第66話 甕星


 どこか白くてふわふわした場所を走っていた。


 はいはい、メレンゲメレンゲ。

 さすがに何度も見ていると慣れてくる。


 こうやって、あたしをしっかり意識してみれば……ほら、あたしという存在が形作られていく。

 走っているというのは思い込みだ、実際にそんなことはない。


 ともかく、一体ここはどういう所なのだろう?

 周囲は一帯白くてふわふわしている何か。

 何か、というよりまるで霧の中にいるみたいな感じ。

 霧の中をやみくもに走るなんて、五里霧中って言葉を連想しちゃったり。



 ――クスクスクスクスクスクス



「誰?」


 突然、子供特有の甲高い笑い声が響き渡った。山彦のように反響して、何重にも重なって聞こえ――

 …………あれ?

 ここってどこか外の広い所のような場所だと思っていたのだけど、違うの?


『待って、待ってよ!』

「ぅわっ!」


 さっきとは違う声がしたかと思えば、小さい女の子がぶつかりそうになりながら走り去っていった。

 小さい女の子……? いや、違う。あれは幼いあたしだ。


『置いてかないで!』

「ぉっと!」


 今度は正面から。

 さっきより少し背が高い。


『1人にしないで!』

「なにこれっ!」


 次は後ろ斜め右から。

 さらに背が高くなってる。

 なんだかどんどん成長しているみたいだ。


『やだよ!』

「あぶなっ……え?」


 真横から来たあたしにぶつかったかと思うと、何事もなかったかのように過ぎ去っていった。

 幻かなにかみたいに、こちらから触れられないのか。

 いや、そもそもこれってあたし……だよね?


 その後も次々と置いて行かれて一人にしないでと叫ぶあたしが四方八方から湧いては去っていく。

 最初は幼稚園児くらいの背だったのが、今のあたしに近い背丈に近づいてきている。

 あれは……中学生の頃かな?


 そして、それを最後に静寂が訪れた。

 今のあたしまで育ち切ったから?


 …………いや、違う。

 最後に見たあたしの年のころは中学生くらいだった。

 そう、それは丁度疎遠だった晶と仲直り? した頃と重なる。


 幼いあたしはどんどん育っていき、背丈がどんどん今のあたしに近付いてくる。

 そう、これが何を意味しているかというと――――


 全くわからん!


 え、なに? 自分の成長の記録を見せられても困るというか、ちょっと恥ずかしい。

 もしこの過程を見せられて何か感じることがあるとすれば、1つだけある。



 出世魚だ。


 あたしの住んでる地域だと、ブリは『ツバス―ハマチ-メジロ-ブリ』と名前を変える。

 山に囲まれた街とは言え、意外とスーパーの鮮魚コーナーではハマチやメジロのお刺身とか見かけることも多い。

 お刺身と照り焼きと煮付け、どれが好きかというと聞かれると悩ましい。

 そう、どれも白米を美味しく彩ってくれるからだ。

 敢えて順番をつけるとしたら……いくら輸送技術が発達したとはいえ、山あいの地方都市ということを考えると、鮮度と言う点でお刺身は一歩譲ってしまうのではないだろうか?

 だが決してお刺身がダメというわけでなく、素材の美味しさを最大限に楽しもうと思ったらやはりお刺身が最適なのではないか?

 ああ、もう! まったく持って悩ましいなぁ!


 また、以前鮮魚コーナーのおじさんに、東の方では黒鯛を『チン-チンチン-ケイズ-クロダイ』と出世するって聞いた。

 うん、名前のインパクトが強かったので覚えている。

 当時一緒にいた晶は、『今の晶だとチン? チンチン?』と聞いてきたあたしに対して怒ってもいいと思う。


 そう、今の幻というかビジョンでは、あたしはJY女子幼稚園児JS女子小学生JC女子中学生と出世していった。

 そして現在のあたしはJK女子高校生

 でもどうしてだろう? バストサイズは全然出世してないんですけど?

 おっかしいなぁ、なんでかなぁ?


 そんな下らないことを考えつつ涙を流し、さっきのあたしのビジョンには決定的に何かが欠けているように思えてならない。


「あきらが隣にいないじゃん」


 自分でその答えを呟きびっくりする。

 ていうか今もし晶が隣に居たりしたら、それはそれで大変だ。

 ぷっくりとした下唇と、舌や歯茎をなぞってくるぬるりとした晶の舌の感触。


 …………


 違うから。

 別に四六時中その事ばかり思い返しているわけじゃないんだから。 



 そ、そんなことよりいい加減、いくらあたしが鈍くても、これはもう誰かに意図的に見せられているものだという事に気付かないわけはない。


「……カガセオ?」


『――――――――』


 その言葉に敏感に反応したのか、大気が震えた。

 それと共に霧の質量が増したかのように身体に絡まりつき、身動きが取れなくなる。

 うそ、なにこれ?!


 驚くよりも恐怖するよりも困惑していると、あたしが現れた。

 今のあたしより少しだけ背が低くて、ちょっぴり幼い感じ。

 晶との仲が修復された頃のあたしだ。

 そのあたしが、これだけは許すことが出来ないと言う剣幕で口を開いた。


『その名前は可愛くない』

「…………はぃ?」

『香香背男だと可愛くない。甕って呼んで』

「みか……?」


 あたしがそう言うと満足したのか、ドヤァとした笑みを見せた。

 正直自分の顔でドヤ顔されても困るというか、え、こんな顔してるの?

 …………あ、なんかちょっとイラってする。

 今後ドヤ顔するときは気を付けよう……


『オマエはドウスル?』

「どうする?」


 何を?


 出世魚的には次はJDだし、うちは一人っ子で両親働いているから経済的にも進学は問題ない。

 大学生ともなれば大人の仲間入りを果たすし、あたしの胸もきっと大人の魅力を湛えてくれるに違いない。

 貧乳界AAランクの栄光は未来ある若人に喜んで譲りたい。ていうか譲らせて!


 …………いやいやいや、カガセオ改めミカだっけ? そういう事を聞いているわけでもないだろう。



 腕を組み、どういう事かとうんうん唸りながら次に目を開けた時、そこはあたしのベッドの上だった。



「夢、か……」



 どうやら昨日、夕食後部屋に戻って考え込んだまま眠ってしまったらしい。

 着替えもせずにそのまま横になって朝までぐっすりってやつ。

 布団も被っていないし、夏じゃなかったら風邪をひいていたかも。



 ――カガセオ。

 今の晶とあたしに横たわっている問題。

 浮かれていた頭が急速に冷え込んでいくのがわかる。


 この問題を解決しなきゃ、あたしと晶は前に進むことができないと思う。

 ううん、違う。進む為に解決するんだ。



 さて、その前に今のあたしは、と……


 服もそのままで皺ができちゃってるし、お風呂も入ってないのでちょっと汗っぽい。

 今日は普通に学校がある。

 学校があるっていうことは、晶と会うって事だ。


 くんかくんか。

 …………よし、シャワー浴びよう。


 乙女である前に人としての身だしなみはちゃんとしないとね。


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