第55話 戻れぬ晶


『久しぶりだな、ミヤコ!』


 まるで愛しのご主人様を見かけた忠犬のように、あたしの手を握ってブンブン振り回す。

 もし尻尾とかあったら全力で千切れるくらい振っているに違いない。


 ちなみにウカちゃんの格好は言ってしまえば中二病テイストのあるコスプレ巫女服だ。

 ウカちゃんとしては普通の格好なのかもしれない。向こうの世界ではそれが標準なのだろう。

 しかし、こっちだとそれはもう目立つ。

 完全に浮いているもの。

 だから、あたしも目立ってしまって、なんていうかその、周囲の目が痛い!


「ウカちゃん、落ち着いて、なんていうか、その……ね?」


 言外に落ち着いてという意味を込めて、苦笑いしながら話しかける。

 あたしの思いが通じたのか、ハッ! とした表情をして、スカートの裾とかを整え始める。

 そして、両手をクロスさせて目の前に持ってきたかと思えば――


『我は生と死――……』

「まって、ウカちゃんストップ!」


 一瞬金色と黒色の風が辺りを吹きぬけた。

 周囲の人たちは突風とも言える風に雑然とした反応をみせる。


 いつもの挨拶と違うと指摘されたのかと思ったウカちゃんは、中二病モードでやり直そうとしたのだ。

 あわててウカちゃんの口を塞ぐ。

 晶もウカちゃんの片手をキャッチして、元の位置に戻していた。


 全然通じていなかったよ!

 今も途中で止められたウカちゃんが、何で? どうして? と目で訴えてきている。

 えーっと、えーっと――


「多くの人の前で正体を見せていいの?」


 出来るだけ深刻な顔を作り、低い声で、嗜めるように言ってみる。

 それと同時にチラチラと晶の方を見て、援護射撃お願いという念を送ってみる。


「う、うわぁ、誰にも理解されず正体を隠して孤独に戦うのってかっこいいなー」


 思わず、あちゃあって言葉が漏れてしまう程の棒読みだった。

 しかしウカちゃんには効果覿面だった。


『そ、そうだな! みだりに正体をさらすのはあれだな、あれ!』


 なんだか嬉しそうにそわそわしだし、『むしろ普段は違う格好の方がいいのか』という発言を聞き逃さなかった。

 隣を見れば晶があたしに頷き、既に行動を開始していた。


『ウカさま、これを』

「お、おぉ! 用意がいいな、アキラ!」


 手渡したのはジャージ。今日体育も無かったし綺麗なはずだ……ってあれ?


「ジャージなんかどうしたの?」

「元に戻ったら着替えがいるかなと思って……あれ男だったときのジャージだよ」

「なるほど」


 トイレでいそいそと着替えてきたウカちゃんは、満面の笑みだった。

 しかし裾から変な文字が書かれた包帯の端がヒラヒラしている。

 うん、なにかあの変すごくこだわりがありそう。突っ込んじゃだめなやつだ。


 そして何より――


『まぁちょっと胸がキツいが、いいか』

「くぅっ、ジャージ越しでも分かるその存在感ッ!」


 相変わらずおっぱいは凄かった。

 ちなみにつかさちゃんは完全に置いてけぼりを食らっていた。



  ◇  ◇  ◇  ◇



「え、えぇえ?! この人が?!」


 紹介を交えながら、つかさちゃんに事情を説明する。

 信じてもらえないかもと思ったが、つかさちゃんも信じられない事を体現しているだけあって、わりとあっさり信じてくれた。

 一方そのウカちゃんはというと――


『こ、これがマカロン! さっくりとしているというか、ふわふわしてるというか、色も鮮やかだし凄くいい!』


 うちの高校指定のダサジャージ姿でマカロンを貪っていた。

 この世のものとは思えないほどの美人で巨乳、相変わらず目立ってはいるけれど、あたし達制服の中にジャージだと学校帰りのグループにも見える。

 だからそれほど違和感があるわけじゃなく、さっきと比べると雲泥の差だ。

 まぁある意味男性の視線を一身に集めているんだけどね。


「そういえば、具体的にどうすればいいの?」

『ん、そんな難しいことはない。あれを見ろ』


 指し示された場所は拝殿の前。

 そこには背の高い男性でも悠々と潜り抜けるくらいの大きさの、注連縄みたいなやつをわっかにしたものが備え付けられていた。

 今宮司さんとか神社の人が祝詞を読み上げており、その後ろには地元の人達が集まって見守っている。


『あそこを左、右、左とくぐるだけだ。まぁ他に人もいるし着いていけばわかるだろ』

「え、そんな簡単でいいの?」

『穢れを払って生まれ変わるって意もある儀式だからな、打って付けだろう?』


 ウカちゃんの事を信用していないわけじゃないけれど、あまりに簡単で拍子抜けしてしまう。


 そして、そうこうしているうちに宮司さんの儀式? も終わり、参拝客の茅の輪くぐりも始まった。

 え、何? あれに着いていけばいいの? それだけ?


 訝しげな顔をしているのがわかったのだろう、そんなあたし達を見て、ウカちゃんはニヤリと笑う。

 そして、背筋を伸ばし片手を前に出したかと思えば、高らかに謳い始めた。



『祓へ給ひ 清め給へ 守り給ひ 幸へ給へ』



 サァッとあたたかな、そして静謐な風が茅の輪に向かって吹き抜ける。

 ウカちゃんは自分の言葉に合わせ、厳かな舞をその場で舞い始めた。


 鮮烈で、それでいて暖かく、見るものを魅了する厳かな舞。


 神聖――まさにその言葉がぴったりと似合う姿だった。

 ただ、ジャージ姿ということが残念だった。

 うん、ほんと残念で、思わずさっきの衣装の方がまだいいんじゃないかと錯乱したくらい。


 心なしか、茅の輪がうっすら金色に輝いているようにも見える。


「う、うそ! ニキビと肌荒れが消えた!」

「わ、わしの五十肩が!」

「あ、足が痛くない!」

「目が……目が見えるよ!」

「ちくしょう! 俺の禿げは治らないのかよおお!」


 今、茅の輪をくぐっていた人たちにも変化があったようだ。

 宮司さんなんて、これでもかと目と口を開けている。


 詞と舞を続けるウカちゃんはこれ以上無いドヤ顔で、早くくぐって来いと目で促してくる。


「行こう、みやこちゃん」

「う、うん」


 あれをくぐれば、晶は無事男の子に戻れる。

 それはとても喜ばしい事。

 だというのに、あたしは――……


「じゃ、都子、楠園君、お先にいくね」

「あ……」


 そう言ってつかさちゃんは一足先に茅の輪へと向かっていく。

 そうだった、つかさちゃんはもうとっくにどうするか決めているんだった。

 この中で決まっていないのは――……



 一つ前にいるつかさちゃんに少し遅れて茅の輪をくぐる。

 その瞬間、何かが身体中を駆け抜けていく感覚があった。

 近いものに強引に例えると……トイレとかにあるエアータオルが近いかな?

 なるほど、これで穢れとか悪いモノを落とすのだろう。

 心なしか体調が良くなったようにも感じる。 

 そして、晶もこれで男の子に戻れるんだろう。


 ――男に戻ってもいいの?

 当然でしょ? だってそれが自然だし。


「今、くぐったとき何か吹き飛ばしていくような? そんな感じあったね」

「そう、だね」


 期待で興奮しつつも、どこか不安げな晶が話しかけてくる。

 だけど、曖昧に返事する事しかできなかった。


 そして、2回目の茅の輪をくぐり抜ける。

 先ほどとは違い、何か暖かいものに包まれるような感じだった。

 それと共にお腹の奥底の方から、じんわりと暖かいものが広がっていく。

 これも近いものに強引に例えると、寒い日に暖かい温泉につかった時のような感覚かな?

 風呂は命の洗濯と言うけれど、それと同じく何か魂が洗われるかのようだ。


 ――男に変わって、目の前からいなくなっちゃうよ?

 え、そんなわけ――……


 …………


 2回、茅の輪をくぐったからなのだろうか?

 それまで自分の心の奥底に封じている重しのようなモノが浄化されて、何か忘れようとしていたものが溢れ出して来る。

 ふと記憶によみがえったそれは、晶があたしを避けて遠く離れようとしたもの。

 そして、いつしか実際転校しようとして遠くへ――……


 そこまで思い返したとき、目の前のつかさちゃんが3回目の茅の輪をくぐり抜けていた。


 何か一瞬光に包まれたかと思うと、そこには女の子の姿に戻って、ぶかぶかの男子の制服を着たつかさちゃんがいた。


「あ、はは……、本当に戻ったんだ」


 感慨深くそんな事を呟くつかさちゃんを見て――女の子のつかさちゃんを見て――

 ――晶がいなかった時の感情が決壊した。



 ――それが、貴女の望み?



 望み? 晶が居なくなる事が?


「あきらっ!」


 居ても立ってもいられず、晶の手を握る。


「みやこちゃん?」


 手を繋いだまま、同時に茅の輪をくぐり抜ける。


 …………


 ……………………


 ………………………………



 そして晶は。



 変わらず女の子の姿のままだった。



 どこまでも困惑した晶が、あたしを見つめている。


「みやこちゃん、どうして泣いてるの?」


「…………え?」


 言われて、初めて自分が泣いていることに気付いた。

 自覚すると、涙があとからあとから止め処なく溢れ出して来る。


「ごめ、ん……ごめん、なさい」


 まるで悪いことをしてしまった子供が泣いて謝り許しを請うかのように。



 あたしはただ泣きじゃくるしかなかった。

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