第72話 真っ直ぐな人


 翌日の天気は、太陽が恨めしくなるくらいの快晴だった。

 外へ一歩踏み出せば、たちまち汗が吹き出るくらい。

 朝でこれなら、昼間の気温を想像するだけで滅入ってしまう。


「お、おはよう、みやこちゃん」

「お、おはよ、あきら。今日はもう大丈夫なんだ?」

「う、うん」


 互いに交わす挨拶もなんだかぎこちない。


「べ、別にあたしはああいう時くらい甘えてくれてもいいんだけどね」

「だ、ダメだよ!」

「うわ!」


 突然羞恥で顔を真っ赤にした晶に叫ばれびっくりする。


「だ、だって甘えちゃったらボクがダメになっちゃうもの! み、みやこちゃんには頼れる男って思って欲しいし……」

「そ、そっか!」


 頼れる男っていう言葉に、ズキリと胸が痛む。

 きっと男としては意識できないという事に気付いてしまったからだ。

 いつもなら内心で男じゃなくて嫁だから! なんて突っ込んでいたに違いない。










 一昨日までとは違った微妙な距離感で通学路を一緒に歩く。


 きっと、内心が変わってしまったのはあたしだけ。

 そんな罪悪感からか足取りが重く、意識せずとも晶と歩調が一緒になってしまう。


 あたしの心を知ってか知らずか、あたしの足元と顔を交互にちらりと見て嬉しそうにして顔を逸らす晶を見ると、より一層罪悪感が募る。

 だからといって『違うの』なんて言えない。



『みやこちゃんが変わっちゃったと思ったんだ』



 いつだったか、期末テストの勉強中に晶があたしと疎遠になった時の心の内を言ってくれたことがあった。

 今のあたしがそれに当てはまり、ゾクりとする。



『みやこちゃんの隣を歩くのが嫌だったんだ』



 違う違う違う違う。

 その台詞の前に色々言ってたじゃない。


 ――デモ、実際ハ


「うるさっ」

「みやこちゃん……?」


 何か悪い考えを振り切るように叫んだ言葉が飛び出してしまった。

 隣には、心配そうにあたしを見上げてくる晶の顔。

 それを見て、あたしの顔が引き攣ってしまうのがわかる。


 違う、そうじゃない。

 晶は悪くない。悪いのはあたしだ。

 なんて身勝手なんだろう?

 だから、あの時もあき――


「みやこちゃん」

「あき、ら……?」


 その眼差しは強い意志が篭められていて、何故かとても男っぽいと感じてしまった。


「怖い顔してる」

「そ、そうかな?」

「ボクはみやこちゃんが好きだよ」

「え、何を急に……」


 そういって、あたしの右手を握ってきた。

 晶の顔は、どこまでも優しく包み込むように笑いかけてくれている。

 握られた手はとても温かくて、それだけで不安だとか心配だとかそういったものは、あっという間に氷解して吹き飛んでしまう。

 我ながら単純だ。


「そ、そういうことだからっ」

「あっ……」


 もう限界、とばかりに顔を赤く染めた晶が手を離す。

 多分物凄く恥ずかしがっている。 

 あたしはというと、離された手がとても寂しく感じて……ああ、そうなんだ。

 きっと色々難しく考える必要なんてないのかもしれない。



 さっきまでと、そして一昨日までとは違った微妙な距離感で再び通学路を一緒に歩く。


 今はその足取りは随分と軽い。



  ◇  ◇  ◇  ◇



 親鳥を後を追う雛、というほどでは無いけれど、あたしから半歩だけ遅れて着いてくる。

 横を歩けばいいのにと思うけれど、今は顔を見られたくないらしい。

 さりとて離れたくないのでこの位置取りというわけなのだ。


 あたしとしては、見えないところから感じる晶の視線がむず痒い。

 悪い気はしないし、傍から見ても微笑ましい光景だと思う。


「ほら、あの子が女の子になったっていう元男子の」

「ちょっと前まで小さい子の方がべったりくっついてたよね?」

「付き合い始めたみたいで初々しいわ」

「元男子とはいえあの高身長ならお姉様と呼ぶのはありかも」

「きっとやおい棒で一線越えちゃったのね」

「百合尊いでござる百合尊いでござる」


 忘れがちだけど、晶は噂の人である。

 男の子が女の子になっちゃったんだもの、それはよく目立つ。


 積極的にアプローチしていたかと思えば、遠慮がちにあどけなく好意を寄せる振る舞いに変わったら、何かあったと想像を掻き立てられるのを誰が止められようか。


 でもあたしが元男子の方って噂も流れてるよね?

 ま、まぁ、あたしも同じ立場なら逆だと言われても信じてしまうけれど。


 あと眼鏡ちゃん、その風評を流すのは止めてくれないかな?!

 無いから。生えないから。

 あとあたしに百合の気はないから。

 たまたま晶が女の子なだけだから。




 そんな奇異と興味と生暖かい視線を受けながら校舎に入っていく。

 晶じゃないけど、日に日に強くなる噂と視線は正直堪ったもんじゃない。

 もうすぐ夏休みだというのが救いかな。


「よぉ、宮路。楠園。」

「沢村君」

「沢村、くん」


 昇降口の靴箱では、沢村君があたし達を待ち構えていた。

 昨日言われた言葉を思い出し、神経を張り詰めさせてしまう。

 そんなあたしの変化に気付いたのか、晶にも緊張が伝播する。


 そもそも、最近噂の中心であるあたし達に話しかけてくるなんて、沢村君も存外に肝が太いな。

 あたしなら、渦中の人物に突撃なんてとてもじゃないけど出来やしない。


 裏を返せばそれだけの覚悟と、重要な用事があるという事だ。


「あー、俺の用件は楠園、お前の方だ」

「ボク……?」


 晶はそれが予想外だったのか、その瞳は戸惑いつつ、あたしと沢村君の顔を行ったり来たりする。

 あたし達を遠巻きに見ていた外野も、息を殺して動向を見守っている。

 これってまるで修羅場みたいに見えるのかな? なんて暢気に考えてしまった。


 あたしは昨日聞いていたので特に驚きは無い。

 晶の視線には大丈夫、聞いてあげてと頷き返してあげるだけだ。


「俺は男として楠園、お前と話がしたい」

「……わかった。ボクも男として沢村君と話がしたい」


 そのやり取りで、一気に外野が色めき立つ。

 『三角関係』とか『ついに決着か』とか、無責任で興味本位の野次に少し腹が立つ。

 あと『せ、精神的には男同士……キマシタわーーっ!!』って叫んでるの眼鏡ちゃんでしょ?!

 無いから。晶もやおい棒生やさないから。


「そうか……放課後でいいか?」

「うん、いつでもいい」

「じゃあな、場所はあとで連絡する」


 やり取りは簡素に、だけどお互い通じ合ったのか神妙な顔をして沢村君は先に行く。


 男同士の話、か。



『楠園の在り方は男だろう?』



 いつだったか、沢村君が晶をそう評していたのを思い出す。

 ああ、沢村君は真っ直ぐに晶を見ているんだ。


 …………多分あたしと違って。


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