第64話 晶の思い


 初めての顔合わせは、同じ病院だったらしい。

 もっと言えば、お腹の中に居た頃かららしいけど、その頃はまだ生まれていないので別にいいだろう。

 一緒に育ち、一緒に遊び、同じ釜ならぬ同じ哺乳瓶で育ったような身近な存在。


 それが宮路都子という女の子。


 同じ病院で3日早く生まれた彼女とはそれ以来の付き合いだ。


 いつも自分の好きな遊びに強引に付き合わせるし、お出かけすれば保護者の制止を振り切って一緒に迷子になって泣くことも日常茶飯事。

 一緒にご飯を食べれば嫌いなものはこちらに寄こそうとするし、好きなものは隙あらばと狙ってくる。おやつなんて食べるときは戦争だ。

 寝相も悪くて昼寝をしたら蹴飛ばされる。抗議しようにも、寝付きもよくて一度寝たら当分起きない。

 そして毎日毎日、決まって僕の前に現れて、にへらと笑って手を差し出しては言うのだ。


「あーくん、一緒にいこ?」


 どちらかというと、ボクは家に籠もって遊ぶのが好きな物静かな性格だったので、当時は煩わしくてしょうがなかった。

 それでも、いつも彼女と一緒に居たっていうことは、楽しかったからだろう。


 一緒に幼稚園に行き、小学校に上がる頃になると性別の違いってのをイヤでも意識させられてくる。

 それでも彼女の行動が変わることはなく、この頃になると煩わしいんじゃなくて気恥ずかしいって気持ちばかりが強調されていた。

 周囲にいつも一緒でからかわれたことは数え切れない。


 小学6年にもなると、周囲の男女の差はかなり大きくなってきていた。

 遊ぶとなれば、もう男子と女子は完全に別れてしまっている。

 揶揄われるのが嫌で、しばしば都子ちゃんを避けたりもした。

 それに成長が早い都子ちゃんとは、頭一つ分近く背が離れていた。

 見上げなきゃ見られない都子ちゃんとの差が、とにかく劣等感を刺激された。

 

 自分でも随分理不尽な感情だと思う。

 逆恨みと言ってもいいかもしれない。

 振り回される自分、見下ろされる視線。

 とにかく、隣にいるのが嫌だった。



 中学生の入学式の日。


 ボクは真新しいブカブカの学ランに身を包んでいた。

 初めての制服に、これから自分の世界が変わるかもみたいな期待感もあった。

 そして家を出て久しぶりに見た都子ちゃんは、真新しいセーラー服を着ていた。


 どこかで違うとも思っていたのかもしれない。

 だけど、自分の中のイメージに無い女の子の姿は、ボクの世界を変えるのに十分だった。

 ボクと都子ちゃんは違う。

 ボクが男の子で、都子ちゃんは女の子。



 きっとこの時、ボクは明確に間違えた。



 この日から都子ちゃんを故意に避けるようになった。

 最初は幼稚なプライドから。

 だけど、いつしか彼女がいない日々が当然のようになっていて、それはとても空虚な日々だった。


 下らない自分勝手さで無視し始めたのは自分だ。

 今更元のようになんて出来るわけもない。

 それに中学生にもなれば、惚れた腫れたという話題にも敏感になる。

 男子の中で話題に上る女の子もいた。

 髪が特徴的で可愛いと噂のその子は、いつしか都子ちゃんと一緒に居るのをよく見かけるようになった。



 宮路都子の隣ボクがいた場所に江崎つかさがいる――


 この時、ボクは生まれて初めて嫉妬をしたのだろう。

 それに気づくのはもう少し後の話だ。



 そして、父の移動の話が出て引っ越しの話が出た時。

 目の前が真っ暗になった。


 中学2年のある日、ばったりと家の前で出会ったとき。


「あっ……」


 変な顔をして、そんな声を漏らすことしかできなかった。

 なんてことはない、都子ちゃんとの話し方を忘れてしまったのだ。

 自分で勝手に壁を作って、接し方も忘れて。


 …………


 ああ、何て馬鹿なのか。

 それからのボクは引きこもりがちになった。

 何か色々考えてはネガティブの海に引きずりこまれ、その波が去るのを膝を抱えて待つだけだった。

 もう二度と都子ちゃんと会うこともなくなるのだろう。


 そんな事を考えていたというのに――




「引っ越しちゃヤダ!!」




 彼女は泣きながら部屋に飛び込んで来た。

 それはもう、あっさりと、色んな扉や壁をぶち破って。

 ボクの目の前に飛び込んできた。

 抱き合って一緒に号泣した。


 そしてボクは自分の初恋を自覚した。



  ◇  ◇  ◇  ◇



「あきら、男の子に戻りたい……?」

「…………みやこちゃん?」


 都子ちゃんは、何故急にそんな事を言うのだろう?


「…………」

「…………」


 童心に戻っての遊園地。

 帰りの儀式の観覧車の中。

 頭が急速に冷えていくのがわかる。

 そんなの決まっている。


「………………戻りたいに決まってるでしょ」


 だって都子ちゃんは女の子で、ボクは男だから。


「男に戻りたいに決まっているでしょ!!」


 一度叫び出したら止まらなかった。


 ボクが今まで堪えていた感情と共に涙があふれ出す。

 都子ちゃんに掴みかかるかのように、詰め寄ってしまう。

 まるでそれは糾弾じみていて。


 まだ秘めておこうとした心すら吐き出した。




「ボクは男として、みやこちゃんが大好きなんだから!!!」



「…………ぇ、んぅっ!!??!?!?」




 自分でも大胆な行動だったと思う。

 どうしてこう、都子ちゃんは分かっていないのかと。

 どれだけボクが都子ちゃんを好きなのかと。


 女の子になったのは複雑だ。

 だけど女の子になって、幼い頃の様に一緒に居られるようになって嬉しかった。

 あの日間違えて、話し方を、接し方を忘れてしまって。


 少しずつ近付いて行きたかったけど。

 江崎さんに嫉妬して。

 沢村君に焼きもちを焼かされて。

 やり直したいとかなんとか言ってみて。


 それら全てを無にするかのような行動で――


 ボクの初めてのキスはただひたすら不器用で、壮絶な歯のぶつかり合いだった。


 それがなんだか不器用なボク達らしくって、可笑しかった。



「ん、………んっ!」

「んむ………んんーっ……んっ、ぅん、んっ」



 ここまで来ると、もう止まれなかった。

 都子ちゃんの都合なんて知ったことじゃない。

 自分のわがままを押し付けるだけ。


 ボクを受け入れてよ――

 そんな思いで都子ちゃんの歯をこじ開けて、捻じ込ませた。



「んぅんっ……」

「ん、ぅ……、んっ……」



 おずおずとボクを受け入れてくれた事に舞い上がってしまった。

 無我夢中で自分の存在を刻み込もうと、口腔内を蹂躙する。

 時折こちらに反応して絡ませてくれた都子ちゃんの舌が、ボクの理性を削り取っていった。



「んんっ、はぁはぁ、ん……」

「はぁ、んっ…………はぁはぁ」



 呼吸が続かなくなって、顔を離す。

 それと共に頭と胸の熱が冷めていくのもわかる。


 やってしまった……


 もう、後戻りは出来ない。



「ボクはみやこちゃんが好き」


 上手く笑えたと思う。


「あきら……?」


 だから、そんな困った顔をさせたかったわけじゃないんだ。



 それでも、ボクはもう逃げるのはやめよう。

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