最終話 晶君は都子ちゃんを嫁にしたい


 宴もたけなわ。


 陽もすっかり落ちてしまい、催し物もひと段落。

 本日旧暦6月は水無月の末。

 月はほとんどなく、星の主張がいつもより激しい。


 暗闇の中、煌々と随分小さくなった櫓が存在感を放っている。


 周囲は静かだ。

 だけど人が減ったというわけじゃない。


 これから始まるのは本来のメインイベント。


 主役はあたしと晶。

 祭りの準備ですっかり忘れていたけど、元々は晶を男の子に戻す為だったんだよね。


 今はその準備に向けての準備が進められている。

 あたしと晶は楽屋で待機中だ。


 ちなみにあたし達の格好は祭りの開始の時と同じ衣装。

 汗だくだしお酒もかけられたしで私服に着替えようとしたら、予備を渡されたのだ。

 何それ用意周到すぎない?

 真琴ちゃん、おばさんを見る目が尊敬から崇拝に変わってたよ?


「ちょっと緊張するね」

「うん」


 どこか不安げに頷く晶。


 これから晶は男の子に戻る。

 あたしが顔も思い出せない男の子に。

 そして、隣に居る女の子は居なくなる。

 どっちだって同じ晶だ。

 だけど、ちょっぴり物悲しく感じてしまう。


「ねぇ、あきら」

「なに、みやこちゃん」

「最後におっぱい揉んでいい?」

「…………………………は?」


 何言い出すんだこいつ?

 目が口ほどに、そう語っていた。


「ちゃんと揉んだこと無かったしさ。最後にちょっとだけ。ね、お願い?」

「えぇぇええぇぇ」

「だってほら、あたし大きくないしさ、だからどんな感触なのかなぁって」

「そ、そんな事言われても……」

「こんな事、頼めるのあきらしかいないし」

「う、ううぅ~」


 羞恥に顔を真っ赤にさせながらも、『あきらしか』という単語に満更でもない様子。

 押せば落ちそう……ていうか晶って前々から思ってたけど、ちょっとチョロインじゃ?


「み、みやこちゃんだから許すんだからね! わかってる? みやこちゃんだからだよ?!」

「うんうん」

「す、好きじゃなかったらヤらせないんだからね?!」

「あたしだってあきらが好きだから揉みたいんだよ?」

「も、もぅっ!」


 何故か大切な儀式をするかのように、身構えて正座した晶。

 あたしはその背後に回る。

 基本的な作りは浴衣や振袖と似たような構造なので、脇のところから手を入れた。


 やんわりと直に触る晶の胸は、その感触よりも、倒錯的なことしている背徳感とも征服感とも優越感にも似た思いがあたしの胸に広がっていく。


 あ、やばい。軽い好奇心だったのにドキドキしてきた。


「え、ちょっ、生で?」

「ダメ?」

「だ、ダメじゃないけど……そ、その前にキスして」


 そう言って小さな身体をあたしに擦り付けてくる。

 胸に添わせているあたしの手にも力が入る。


 なにこれ可愛い反則じゃない?


「みーちゃん……」

「あーくん……」


 晶は熱い吐息をもらし、潤んだ瞳で物欲しそうに見詰めてくる。

 あたしの喉がゴリクと鳴る。


 そういえばキスをしたのって、お互いが不意打ち同然でやった2回だけ。

 こういう風に両者合意の下にするのって初め――


「ごめん、邪魔したかな?」

「わ、悪ぃ」

「つかさちゃん! それに……沢村君?!」

「~~~~っ!」


 …………


 うん、見ようによっては致そうとしていた風に見えるよね。


「く、くくく楠園は童貞じゃないって言ってたし、そそそそういうこともな?」

「都子……そっちの趣味だったの?」

「違うから! でもどうして2人がここに?」


 名残惜しく思いながら晶から手を離し、意外な組み合わせの2人に問いかける。


「そりゃあ都子に振られた者同士、どうなるのか見に来たのよ」

「まぁな。何かの区切りになると思ってさ」

「江崎さん、沢村君……そっか」


 2人の視線はあたしより晶。

 特に沢村君とは、何か分かり合ってるように頷きあい、ちょっと嫉妬する。


『ミヤコ、準備ができたぞ』

「ウカちゃん! 大丈夫、すぐ行く」


 外から掛けられた声にそう応えた。


「行こ、あきら!」


 差し出すのは左手。

 その手を掴むのは晶の右手。


「うん!」


 あたしが右で晶が左。

 幼い頃から幾度となく繰り返してきた定位置。


 きっと、顔を覚えていない男の子に変わったとしても、この手を離さなければ大丈夫。

 そんな安心感が左手から伝わってきた。




  ◇  ◇  ◇  ◇




 わずかに残った火種が地面を舐めている。

 時々パチパチと爆ぜる音がする。

 薄闇の中で辛うじて相手の顔がわかるくらい。


 周囲は静謐ともいえる沈黙と夜が支配していた。


 会場の中心では、闇を照らす星々の支配者然としたミカが、あたし達を待ち構えていた。


『来たな』


 ミカの言葉が合図となって、ウカちゃんとウカパパさんを中心に何かしらの儀式が始められる。


 雅楽っていうのかな?

 独特の節と音色が響き渡り、天女のような衣装を纏ったウカちゃんやウズメさんが舞いを始める。


 晶と繋ぐ手に力が入る。

 さすがのあたしも緊張している。

 握り返される手が心強い。


「あきら」

「みやこちゃん」


 お互い名前を呼び合い、顔を見合わせる。


 腰まで伸びた長い髪。

 見下ろせばつむじが見えるくらいの小柄な体躯。

 少し幼げで可愛らしい顔。


 この二ヶ月で随分見慣れたけど、これで見納め。


 思えば色々とあったよね。


 いつも傍に居て、これからも変わることなんて無いと思い込んでいた。

 変わってしまうことを畏れてた。


 だけど、変わってしまった。


 不安はある。


 それよりも、これからのあたし達への期待の方が勝ってしまう。

 きっと何があっても、隣には晶がいるだろう。


 だから進もう。


「行こう」

「うん」


 手を繋いだまま、ゆっくりとミカの前にまで行く。

 向かい合うのは過去に縛り付けた自分達。


『キミのおかげでミカは救われたと思う』

「そっか」

『その、悪いことをした』

「許す!」

『だから――……え?』

「あたしが許す!」


 あたし達だけじゃなく、ミカも色々変わったのだろう。

 そして、色々やらかした過去の自分を許せないのかもしれない。

 あたしに謝ろうとしたのも、その一環だろう。


「悪いことをした。反省した。皆もわかってくれた。ならもういいじゃない。ミカが許せないならあたしが許す!」

『キミは本当に……』

「あと、自分を変えられたご褒美もあげなきゃね」

『ご褒美?』

「人生飴と鞭、苦味と甘味、つまり抹茶だよ抹茶」

『ここでも抹茶か』


 くすくすくすと、笑いあう。

 脳裏で何度も聞いたものより、随分楽しそうな笑い声だ。

 隣の晶はまたかと言いたげな顔で苦笑い。


「みやこちゃんは、ほんとみやこちゃんだよね」

「むぅ、どういう意味さ」

「そのまんまの意味」

『うむうむ』


 雅楽の音楽も盛り上がり、ウカちゃん達の舞いも激しさが増して行く。

 いよいよクライマックスというところか。


「ね、ミカはどんな願いを叶えたい?」

『ミカの願い……そんなの考えたことなかった……』

「自分のために叶えちゃいなよ。それくらいならあたしが許す」

『そうか、実はなりたいものが出来たんだ』

「なりたいもの?」


 もしかしてモデルとか、さっきの舞台で味をしめてアイドルとかだろうか?

 オーディションの因果律を操作して自分を合格させる気とか?


『キミみたいな素敵な女の子になりたい』

「あたし?」

『さすがのミカでもカミを女の子に出来ないけどね』

「「え?!」」


 あたしと晶の声が重なる。

 へ、へぇ、ミカって男の子だったんだ。


『だからせっかく可愛いのに、ムサイ男に戻りたいとかわからない』

「みやこちゃんは女の子だから……だからボクは男に戻りたい」

『……ミカにはよくわからないな』


 2人の視線があたしに向けられる。

 男と女ってのは違うモノだ。

 あたしだってまだよくわかっていない。

 そのあたりはまだまだお子様マインドだ。


 だけど、互いに違いつつも一緒に味わうからこそ良いものがあることをしっている。

 そう、それは――


「男と女はね、寿司よ」

『す、寿司?』

「いずれわかる時が来るわ」

『そ、そうか……』


 ミカの瞳は当惑で溢れていた。

 晶はそっと顔を逸らしていた。

 あ、肩が震えている。

 むぅ。


「で、女の子に出来ないのなら、どうするの?」

『生まれ変わるんだ』

「生まれ変わる?」


 ウカちゃんの言葉を思い出す。

 夏越の祓えには穢れを祓うだけでなく、生まれ変わりも意味するんだっけ。


 そんなあたしの疑問とは別に、儀式はどんどん進んでいっていた。

 注連縄土俵の内側が星のような鈍い光を放ち始める。



『――に神留かむづまりす――――』



 突如、ミカが祝詞っぽい言葉を紡ぎ始めた。

 まるで蛍が乱舞するかのように、星に似た輝きがいくつも生まれ、天に昇っていく。

 流れ星の逆、昇り星と言えばいいのかな?


 幻想的な光景に、思わず言葉も無く魅入ってしまう。


 ただ、これは予定に無かったのか、すわ何事と、音色もウカちゃん達も動きを止めてしまった。



「大丈夫、大丈夫だから続けて!」



 あたしは大声を張り上げる。


 しかし準備から手伝ってくれたものはともかく、今日始めてミカを見たものは困惑というより恐怖に顔色を染めている。


 それだけミカは畏怖の対象だっていうの?

 ただの可愛いもの好きな子なのに。



「――みやこちゃんがいるっ、大丈夫だから!」



 あたしの言葉を後押しするかのように、晶も声を上げた。


 それが切っ掛けとなり、ウカちゃんが再び舞い始める。

 ウカちゃんに続き、ウズメさん達も再開させる。


『おめーら、ブルって縮みあがってんじゃねぇっ!』

『姐さんの事が信じられないってぇのかっ?!』


 タケさんとフツさんも楽器を持った人たちを鼓舞する。

 再び音色が響き渡り始める。


『なぁに、あの姐さんさえ居れば問題あるめぇ! どぉんと構えてみてればいいのよ!』


 最後にウカパパさんが大きな笑い声と共に、腕を組みながらドカッと地面に座り込む。


『す、須佐之男すさのを様がそう言うなら』

『ああ、邪神調伏の巫女様……』

『さすが姐さん、武神の調停者』

『一生着いて行きますっ!!』



 これらの姿に安堵した空気は、瞬く間に広がって落ち着きを取り戻す。



 …………


 あっるぇ? なんかあたしのせいっぽい空気なんだけど??


「さっきの、ボクにはみやこちゃんがいるからって、自分に言い聞かせただけの言葉だったんだ……」

「え、えーと……」


 この予期せぬ事態にそういうつもりじゃなかったと告解する晶の顔は、若干青褪めていた。


『まったく、キミには最後まで驚かせられる』


 ミカには呆れる様な、感心するような感じでため息をつかれた。


「だってみやこちゃんだから」

『それもそうだな』

「なによそれ」

『だから、今度はキミみたいな素敵な女の子に産まれたい・・・・・

「え、それって」


 ミカの身体が光に包まれる。

 闇夜においては月ほど明るくは無く、だけどどの星よりも明るく輝く。


 まるで宵の明星がそこに顕現したかのようだった。


 確信に似た予感があった。

 儀式と共にミカは消えてしまう。

 それが何を意味するかはわからない。


『また会おう。その時にはお寿司を教えてね』

「うん、約束だよ。必ずまた会おうね」


 光は収束し、あたし達にも降り注いでいく。


「ボクは、ミカに感謝しているよ!」

『え……?』

「ミカが居なきゃ、みやこちゃんとこんな風になれなかったからっ、だからっ」


 そこで言葉を区切り、どこまでも優しい顔で――


「ボクもまた会いたい」

『あ、ああ……』


 余程意外だったのか、ミカの頬に一筋の光が流れた。

 何かを決意を秘めた瞳のまま、どこまでも印象に残る笑顔で、光となり空へと上っていく。



 儀式が終わり、あたし達の幼年期が終わる。


 これから歩み始める日々を前に、最後の問いかけをする。



「あきら、男の子に戻りたい……?」

「…………みやこちゃん?」


 あの日の観覧車で投げかけた、変化の始まりの言葉。


「………………戻りたいに決まってるでしょ」


 わかり切っている事を聞くなと、ため息交じりに答える台詞は、やはりあの時と同じだった。







「だ、だってボクはみやこちゃんをお嫁さんにしたいんだからっ」


「っ?!」





 不意打ちだ。

 そんな見惚れる笑顔で言われたら何も言えなくなっちゃう。




「あたしだって、あきらをしあわせにしたいんだからっ」


「なにそれっ?!」




 何それと言われても困る。

 あたしもよく考えずに言っちゃっただけだし。


 あ、でも晶が笑ってる。

 あたしの大好きな笑顔が、大好きな男の子へと重なっていく。



 星の光があたしと晶を包み込む。







 その日ひとつの星が天へと昇り消えていった。


 そして、あたしと晶は新たな日々を歩みだした。

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