第6話 約束

「ふわぁ……」


 その光景を、ルリはポカンと口を開けて見入っていた。


 ルリの前には、大人の背丈の倍を優に超える巨大麦が生えていた。巨大麦の実は、その一粒一粒が顔くらいの大きさだ。


「スゴく、おっきい……」


 感嘆とした声を漏らすルリに、ミケが説明する。


「これは奇跡の麦って言ってね。大体四〇〇年位前に見つかった、古代人が残した遺産の一つだよ……そして、世界を変えた物の一つでもあるんだ」

「世界を、変えた?」


 ルリの言葉に、ミケは大きく頷いた。


「この巨大麦はね、成長がすっごく早いんだよ。それでいて、どんな環境でも大体問題なく育つから、今じゃ世界中でこの麦が育てられてるんだ」

「こんなに大きいのに、成長が早いんですか?」

「そう。普通の麦は収穫に何ヶ月もかかるけど、奇跡の麦はこの大きさになるまで、大体一ヶ月くらい。加えて収穫量は普通の麦の十倍以上。この麦がなかったら、今頃人間達は飢えていたんじゃないかって言われてる」


「スゴい……」


 改めて、ルリは奇跡の麦を見上げた。


 続いて案内したのは、農業区画とは反対側、カザリナ東部にある牧場だ。


「ほわぁ……」


 またしてもルリは、ポカンと口を開けていた。


 彼女の前には、平屋ほどの大きさもある、四足の牛とも豚とも思えるような獣が草を食んでいた。


「苔桃豚だよ」


 ミケの紹介に、ハッとしてルリは我に返った。


「……こんな大きな動物が、沢山いるんですか?」


 その問いに、ミケはやや困り顔をしながら腕を組んで唸った。


「んー沢山いると言えば、沢山いるね。こいつらは元々森の動物なんだ」


 その言葉に、ルリは首を傾げた。


「森の動物、ですか?」

「ああ、森の動物達は、ちょっとした理由で巨大化してる奴らが多くてね。そういうのを捕まえて、ここで放牧してるんだよ」


 その言葉を聞きながら、ルリは苔桃豚を眺める。


「触っても……大丈夫、ですか?」


 ミケは苦笑しながら首を横に振る。


「止めた方がいいよ。餌と間違えられることは……多分、ないと思うけど、踏み潰される事はあるかもしれないからね」


 ルリは慌てて苔桃豚から距離を取った。




「さて、とりあえずこれで下の方は一通り見て回ったわけだけど」


 ミケが空を見上げる。太陽は大分高い所に昇っているが、まだまだ時間はありそうだ。


「それならさ、礼拝堂にいかないか?」

「礼拝堂か。いいかもしれないね」


 そうと決めたリュカ達は牧場から商業区画へ、そして商業区画から職人区画を抜けて居住区画へと進む。


 礼拝堂は居住区画を真っ直ぐ北に、カザーブ山を登った所にあるという。


 ふと、ルリはリュカ達の住む居住区画を抜けた先にもまだ居住区画が広がっていることに気がついた。


「あれ? ここも居住区画なんですか?」

「ああ、ここは竜人達の中でも、特に強い連中が住んでる居住区画だよ。カザリナの北側というか礼拝堂には、異世界に繋がる門があってね。異世界からの侵略者に備えて、北側には強い連中が住むことになってるんだ」


 確かにここに住んでいると思わしき竜人達は、ルリには皆どれもが屈強な戦士に見えた。中には、少数だが竜化を終えた者までいる。


「異世界からの侵略者って、そんな頻繁に来るんですか?」

「いや、殆ど来ない。というか、アタシが知る限りだとこっちの門からの侵略は百年位前に一度あっただけらしい。それでも、一度あったのなら二度目があっても不思議じゃない。だからこうして異世界からの侵略に備えてるんだってさ」

「なるほど」

「あ、そうだルリ」


 そこで先頭を歩いていたリュカが、ルリの方を振り向いた。


「後ろは、絶対に見ないでくれよな」

「え?」

「いいから、見ないでくれ」


 ルリはよく分からないながらも、それに従うことにした。


 歩いて歩いて、中央通りを真っ直ぐ歩き続けてルリが歩き疲れた頃、三人の前に一件の大きな建物が現れた。


「ここが、礼拝堂……ですか?」


「そうだね。アタシ達は中に入れないけど」


 ルリが疑問の声を上げたのも無理もなかった。


 その建物は、ただ切り出した石を積み上げて作られただけの建物に見えた。一切の装飾どころか扉すら見当たらないその建物は、礼拝堂というには使われた建築様式の特徴が何も見当たらず、簡素というより虚無的な印象を受ける。どちらかといえば、倉庫とかの方がしっくりくる建物だった。


「ルリ、もう後ろを見てもいいよ」


 リュカにそう言われて、何気なしにルリは背後を振り返った。



 その瞬間、ルリは言葉を失った。



 カザーブ山は中央大陸南部の中にある山の中でもっとも高い山である。


 その中腹からは大陸南部を一望できると言う。その景色はまさに絶景とされていて、今も時々、異世界を経由して人間達がやって来る事があるくらいだ。


 ルリの眼前に広がる、カザリナという町並み。二つの居住区画、職人区画、商業区画、農業区画に牧場、そして湖……商業区画を抜けた先には大きな橋が架かり、そこから続く道は深い森の中へと続いてく。カザリナを、カザーブ山を覆うように広がる大森林の中には幾つもの丘があり、その全ての丘の上には小さく城の様なものが見える。そして森の向こうには、人間達の村と町が点々と海まで続いていた。


 それはまさに、絶景と呼ぶに相応しい景色だった。ルリは、この景色を見て……


「あ……」


 そう、言葉を漏らした。


 自分は、知っている。こういう景色を、知っている。


「どうだ、スゴい景色だろ?」


 得意げな顔で尋ねてくるリュカに、しかしルリは応えない。


「ルリ?」


 呆然としているルリに、少し不安になったリュカは名前を呼ぶ。しかしルリからの反応はない。


 どうしよう、とミケに視線で尋ねると、ミケは顔を顰めてルリの方を見ている。


 反応があるまで放っておこう、そう結論づけたミケはリュカにそう伝えると、仕方ないとリュカも待つことにした。


 そうして数分が経過した後、唐突にルリはリュカ達の方に勢いよく振り向いた。


 突然の事に少し驚くリュカ達だったが、ルリは二人を見て少し躊躇いがちに、言葉を絞り出すように語り出した。


「わたし、少しだけ思い出しました」


 思い出した。その言葉に、リュカ達は目を丸くした。


「思い出したって、どこまで? いや、どれくらい思い出したんだい?」


 ミケの問いかけに、ルリは思い出したことを整理するように話す。


「えっと、わたし、元の世界ではどこか高いところに住んでいたんです」

「高いところ?」

「はい。雲と同じか、それよりも高いところに」


 雲よりも高いところ。そう言われて二人はカザーブ山を見上げる。


 ここはカザーブ山の中腹にあるのだが、それより上は雲に覆われている。となると、大体ルリの故郷はここよりも少し高いところ、という事になる。


「それで、わたしの故郷にも、ここの様にスゴくいい景色が見られる場所があったんです。それで……」


 それで、と言葉を区切ったルリは、思い出すように、今度は目を閉じて胸に両手を当てる。


「わたしは、そこから見る景色が大好きだったんです。それでわたし、いつか故郷を出てこの目でその場所を見つめて、この足で色んな所を旅してみたいなって思うようになったんです。きっと世界中には、あの景色と同じくらい素晴らしい景色が、たくさんあるから」


 その言葉に、リュカはわかる、わかるぞ、と言わんばかりにうんうんと頷いた。


「だからわたし……旅をしていたんだと思います」


 ふむ、とミケは考える。


「となると、ルリは旅人だったんだね。それで旅の途中で事故か故意かわからないけど、異世界に繋がる門に入って、何故か記憶を失ったと」

「多分、そうだと思います」

「じゃあ、あの目玉の怪物はなんだったんだ?」


 リュカの言葉に、ミケは口元に手を当てて思案する。


「旅って言っても、安全な旅だとは限らないからね。場所によっては、ああいう怪物が居るところもあるかもしれない。アタシ達の世界だって森の中に入れば瘴獣達がうじゃうじゃいるだろ?」


 それもそうか、とリュカは納得した。


「あ、そうだ」


 そういって、リュカはルリの手を取る。


「それならさ、ルリが記憶を取り戻したら、一緒に旅をしようぜ!」


 ぱちくりと目を瞬かせて、ルリは少し戸惑う。


「一緒に旅を、ですか?」

「おう。オレさ、父ちゃんと母ちゃんを探す旅に出たいんだ」


 リュカは、ルリに自分の今までを話した。両親が行方不明になり、その両親を探すために自分が巡礼の旅に出ること。その条件として、課題を与えられたこと。そして現在、最後の課題の真っ最中だということも。


「それでさ、その旅に、ルリも一緒に行かないか?」

「はい、是非!」


 ルリは迷わなかった。笑顔で頷くルリを見て、リュカも笑みを浮かべた。


「それじゃあ、決まりだね」


 やりとりを見ていたミケが、頷く。


「とはいえ、まずはルリの記憶を取り戻す方が先決かな。あと、戦い方も思い出さないとね」




 日が暮れた後、リュカが最後に見せたいものがあるといって、リュカ達の住む南側居住区画の西側へと足を運んだ。向かっている途中で日は完全に沈み、夜の帳が下りてくるが、リュカは気にせず進む。


 カザリナの西側には、大きな湖があった。そこでは普段魚を釣ったり水浴びをしたりしている戦人で賑わっているのだが、夜になるとまた違った姿を見せる。


「すごい……」


 その光景に、ルリは感嘆の声を漏らした。


 夜空には星々が輝いており、闇を湛えているはずの湖を月明かりと共に照らしている。


 月と星に照らされた湖は、まるで合わせ鏡のように夜空を映し、夜空と同じ星々を水面に輝かせていた。


「この時間の湖は、オレのお気に入りの場所なんだ。どうだ、ルリ?」


 リュカが声をかけても、ルリはぼぅっとその景色に見惚れていた。


「綺麗……こんな景色が見られるなんて」


 景色に心を奪われて心ここにあらずなルリの様子を見て、リュカは連れてきて良かったと満面の笑みを浮かべた。

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