっぱり魔法に頼ることになる。ただ、やっぱりね」


 ミケは指先の灯りを消す。


「再現できるなら、こっちの方が手っ取り早い」


 そう言うと、再び指先に火を灯す。今度は詠唱もなかった。


「この世の全ての物は霊素で出来ている。当然、空気も霊素で出来ているし、空気中には空気にならなかった霊素も含まれている。そういう空気の中にある霊素を集めて、それに自分の霊素を混ぜ込んで火の力を与えて燃えるという方向性で定めてやれば、この通りさ」


 発動に要する時間も、消費する霊素も魔法よりも霊素術の方が圧倒的に効率がいい。そうミケは締めくくった。


「何というか、便利なんですね」

「ちゃんとした勉強と訓練が必要だけどね。こういうのは魔法と違って才能よりも努力が物をいう世界だからさ」

「……わたしも、出来るでしょうか?」

「出来るよ。なんなら、時間を見つけてアタシが教えてやるよ」

「いいんですか?」


 ミケは珍しく笑みを浮かべて頷いた。


「もちろん。それにこういうのは、教える側も知識の再確認になるからね。アタシにとっても勉強になる」


 ルリは頭を下げる。


「お願いします」

「それじゃ、明日にでも時間を見つけてやろうか。色々準備が必要だからね」

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