第44話 制服エプロン


 週末土曜日午後の駅前は非常に賑わっている――

 とは言っても、田舎の地方都市なのでたかが知れてるけどね。


 あたしは晶と一緒に、帰宅の足を伸ばして駅前のモールまでやってきた。

 目的はコーヒー豆やお茶の葉を売ってる専門店。

 紅茶のシフォンケーキを作るための茶葉を買いに来たのだ。


 モールで買い物をすることは多々あれど、茶葉専門店を利用したことはない。

 ただ、モールにやって来るたびにお店から漂ってくる香ばしい匂いは、その存在感を際立たせていた。

 でも、なんか敷居が高いイメージがあるんだよね。


「ご、50グラムで1280円……こっちは1580円……」


 えぇえっ、紅茶葉ってこんなに高いの?!

 実際イメージだけじゃなく、値段的にも敷居が高かった。

 アールグレイだとかダージリンとかよく聞く名前の紅茶葉の缶入り(100g)とかが平気で3000円を超えている。


 3000円ってあれだよ?

 学食の焼きそばパンが20個以上買えちゃうよ?

 回転寿司で高いお皿頼み放題の豪遊できちゃうよ?

 何なら焼肉の食べ放題だって行けちゃうよ?

 野菜用のプランターを新調して株も増やして肥料も試したいのを買えちゃう。


「す、すごいよみやこちゃん! 摘んだ時期だけじゃなくて、茶園ごとにも分けられてる! 種類も多いし、一日中ここに居られちゃいそう!」


 あたしが3000円という金額に思いを馳せている隣で、晶は茶葉のラインナップに目を輝かせていた。

 これもいいな、あれもいいなと興奮して目移りをしている様は、どこからどう見ても女子である。

 時たま手に取り、目を瞑って香りを嗅いで逡巡したり、なるほどウィンドウショッピングか。

 あ、あたしではちょっとたどり着けない女子力の境地かな……


「そ、そういえばさ、紅茶のシフォンケーキに使う茶葉の量ってどれくらい必要なの?」

「ん、そうだね、どれくらいの量を作るかによるけど……小さじ2杯もあれば十分かな」


 小さじ1って確か5ccだっけ?

 茶葉は水よりも軽いだろうから、多くても10グラムもあれば十分ってことだ。

 ……10グラムだけ売ってくれたりしないかな?


「ジンジャーをブレンドしたのも売ってるんだ」

「ジンジャー? 生姜?」

「スパイシーな感じで、はちみつやミルクと合わせると美味しいよ」

「へぇ、どれどれ」


 ロイヤルミルクティー用ジンジャー入り100グラム880円。


「うん、これにしよう」

「え? 他に見ないの?」

「これがいいの」

「そう?」


 だって、一番安いもん。

 それに生姜とかはちみつとかミルクとか、シフォンケーキとも相性良さそうじゃない?


 あと、あまり高いの買っちゃうと、値段気にして味とか判んなくなっちゃいそうだし。

 あたしの心は小市民なのだ。



  ◇  ◇  ◇  ◇



 買い物を済ませた足で、そのまま晶の家に向かった。

 結構いい時間になってしまっているが、早速シフォンケーキを作ってお昼代わりにする為だ。


 といっても、作るのは晶だけどね。

 あたしに出来るのは、精々材料を図ったり道具を渡したりするだけ。


 現在晶は卵黄と砂糖、濃いめに出した紅茶にサラダ油と小麦粉を混ぜ合わせながら泡立てている。

 ここまで来たらもうやれる事はほとんどない。

 あたしに出来ることと言えば、オーブンを温めるくらいかな?


 それより、あたしには気になる事があった。


「おばさん、晶を着替えさせないんですか?」


 その言葉に、一瞬晶の背中がビクッと震える。

 晶は特に着替えず、制服のままエプロンを付けただけの恰好である。

 今までの事を考えると不自然とさえ感じてしまう。


 おばさんはというと、あたしの隣でいつぞやの兵器じみたカメラで晶を撮影している最中だ。


「わかってない、わかってないわね、都子ちゃん」


 おばさんは撮影の手を止めると、幼子に何か大切な事を諭すかのように、何処までも真剣な眼差しであたしの目を見て言葉を綴る。


「制服エプロン」


 ただその一言は、あたしには理解が及ばなかった。

 何言ってんだこいつ?

 そんな顔をしていただろうあたしに対し、おばさんは重要なことを教え導くかのように説く。


「人生において制服を着てる時間、とりわけ高校生という時間はとても短いわ。未熟な少女から成熟した女へ変わろうとしている貴重な時間――それを象徴しているのが制服なの。その未熟の象徴である制服の上にエプロンを身につけ、拙いながらも家事を行う……これがどういうことかわかる?」


 いいえ、全く分かりません。


「本物への憧憬よ」

「本物?」

「ねぇ都子ちゃん、人は何故コスプレするか分かる?」


 知らんがな。


「本物に憧れ、でもなれなくて、だからこそ姿形を真似ようとして衣装を着るの。そう、今キッチンにいるのには晶であると共に女子高生でもあるの。いい? あれは、本物の、女子高生の、制服エプロン、なの!!」


 まるで背後に雷鳴轟く効果音を背負っているかのように叫ぶ。


「女子高生の制服エプロン……ッ! 嗚呼、なんて甘美な響きなの! わたしだってパパに制服エプロンにご飯を作ってあげたい……でもダメなのよ!!」


 今度は床に手を付き四つんばいになって嘆く。


「わたしがやると唯のコスチュームプレイになってしまうのよぉぉぉおおおぉっ!!」


 あ、これ本気で泣いてる。

 晶、助けて!

 これあなたの母親なの! オーブンの中の様子とか見ないでも大丈夫でしょ?!


「いい、都子ちゃん? 今晶が作ってるのはシフォンケーキじゃないの。本物の女子高生が制服エプロンで作ったシフォンケーキなの」


 あたしはガクガクと肩を揺さぶられ何度も洗脳もとい言い聞かされる中、ただひたすら早くオーブンが焼きあがるのを祈った。







 チン、といろいろな意味で待望の合図が鳴った。



「できたよ」


 オーブンレンジを開けた瞬間、紅茶特有の香ばしい香りが部屋に広がる。


「わぁ」


 気付けば既に1時を回っており、空腹もあってとても食欲をそそられる。

 おばさんはといえば、何か尊いものを拝むかのように手を合わせている。


 キッチンミトンを装備した晶が、ドーナツ状の型枠からシフォンケーキが取りだし切り分けようとする。


「あ、4等分に切り分けて」

「4つ?」

「そそ。あまりの1つはウカちゃんとこに持っていくつもり」


 つかさちゃんの事で見方を変える。

 あたしはそんなに賢くないし器用でもないので、やろうと思ってすぐに出来るようなことじゃない。

 だから、自分と違った視点をもつ第三者に相談して聞けばいいのだ。


 ウカちゃんならきっと、思いも寄らない視点で話してくれるに違いない。

 人間じゃないみたいだから、そもそもの視点が違ってたら――そのときはそのときだ。


 だがその前にお昼だ! シフォンケーキだ!


「何かける? ジャムかバターか……生クリームはさすがに用意できないけど」

「はちみつで!」

「わかった。飲み物は買ってきた紅茶のやつでいいよね?」

「砂糖少な目のミルクたっぷりでお願い」

「はいはい、いつものやつね」


 目の前に出された紅茶のシフォンケーキの上にたっぷりの蜂蜜をかけて、口に頬張る。


 うん、おいしい! 生姜の甘みもいい仕事をしている。


 そうだ、ウカちゃんは友達なのだ。

 相談もいいけど、この美味しいものを味あわせてあげたい。


 ただそれだけになっても、別にいいんじゃない?


 そんな事を考えながらシフォンケーキを味わうのであった。

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