第37話 女の子の日


「へ? あ、生理?」

「………………うん」


 へなへなへな、と体中の力が抜けていくのがわかる。

 見えてた血って、そういうことね。

 確かに量は少なかったとはいえ、太ももまで滲んで垂れるくらいとは随分景気よく出……うん、止そう。


 ちなみに見てくれていた保健の先生は、他で用事があるとかで出て行った。

 今ここでは2人きりだ。


「…………………」

「…………………」


 うぅ、気恥ずかしい。

 物凄く取り乱したし、すごく大胆な事しちゃったよね、うん。

 思い出すと顔が熱くなっていくのがわかる。


「け、今朝から調子悪そうだったのはそういうことだったんだね!」

「…………………」

「は、初めての事だし、そういうの分からないよね、その、これ、成分の半分は優しさで出来てる薬!」

「…………………」

「く、薬飲んで横になってたらマシになるし、静かな方がいいだろうから、行くね!」


 気恥ずかしさからか、早口で捲くし立てるかのように言って、立ち上がる。

 ああ、もう、さっきのあたしをこの世から消し去りたいっ!


「…………………」

「…………あきら?」


 ぐい、と引っ張られる感覚があると思えば、晶がスカートの裾を掴んでいた。


「………一人にしないで、みーちゃん」


 ベッドの縁で腰掛ける晶が、上目遣いでふるふると頭を振りながら懇願してくる。


 ………………


 うん、ずるい。

 こんな顔されたら1人に出来ない。

 大体みーちゃんとはどういうこと?

 いや、全然ありだからいいんですけどね!



「わ、わかった。どうせ自習だしね」


 その辺にあるパイプ椅子を持ってこようとすると、またもやスカートの裾を引っ張られる。


「………ここ」

「う、うん」


 自分の隣に座れと促してくる。

 なんだろう……凄く調子が狂っちゃう。

 しずしずと晶の隣に腰掛けたと思ったら。


「みーちゃん……」


 どこか苦しそうな声色で、あたしの昔の呼び名で囁きながら、ぴたっとくっついてきた。


「ど、どうしたのかな?」


 突然の行動に思わず声が上ずってしまう。 


「………………」


 返事の代わりとばかりに、額をあたしの肩にこすり付けて甘えてくる。

 あ、晶さん?

 ど、どういうつもりなのかな?

 初めての事態で気が動転してるんですかね?


 こういう風に甘えられるのは全然構わない、ていうかむしろ嬉しいんだけど………いつも甘えてるのはあたしの方なので、ちょっと落ち着かない。

 あれですか? ここは頭でも撫でればいいとこですか?

 いいですか、撫でますよ? 優しい言葉もオプションで付けた方がいいですよね?


「大丈夫、大丈夫だから。あたしはここにいるから。ね?」


 自分でもビックリするくらいの声が出てた。

 猫なで声ってこういうものだと言わんばかりの、甘い声。


 そんな声をかけながら、さわさわと髪を指先で梳かすようにして撫で付ける。

 ぶっちゃけ、ちょっと今自分で自分に、その声と行動で動揺してる。


「みぃちゃぁん………」


 されるがままの晶は、恍惚とした表情をしながらあたしの顔を見上げてくる。 

 待って! その顔と声はやばいから!

 なんか、その、胸がもぞもぞしてくるから!

 あ、これもいいかな? って気になってきちゃうから!

 もうちょっと自分が可愛いってこと自覚して?!


「し、しんどいのとか大丈夫?」

「みーちゃんが居てくれたら大丈夫」

「そ、そっかー、あはははは」

「うん」

「うひゃあっ」


 そんな事を言いながら、晶が抱き付いてきた。

 まさかこんな大胆な事をするとは思わず、動転して変な声を上げてしまう。


 うん、動転。

 動転してるから、こんなに煩く心臓が泣き喚いているに違いない。


「みーちゃん、なんだかドキドキしてる……」

「やーその、あは、あははははは」


 はい、わかってるから口に出さない!


「ね、みーちゃん?」

「な、な、な何かなー?」

「ドキドキしてくれてるの?」

「ん、んっん~?!」


 どういうことかな~?

 余計あたしの心臓がドキリとする質問の仕方なんですけどぉ?!


「みーちゃん」

「な、何?」



「ごめんね……」



 ポロポロと、大粒の涙が晶の瞳から零れ落ちる。

 それは密着してるあたしの胸にも落ちて。

 なんだかとても胸が熱い。


 先ほどまでとは違った種類の熱が、あたしの胸の中で渦巻いている。


 どうして?


 どうして晶が謝ってんの?


「迷惑ばかりかけてごめんね……ごめん……ごめんなさい……」


 止め処なく溢れる涙があたしの胸を濡らし、あたしの感情を膨れ上げさせていく。

 頭の中が黒く染まっていく。


 どうして? 


 どうしてあたしは晶にこんな顔にさせてんの?


 それが、どうしようもなく自分に腹が立った。


「あきら」

「みーちゃん、どうしたらい」

「言うな」

「みーちゃん、ボクは」

「いいから、何も言うな!」


 肩を掴み、これ以上そんなことを言わさないと、睨みつけるかのようにあきらを見る。


 あたし、最悪だ。

 晶に言わさないというより、聞きたくないから、そんなことを言っている。


 なんだか。

 縋るように、助けを求めるように見てくる晶を見ていると。

 自分がとても卑怯で、どうしようもない人間に思えてくる。


 こんなに。

 晶はあたしを頼りにしてきてるっていうのに。


「その調子だと今日は厳しそうだし、早退しよう。ちょっと待ってて、荷物とか取ってくるから」

「み、みーちゃん………」

「大丈夫、あたしも一緒に帰るから」

「う、うん………………」


 後ろめたい気持ちで、晶を見ていられないとばかりに立ち上がる。


 ………………あ。


 あたし、また逃げるんだ。


 情けなくて、悔しくて、涙出そうになる。

 だけど、そんな資格はない、と無理やり押し込め、ガラリと保健室の扉を開ける。


「あっ、つかさちゃん」

「都子……これ、2人の鞄……」

「あ、ありがと」


 開けた目の前で、ばたりとつかさちゃんに会う。

 もしかしたらずっとここに居てタイミングを見計らっていたのかもしれない。

 けど、そのことを深く考える余裕は、あたしには無かった。

 2つのカバンを受け取ると、足早に、誰の顔もなるべく見ないように晶の元へ行き、帰路に着いた。


「かえろ?」

「うん」


 言葉も自然と少なくなる。


「都子は………………………………………よ」


 江崎つかさの呟いた言葉は、誰にも拾われなかった。



  ◇  ◇  ◇  ◇



 通学じゃ滅多に使わないバスに揺られ、晶の家を目指す。

 人気のないバスの最後尾に座り、手をつなぐ。

 今までしたことない、指と指を絡ませあった、所謂恋人繋ぎである。


 晶が手を握って来たかと思うと、この手のつなぎ方にしたのだ。

 初めて繋ぐけど、これ、うん、なんていうか、手が密接に絡み合って一体感と密着感が物凄い。

 恋人繋ぎとはよく言ったもの、むしろ恋人くらい仲が近くないとできないです、はい。ぶっちゃけ照れる。


 しかも、晶は時折いくつかの指に力を入れてにぎにぎしてくる。

 この指が締めつけられる様が、その、なんていうかエロい。

 なにこれあたしの自制心を試してるの?


「あきら、駅着いたよ」

「うん………」


 そのまま晶の手を引いて家を目指す。

 いつものように、あたしが右で晶が左。

 幼い頃から変わらない定位置。


 だというのに、いつもと違って全然落ち着かない。

 無言の空気が気まずい。


「あれ、鍵かかってる」

「母さん、今日は仕事で出てるって言ってた」

「へ、へぇ」


 おばさん、仕事してたんだ。

 そういや、おばさん何の仕事してるか知らないや。

 おじさんについていっても問題ないってことは、フリーランスの何かなのかな?


 晶から家の鍵を開けると、そのまま引っ張って部屋まで連れていく。


「ほら、あきら着いたよ。どうする? 横になる? それもまず着替え……」


 どすん、と。

 ベッドに押し倒されるような格好になった。

 ど、どういうこと?


「あきら………?」

「ボク、もう学校行けない……」


 …………え?

 どういうこと?

 その言葉であたしの頭が冷え込んでいくのがわかる。


「教室でお漏らしとか……どんな顔して行けばわかんないよ」


 あー……

 あたしだけが恥ずかしい思いをしていたかと思ってたけど、晶の立場で考えたら十分恥ずかしい思いをしてるよね。


 うん、なんだか頭の中の黒いモヤが晴れていくような気がする。


「大丈夫だよ、いつもと同じ顔でいけばいいんだよ」

「……あんことやっちゃって、嫌われたりしたら……」

「あたしは嫌いにならないよ!」

「……………」

「てか、あたしはもっと恥ずかしいも知ってるし!」

「みー、ちゃん……」

「だから、ね……?」


 ベッドの上にいる晶の頭を撫でながら、大丈夫、大丈夫って言ってあげる。


「ねぇ、みーちゃん」

「ん、なに?」

「匂い嗅いでいい?」

「んうぇ?! い、いいけど」


 すんすん、と鼻を鳴らしながら『んふぅ』とか『はぁんぅ』とかやたら艶めかしい声をあげる。

 い、いやぁ、さすがに色々と恥ずかしくなってくるんだけど?!


「え、えーと、あたしも匂い嗅いでいいかなーなんて……」

「だ、ダメ!!」


 即答だった。


「ぼ、ボクいま生臭いかもしれないし……ちゃんとした時なら、その……」


 え、えぇぇ、そうきますか。

 ちょっとお預けされたみたいになって、次回にほのかな期待感が生まれてしまうんだけど、どうしよう?!


「あ……ごめんね。生臭い身体でくっつかれたらイヤだよね……」

「だ、大丈夫、匂わないし、気にしないよ!」


 この日、おばさんが帰ってくるまでやたら甘えまくる晶に翻弄されたのであった。



  ◇  ◇  ◇  ◇



 あたしが帰ったあとは、まるで電池が切れたかのように意識を手放したらしい。

 ぐったりとしたまま休日を過ごし、月曜日。

 登校前のひと時、おばさんから呼び出しを受けていた。


「ごめんねぇ、都子ちゃん。あきら部屋から出てこようとしないの」

「あきらー? 生理粗方終わったんでしょー? 学校いくよー?」

「み、み、みやこちゃん?! ダメ! こないで! ていうか昨日一昨日の事は忘れて!」


 どうやら、生理の時は心が弱り込んで甘えてしまったのが恥ずかしいようだ。

 あたしとしては、たまになら可愛いしありだと思うんだけどなー?


 ちょっと次の女の子の日が楽しみだったり。


「み、みやこちゃん?!」


 あたしの心の漏れた声は、敏感にキャッチされたようだ。

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