第71話 願いと呪い


 街の外れの遺構近く、まだ朝も早いというのにどんちゃん騒ぎが繰り広げられている。


 そんな騒ぎに負けないくらい、あたしの胸もざわめいていた。


 楠園晶。


 女子力が高い、嫁にしたいくらいの幼馴染。

 今は女の子になってしまった男の子。

 晶を思い浮かべると、可愛らしい美少女の姿が思い浮かびあがる。

 いくら男の子の姿を思い起こそうとしても――…………


 ――男の子としての晶を拒絶している。


 あ、なにこれ。

 胸の動悸が収まらない。


『ま、あれだ。葦原平定した時以上のメンツで準備進めてるし、強引にでも元に戻してやんよ』

「う、うん……」


 周囲からは『任せとけ!』『何も心配すんな!』『天鳥船あめのとりふねに乗ったつもりで待っててくれよ!』等と応援の声も聞こえてくる。


 もし、晶を男の子として見られないという呪い願いが解除されたらどうなるのだろう?

 あたしは、今と晶を見る目が変わってしまうのだろうか?


 ――男の子に戻ったら、今と同じ笑顔は見せてくれない。


「い、いやっ」

『ミヤコ?』


 そんな不安が胸を駆け巡って、図らずとも口から悲鳴のように飛び出てしまった。

 心配そうにあたしの顔を覗くウカちゃんに気付き、我に帰る。


「い、いやぁ、学校遅刻しちゃったなぁって今更ながらにね……?」

『そういやそうか。送ろうか?』

「い、いいよ、別に。でもそろそろ行かなきゃ」

『ミヤコ!』


 心の内を誤魔化すように、悟られないように立ち上がり、制止するウカちゃんを尻目に学校に向かって走り出した。


 走ったところで遅刻は確定だろう。

 既に1時限目の予鈴が鳴っている時間帯だ。


 それでも――


 男の子に戻った晶をどう思えるか、意識できない自分が怖かった。

 走って恐怖を誤魔化すことしか出来なかった。



  ◇  ◇  ◇  ◇



 学校に着いたのは1時限目の終わるかという時間だった。

 あちこちから聞こえる授業の声を聞きながら歩く廊下は、気まずさからか自然と忍び足になってしまう。

 たしか今のうちのクラスは英子ちゃん先生の英語だったかな?


「すいません、遅刻しました」

「宮路さん遅刻と。あれ、楠園君は?」

「あー、あきらは休みです」

「あら、珍しいわね」


 案の定、晶の事も聞かれた。

 担任にまであたしと晶がワンセットと見られているのだろうか?

 少なくともクラスの皆にはそう見られているようで『楠園君と何かあったの?』『宮路さんだけ?』『夫婦喧嘩?』といった囁き声が聞こえてくる。


 まるで責められているかのようで居心地が悪い。

 遅刻しただけによけいにね。


 …………


 10分にも満たない気まずい1時限目をやり過ごしたものの、休み時間になっても剣呑な空気は続いていた。


「楠園君、休んじゃうくらい重いの?」

「そういえば先月、教室で倒れちゃったよね?」

「精神的にも弱っちゃうケースも結構あるし」

「うちは食欲に悩まされちゃって……」

「おめーはいつもだろ!」

「顔がむくんだり、肌荒れ酷くなったりしたら、好きな人に見せられないよね?」

「「「「多分それだ!!」」」」


「い、いやぁ、どうだろう? あは、あははは……」


「普段からみやこっちはガサツだからその辺のこと無頓着だし」

「楠園君、いつも宮路さんの事気に掛けてるの気付いてるでしょ?」

「そうよ、こういう不安定になってる時くらい支えてあげないと!」


 晶の欠席の理由を女の子の日だと説明したのだけれど、何故か『日々の感謝をちゃんと口に出して言ってる?』とか『髪とか服とかいつもと違うことに気付いたら褒めてる?』とか、ダメな旦那に奥さんをちゃんと労わないとな方向にシフトして困惑する。

 男の子の晶が意識できなくなっているということに気付いたばかりということもあり、なんていうか、胸が痛い。


「ほらあんた達、散った散った。都子も困ってるでしょう?」

「つかさちゃん」


 そんな窮地を救ってくれたのはつかさちゃんだった。

 なんだかんだで本当に困っている時に助けてくれるのは、親友だって思う。

 パンパンと手を叩きながら野次馬を追い払ってくれる後姿は頼もしい。


「で?」

「え?」

「都子、悩んでんの?」

「わかる?」

「そりゃ、ずぅっと見てきたからね」

「うぅっ」


 悪戯っぽい目でそんな事を言ってきて、思わずドキリとしてしまう。

 そうして、してやったりとニコリとしたりする。


「ね、つかさちゃん、あき――」

「ストップ。楠園君の事についてなら何もアドバイスしないよ」


 ピシャリとあたしの台詞を遮って、そんな事を言った。

 そういえばあたしとつかさちゃんは親友だと思って入るけれど、振った振られたの関係でもあるのだ。

 笑い話に出来るほど時間が経っているわけでもなく、相手に色恋沙汰で相談するにはデリカシーが足りないよね。


「えっとその、ごめん」

「ん、勘違いしないでね」

「え、どういう?」

「楠園君とは、その辺お互い干渉しないって約束してるんだ」

「約束?」

「私と楠園君、お互い無理強いしなきゃやることに一切手出し口出しはしないってね」


 いつの間にそんな約束をしてたのだろう?


「そう、なんだ」

「だから、何も言ってあげない。悔しいからね」


 そう言って意地悪く笑うつかさちゃんは、どこかすっきりした顔をしていて――


 ……そしてとても綺麗に見えて――


 ――それが今のあたしには眩し過ぎた。













 晶が休みということは、今日のお昼は必然的に学食か購買になる。

 なんだか走る気力が無かったので、売れ残りのジャムつきコッペパンを片手に校舎をウロウロする。

 教室に戻るとクラスの皆の目が気になることもあって、中庭のベンチに腰を降ろす。


 ついつい、手の中のパンとお弁当を比べてしまう。


 別に催促もしてなかったけど、当たり前のようにいつもお弁当を作ってくれていたんだよね。

 彩りや栄養バランスもしっかり考えられているし、ただの趣味で作ってくれるという領域を超えている。


 どうして作ってくれていたか、だなんてわかってる。

 これが胃袋を掴むという作戦なら大成功だ。

 もはやあたしは晶に餌付けされちゃっている。


 だけど、男の子として女子の胃袋を掴むってのはどうなんだろう?

 やっぱり嫁っぽいていうか、なんというか。

 それがなんだかあたし達らしくって思わず笑みが零れてしまう。



『男として、みやこちゃんが大好きなんだから!!!』



 頭の中で何度もリフレインする観覧車での告白。


 男として、男としてか…………


「ぅぇっ」


 強引に男の子だった晶を意識しようとしても、何か嘔吐えずく様な気持ち悪い感覚だけが沸き起こる。

 それが、真剣に晶の事を考えられないみたいで、申し訳ない気持ちになる。



 ――カレだけカナ?



 ……今思えば、沢村君の時も、男の子になってた時のつかさちゃんの時も、どこか拒絶感があったかもしれない。

 もしかしたら願い呪いのせいで、男の人は誰であれ異性として意識できないのかもしれない。



「宮路、ちょっといいか?」

「沢村、君」


 もそもそとコッペパンを齧っているあたしに、声を掛けてきたのは沢村君だった。

 どこか緊張した面持ちで、身体も声も硬くなっているのがわかる。


 あたしに対する用件なんてわかっている。

 だけど、今の状況であたしは沢村君に誠実に応える事が出来るだろうか?


「楠園、明日は来るか?」

「あきら?」

「あいつと話したいことがあって」

「わかんないけど、多分明日は来ると思う」


 どういうこと?

 あたしじゃなくて晶?


「そうか。じゃあ明後日、俺に時間くれ」

「う、うん」

「邪魔したな」

「あっ……」


 あたしに何かを言わせる暇もなく、言うだけ言って足早に去っていった。


 晶と何か話してから、あたしと話すと言うこと?


 でも、それは……



 ――クスクスクスクス


 頭の中に、癪に障る甲高い笑い声が響く。


 うるさい!


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