第68話 恋する乙女
暗く閉め切られた教室。
静かで、しかし興奮を隠せない複数の息遣いが密室で響く。
それは秘密事めいていながら、どこか弾劾裁判じみていた。
あたしはいつぞやの漫画の眼鏡ちゃんに連れられ、家庭科部の部室に軟禁されていた。
周囲には家庭科部の部員達や何人か見慣れない女子達がおり、取り囲まれている。
「宮路先輩、少しいいですか?」
「な、何かな?」
代表して眼鏡ちゃんが口を開く。
まるで魔女裁判を行う審問官のような雰囲気で、その瞳には狂気にも似た光を湛え、有無を言わさぬ迫力があった。
「楠園先輩の事です」
「あきらの?」
晶の話題を出され、思わず胸が跳ねてしまう。
そして、ああやっぱりな、と納得してしまった。
晶の告白から3日、身だしなみや仕草に気を払ったり、ふとした時の憂いた表情が話題になっていたのだ。
ただでさえ美少女だったのに、その可愛さ可憐さに一段と磨きがかかったと。
女の子が自分をこうまで磨くとなれば、皆が考え付くところは一緒。
そして何より、明言こそしていないものの、晶があたしを意識しているのは一目瞭然だ。
昨日、それを理解していない1人の男子がこんなことを言った。
『楠園殿、拙者の為に可愛くなってくれたのでござるな? 元男子ゆえ悩みに悩みぬいたが、晶きゅんを受け入れることにしたでござるよ!』
それはもう酷い事件に発展した。
空気を読めない男子に対するクラス皆の行動は素早かった。
そして凄惨だった。
特に女子。
制裁とはかくもあらんという行動が展開された。
その後何故か『晶君を応援する会』というものが結成された。
活動内容は、女子が好む女子の研究。
完全にあたしは蚊帳の外である。
きっと、眼鏡ちゃんもそれらに類することを聞きたいに違いない。
眼鏡ちゃんは大きく深呼吸をし、お腹に力の入った厳かな声で問いかける。
「
「メスお……え? え?」
何言ってんの、この人?
「楠園先輩、最近完全に
「待って、ねぇちょっと色々待って」
鼻息荒くあたしに詰め寄る眼鏡ちゃんと、頷き合う周囲の女子達。
どうしよう? 言葉は通じているはずなのに意味が全くわからない!
「いいえ、待てません! いじらしく髪や身だしなみを気にしつつ、時折切なげに憂いた表情でつくため息……あれは完全に
「落ち着こう? ね? 落ち着こう?」
「宮路先輩どうですか?! どう思いますか?!」
「ど、どうかと思います」
眼鏡ちゃんの思考が。
どうしよう、どこから何に突っ込めばいいか全くわからない!
「故に! 我々が聞きたいことは唯一つ!」
ガタッと勢いよく立ち上がり、ズビシと音が聞こえそうなほどキレのある指をさして問い詰める。
「宮路先輩、楠園先輩をやおい棒で屈服させましたね?」
「や、やおい棒?」
「しらばっくれるつもりですか?! やおい棒とは、愛しい男性を愛する為に乙女が生やす事が出来る愛の器官のことですよ!」
どこの世界線の話だろう?
そんな器官聞いた事もないし、聞いても理解できないことだけは嫌でもわかる。
そもそも男女なら普通にすればいいっていうか、見ててないで助けて部長さん!!
「姫様にやおい棒……そんなアプローチ方法があったとは……攻め、いや誘いうけ……どっちにしても積極的に動く事が」
その部長さんはやおい棒という単語から、いつもの姫様トリップの沼に旅立ってしまっていた。
あれは当分戻ってこられまい。
全くブレないなぁ、部長さんは!
「やおい棒ってどんな感じですか? 普段は何もないんですか? 興奮すると生えてくるんですか? 将来彼氏が出来たときに是非聞いておきたいんです!」
「ないから。わからないから。生えてないから」
一体眼鏡ちゃんは、彼氏ができたら彼氏をどうしたいのだろう?
後ろで頷いている人たちも一緒だからね?
鼻の穴を大きくさせてスピスピ言わせながら迫る様は、なるほどこれはゾンビに追い詰められているように感じてしまう。
なるほどみんな腐っていますからね!
ジリジリと部屋の隅まで追い詰められ……ちょっと! あたしの股の方を見ないで!
無いから! 生えてないから!
ひぃぃいぃぃ助けて、晶!
『~~~~~♪』
「! スマホ! スマホが鳴ってるから!」
これ幸いとスマホを十字架のように掲げ、腐女子どもを退ける。
メッセージの送り主は晶だった。
助けを求める心の声が届いたのかな?
『今日は先に帰るよ』
内容は女の子になってからは初めての、一緒に帰らないという旨だった。
◇ ◇ ◇ ◇
ズンズンと、廊下を歩む足がついつい大股になってしまう。
なんとなく釈然としない気持ちを廊下に八つ当たりしてるみたいだ。
乙女らしからぬ行動だけど、放課後の廊下は人気がほぼ無いし、これくらいは大目に見てよね。
晶が男の子だった頃、放課後一緒に帰らないことなんて多々あった。
むしろ部活も別だし、一緒に帰ることの方が珍しかったかもしれない。
今まで特殊な状況だったから、こう、なんていうかその、うぅううぅう~~っ!!
最近あたし以外の女の子と仲良く話をしていることも多いし。
なに? 観覧車で言った事とかやった事とかどういうつもりだったの?
『――――――』
ああ、もうなにさ、なんなのさ!
…………はぁ、あたし情緒不安定になってるな。
「宮路、随分遅いんだな」
「沢村、君」
昇降口のゲタ箱で、沢村君が待ち構えていた。
壁にもたれかかりながら腕を組む姿は夕日に照らされ、随分様になっている。
…………
晶の事が眼鏡ちゃんの学年にまで知られていると言うことは、当然沢村君の耳にも入っているということだ。
待ち構えていたということは、晶が関係しているということだろう、
ていうか、どういう件かは大体わかる。
そこまであたしは鈍くない。
「今じゃなくていい、今度俺に少しだけ時間をくれないか?」
「…………うん、わかった」
「そっか、よかった」
心底安堵した顔で、あたしにそう笑いかけた。
沢村君は真っ直ぐだ。
それはもう、眩しいほどに。
そして愚かしいほどに。
いつだったか晶が呼び出され、襲われた時を思い出す。
また、つかさちゃんの時だってそうだ。
沢村君は晶やつかさちゃんをどう言ってたっけ?
「実はな、俺も心の整理と覚悟がまだなんだ」
「そう、なんだ」
そう言って沢村君は照れくさそうにしつつも、何かを誤魔化すかのように頭を掻く。
「じゃ、またな」
「うん」
…………
……………………
放課後昇降口に1人佇む。
みんなに置いて行かれている――
しばらくの間、そんな思いで身動き出来ずにいた。
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