最終章 都子の気持ち

第65話 口づけの跡


 茜色の陽が観覧車の中に差し込む。

 何ともいえない体勢のまま地上が近付いてくる。


 あたしはと言えば、突然の不意打ちで未だ頭が混乱していた。


「あ、あき……」

「い、今じゃなくていいから!」


 あたしが何か言いかけた台詞を、掻き消すかのよう早口で捲し上げる。


「は、8月2日! ウカ様が言ってたその日に教えて!」

「う、うん」


 まるで天がこれ以上この会話はさせないとばかりに、地上に着いた。 

 ドアを開閉するスタッフに促されるまま、2人無言で観覧車を降りる。


「…………」

「…………」


 ぎこちない空気の中、出口を目指す晶との距離は微妙に遠い。

 頭はまるで熱に浮かされているようにふらふらしていて、足はまるで地についていないかのようにふわふわしている。

 ふらふらしつつふわふわしている……あれかな? メレンゲを推すあまりあたしがメレンゲになってしまったのかな?


 いやいやいやいや、そんなことないっしょ。

 ないから。そんなことないから。


 …………


 ええっと、何でこうなってんだっけ?

 遊園地で普通に遊んでて、帰りの〆で観覧車乗って、そこで晶に好きだって言われてキスをした。


 しかも舌まで絡める濃ゆーいやつ。

 あれだよね、舌って言ったら牛タンだよね? こないだつかさちゃんの事があった時、廊下焼肉でも一番最初に食べたよね? やっぱり牛タンは一番最初に食べるのがオツっていうか、あっさりとした味だからレモンで頂くのが一番おいしいし、ファーストキスは甘酸っぱいレモン味というかレモンが欲しくなる味だったりする? あ、今ちょっと緊張なのか何なのか喉乾いているからレモンとか欲しくなってるかも。


 …………


 し、舌って言ったら筋肉なんだよね? 同じ筋肉の部位と言えば焼き鳥のハツとか地域によってはこころとか言ったりする心臓! 心臓は筋肉だから歯ごたえと独特の弾力があるというか、晶の舌も筋肉だから独特のぷりっとした弾力があったし、まるで踊り食い? ていうか口の中で暴れまくってて、美味しいというかどちらかというと気持ちよくて、なんていうか癖になりそうな感じでもっかいしたくな……って違ああああうっ!!


 何なの?! さっきからあたし一体何なの?!

 何を考えようとしても思考がキスの事に誘導されちゃうんだけど!


 そりゃあもう仕方ないよね?!

 だって乙女の一生に一度の事だよ?!

 こうね、あたしでもちょっと憧れたり妄想したりすることもありますよ?!


 ほら、気の置けないあまり意識してなかったような相手から不意打ちじみた告白から強引に唇を奪われるとかさ! しかもシチュエーションとかも夕日とか2人っきりの観覧車の頂上とかさ!

 文句のつけようないな、このやろー! なにこれ、グッジョブとか言えばいいの?!


 いや、それよりもさ!

 あたしがこんなんなってるっていうのに、晶が何の反応も無くて物静かなんだけど?!

 もしかして告白とかキスとか質の悪い冗談で、あたしを揶揄って遊んでるわけ?!


「…………ッ!」


 あー、うん。ずっとあたしの顔とか見てたみたいだけど、あたしが視線をそっちにやったら光の速度でそっぽ向かれました。

 いやぁ、照れ屋さんだなぁ!

 ほらほら、耳まで真っ赤っすよ?

 うりうりぃ~、ういやつういやつ。


 …………


 ですよね!!!


 ていうかですね、そういうのもいいんですけどね?

 なんていうかですね、右手がですよ?

 今までべたべた~って一緒にくっついてて隙あらば、こ、こ、恋人繋ぎとかしてたからですね?

 物足りないっていうか、ちょっぴり寂しいっていうか、ああ、もう!


「…………あっ」


 あたしの方から手を取ろうとして指先がふれた瞬間、その手をものすごい勢いで胸元に避難させられる。


 …………え? どういうこと?

 あたしと手を繋ぐのは嫌なの?

 どうして? 観覧車の中でのことは嘘なの?


 どうしようもない不安があたしの胸と頭を塗りつぶす。

 なんで――


「ほ、ほらもう家だよ!」

「…………え?」


 随分と色々と考え込んでいたらしい。

 電車やケーブルカーに乗った記憶も碌になく、気付けば互いの家の前まで来ていた。

 夏の陽はとっくに沈み込み、あたりは真っ暗だ。

 もういい時間なのだろう、あちこちから食欲を刺激する香りが漂ってくる。


「じゃ、じゃあね、みやこちゃん。またね」

「う、うん。また」


 またね。


 そういって長い髪とワンピースの裾を翻して楠園家へ帰っていった。


 うん、またね……か。

 またってことは、また会いましょうってことだよね?


 …………


 うわぁ、うわぁ、うわぁ!


 どうしよう?

 今のあたしは絶対あたしじゃない。



  ◇  ◇  ◇  ◇



 カチャカチャと食器が音を立てている。

 音を立てているだけで、夕食は全然進みやしない。

 お茶碗の中の白米は半分以上も残ってる。

 お腹がいっぱいというか、胸がいっぱいで入らないのだ。


「どうしたの、都子? いつもなら生姜焼きだとごはん3杯はおかわりするのに」

「あ、うん、なんだか食欲湧かなくって」

「大丈夫? どこか調子悪いの?」

「なんだかそういう気分なだけで」

「そう? 何かあったら言うのよ?」


 年頃の乙女の健康バロメーターを食事量とみなす母親をジロリと睨みつける。

 一体あたしを何だと思っているのか!


 …………

 あ、はい。これ本気の目で心配していますね。

 もう、なんだかなぁ!


「ごちそうさま」


 とにかく食べなきゃ力は出ないわけで、悩み事するにもエネルギーは必要だ。

 やたらとあたしの食欲を憂慮する両親の手前、メインのおかずの生姜焼きだけは平らげて部屋に戻った。

 う~、胸やけしてるみたいでちょっと気持ち悪い。


 牛になっちゃえとばかりにごろりとベッドに寝転ぶ。


 牛と言えば巨乳の形容詞で使われたりするよね?

 は! もしや!

 食べた後寝転ぶと巨乳になるというのか?!

 もしその因果関係を解明できればノーベル賞受賞もまったなしだ。

 その代わり貧乳界AAランクがはく奪されてしまうが、いっそEやFまで落とされたい(切実感)。


 そして牛と言えばやっぱり牛タン。牛タンと言えば舌。つまり牛タンを食べるというのはベロちゅーの究極系。

 ベロちゅーといえば、数時間前必死にあたしを求めてると言わんばかりだった晶。

 あんな味覚を味わう器官で激しく確認されるかのように――……って違う!


 ダメだ。


 何かにつけてさっきの事を思い出す。

 こんなのまるで呪いだ。

 今だって無意識に自分の唇を撫でてるし。


 でも晶の事を嫌でも意識させられてしまうから、見事術中はまってしまった感じもする。


 楠園晶。


 あたしの物心つく前からの幼馴染。

 いつもあたしが引っ張って、そのくせ世話してもらって、そして一時期疎遠になったけれど、やっぱり嫁にしたくなるような、決まって傍にいるような存在。

 そして、初めてキスをした――――…………


『――――――』


 男の子? 女の子?

 これってどっちになるの……?


 ちょっとまって。

 あたしは晶をどう見ているの?


 それは呪いの様に、出口のない思考の迷路囚われたのだった。

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