第56話 溢れ出した思い出
初めての顔合わせは、同じ病院だったらしい。
もっと言えば、お腹の中に居た頃かららしいけど、その頃はまだ生まれていないのでノーカン。
一緒に育ち、一緒に遊び、同じ釜ならぬ同じ哺乳瓶で育ったような身近な存在。
それが楠園晶という男の子。
男と女じゃ成長速度も違う。
あたしの方が先に歩き、あたしの方が先に喋り、当然ながらあたしの方が背も大きかった。
常にあたしより一つ遅れるその男の子は、いつしか弟のように護るべき存在だと思うようになっていた。
――あたしの方がお姉さんだから。
口癖のように、今でもたまに言ったりもする。
幼稚園の頃は部屋に籠もってばかりの晶の手を引いて、そこら中を駆け回っていたと思う。
よく迷子にもなったし、怒られたりもした。
小学校に上がり、初めて男女の差というものを意識した。
男女別になった出席番号や水泳の水着、そして体育の組み分け。
あたしが女の子で、晶は男の子。
ただ漠然とそういうものなんだと思っただけで、今まで通り晶と遊んでた。
小学3、4年の時、クラスが別になった。
この時初めていつも一緒じゃない時間が出来た。
いつも一緒にいた晶がいなくて、なんだか妙に胸がぽっかり開いた気分になったのを覚えている。
晶以外にも友達は居たが、胸の喪失感を埋めるため、晶のクラスにまで押しかけては振り回していた。
小学5年のとき、再び同じクラスになった。
なんだか足りなかったものが、ぴったり収まる感じがして嬉しかったのを覚えている。
この頃になると、晶は段々あたしと遊ぶのを嫌がるようになった。
周囲にからかわれるのが恥ずかしいらしい。
ちょっと色々と強引に振り回し過ぎたのかな?
あたしはこの頃も鈍感で、晶はおマセさんだった。
きっと、晶は男女の違いを強く意識していたに違いない。
それが何だかとても寂しいと感じていた。
小学6年にもなると、周囲の男女の差はかなり大きくなってきていた。
それと共に晶はあたしを少し避ける素振りを見せた。
あたしの中に焦りのようなものが生まれていたと思う。
この歳にもなると女の子であればブラをつける子や生理が始まった子も珍しくはなかった。
両方まだだったあたしはそれを、一足先に大人になって羨ましいと思って見ていた。
きっと大人になれば、すべてが解決してくれる――そんな夢物語のような奇跡を信じていた。
この頃背だけはずいぶん伸びてて、晶より10数センチ高かった。
小学校卒業式の日の朝。
あたしは初潮を迎えた。
母親に告げたら、父も一緒に両親がとても喜んでくれたのを覚えてる。
大人になったんだ。
これで晶と元通りになれる。
一緒に喜んで祝ってくれる。
卒業式を終えて、互いの両親と一緒の帰り道。
まるで魔法の言葉のようにその事を晶に告げた。
そして、晶の表情が、魔法のように、豹変した。
その日から、晶はあたしと喋らなくなった。
その年の春休み。
あたしは初めて晶がいない日々を過ごした。
胸が、とても痛かった。
中学校の入学式の日。
真新しいセーラー服に身を包み、その日はとてもうきうきしていた。
晶と同じ中学校に通うのだ。
休みで会えなかったけどまた一緒に過ごせる。
そう思って家を飛び出した。
そこには学ラン姿の晶がいて――
あの日豹変した表情そのままに、見たことも無い目であたしを見ていた。
その日から。
あたしは晶に無視されるようになった。
だから、胸が張り裂けて――
――何かぽっかりと空いてしまった。
中身のなくなった虚ろなあたしは、しばしばふらりと居なくなることがあったらしい。
その事はあまりよく覚えていない。
覚えていることと言えば、胸の空虚を埋めるかのように、何か連想する事が増えたことだ。
雲の形が何に似ているか――そんな風に。
連想するものの殆どは食べ物だったと思う。
何か口に入れると、お腹と一緒に胸が埋まるかな……なんて思っていたのだろう。
そんな時だった。
つかさちゃんと出会ったのは。
虚ろだったあたしでも分かるくらい、よく目立つ髪だった。
よくその髪色から色々連想していたのを覚えている。
いつだったか、あたしに怒りながら話しかけて来て――
――そして話しているうちに仲良くなった。
頼んでもいないのにあたしのそばに居てくれて……
……それから、あたしも胸の空白を埋めるかのようにつかさちゃんに寄り添った。
そう、今考えるとそれは依存だったかもしれない。
あたしは、晶の代わりにつかさちゃんを利用したのだ。
そしてそれに気付くこともなかった。
この時はもう、晶に話しかけることもしなくなっていたと思う。
それからの日々はよく覚えている。
ひたすらつかさちゃんと一緒の日々だ。
それでもどこか
ただ、つかさちゃんが嬉しそうだったのが救いだった。
中学2年に上がった。
晶とは同じクラスになった。
だけど、晶とは話さない、関わりもしない日々が続いてた。
疎遠になったのにすっかり慣れたかに思えた。
その日、学校から帰った時たまたま顔を見合わせた。
思わず『あっ』て言葉が漏れた。
晶は初めて見る表情をしていた。
それを表現できる言葉は未だにあたしは持たない。
どこか悲しそうにも見えた。
ただ――
あたしの胸の痛みが増していった。
晶の転校の話を聞いたのは、その2か月後だった。
両親から急に知らされたのだ。
随分前から話は進んでいたらしい。
おじさんの仕事で飛行機の距離の場所にまで行くらしい。
こっちにもう戻ってこられないかもと。
目の前が真っ暗になった。
…………
……………………
あれ、そこからどうなったんだっけ?
どうやって今のような関係になったんだっけ?
何かがあって――
そう、たしかあの時、晶の部屋に押しかけたんだった。
おじさんとおばさんにもすっごく我儘を言ったんだった。
行かないでって、泣いて叫んだんだった。
一体何があって……ああ、それよりも。
そっか。
あたしは晶を……
…………
……………………
………………………………
…………………………………………
『い、いや確かに成功してたし、我も手を抜いた覚えもないし、そのっ……』
ズキズキと胸と、それ以上に頭が痛い。
目の前にはあわあわと狼狽するウカちゃん。
「ごめん、なさい……」
あたしはと言えば、訳も分からずごめんなさいと言って涙を零すだけだ。
忘れていたわけじゃない。
心の奥底に仕舞い込んでいたものが一気に溢れて、自分で感情をどうしていいか持て余しているのだ。
例えば、今のような夏だと冬服なんて仕舞い込んでいて見かけもしない。
仕舞ってある場所もどんな服を仕舞っているかもわかっているし、覚えている。
ただ、意識しないだけだ。
それと一緒で、急に意識の外に追いやられていた記憶が、その時の感情と一緒になって溢れ出しただけ。
ごめんなさいとか、誰の何に対して言っているのか自分でもよくわかっていない。
こんなのただの鳴声だ。
「み、みやこちゃん、大丈夫?」
ただ心配そうにあたしを見つめる晶に、罪悪感が沸いた。
ごめん、あたし自身もよくわかんないの。
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