第36話 異変
「……おはよう、みやこちゃん」
「おはよ、あきら?」
思わず疑問系で返事を返してしまうくらい、晶の顔色は青白かった。
「あきら、どうしたの? 顔色悪いよ?」
「調べものしてたから寝不足なのかな? 睡眠はちゃんと取ってるはずだけど」
「ふぅん? こないだ図書館で借りたやつ? 狐についてだっけ?」
「わかったのは、農家の守護獣って事と、天狐、空狐、気狐、野狐って序列みたいなものがあるってことだけかな」
「へぇ。きな子はどれなんだろう?」
「きな狐っていうものは……え?」
「え?」
んん~? なんかおかしいぞ?
「みやこちゃん、きな狐って……」
「黄な粉に似た色してるよね。だからきな子って呼んでるんだけど」
「………………」
「…………ん?」
「…………はぁ」
こめかみに手を当て、深いため息をつかれた。
「みやこちゃんがみやこちゃんだってこと忘れてたよ……」
むぅ、どういう意味さー!
「で、みやこちゃん。ほかに何かちゃんと話してないこととかない?」
「ど、どういうことさ! あ、そういえばさっきというか今朝というか、ウカちゃんと会ったよ」
「えっ! その話、詳しく!」
「え、えーとね?」
というわけで、今朝見た夢?の内容をざっくりと話す。
ウカちゃんの名誉の為、中二病のことには触れていない。
そのことに触れなかったから、ざっくりと話すしかなかったのだけどね。
「そっか、元に戻れるかもしれないんだ」
「まぁはっきりした方法がわかったわけじゃないんだけどね」
「それでも手掛かりが出来て嬉しいよ」
青白かった頬に、興奮の為かすこし赤みが差し込む。
「そんなに女の子って嫌? 似合ってるのに?」
「そ、そういう問題じゃないって!」
「ふぅん? あ、方法分かったら、あたしちょっと男の子になってみたいかも」
「えっ」
なんだかやたらと驚いた表情をする晶。
そんな意外かなぁ?
「ほらさ、あたし胸無いしガサツだし、男でもそんな変わらないんじゃないかなーって。ならいっそおと」
「だ、ダメだよ! みやこちゃんは、あっ」
「おっと!」
足元をふら付かせた晶を、あたしが抱きとめる。
しっとりとしてすべすべな手があたしの腕を掴み、サラサラでいつだかの香水の匂いを漂わせた髪が、素肌と鼻腔をくすぐる。
すっぽりと腕に収まるような体勢になっているのだが、腕の中で柔らか温かいものが身じろぐ様は、非常にあたしの理性を揺さぶってくる。
なにこれお持ち帰りしていい?
「ご、ごめん、みやこちゃん」
「大丈夫? 休む?」
「ん……大丈夫」
そう言いながら、ふるふると小さく頭を振って、あたしから身を離す。
ちょっと名残惜しい。
「生活スタイルとか色々変わったから、疲れが溜まっているのかも」
「あー、もう一ヶ月くらいだっけ?」
「そうだね」
◇ ◇ ◇ ◇
「みんなおはよぅ……、早速だけど朝のHRは特に無し、ついでにこのまま私の1時限目は自習です……」
うっぷ、と涙目涙声になりながら胃袋からこみ上げるものを抑え、教卓に突っ伏すのは我らが担任英子ちゃん。
どう見ても二日酔いですねわかります。
迎え酒もしてましたもんね?
でも見ようによっては、何か堪えきれない感情を見せまいと顔を隠したように見える。
不思議ですね。
「英子ちゃんどうしたの~?」
「先生、何かあったんすか?」
「大丈夫ですか? 俺達でも相談に乗りますよ」
「大丈夫よ。大人にはね、そういう時もあるわ………ただ、今は1人にして欲しいの」
顔をあげた英子ちゃん先生は、どこか影のある愁いを帯びた表情で、にっこりと力なく微笑む。
その悲しげに潤む瞳に、クラスメイト達は何も言えなくなる。
実際のところは、合コンに失敗して自棄酒かっくらった挙句、二日酔いなだけである。
その悲しい事実に、あたしは何とも言えなくなる。
「英子先生もなんだか辛そうだけど、楠園君もなんだか辛そうだね?」
「つかさ、ちゃん」
「江崎さん」
1時限目が始まる前の時間の合間を縫って、つかさちゃんが話しかけてきた。
最近、つかさちゃんと演劇部の後輩ちゃんとのことが気になっていたこともあって、声が少し硬くなったのがわかる。
うぅぅ、なんだか変に緊張してきたよぅ。
「多分、慣れない生活で疲れが溜まってるだけだと思うから」
「つかさちゃんはどう? そっちも慣れてないんじゃない?」
「私は結構楽しんでるからね。気疲れとは無縁かな?」
と、そういうつかさちゃんはやたらスッキリした顔で、そして肌も心なしかつやつやしている。
いやいやいやいや! まさか……まさか、ね?
う、う~ん……考えるの止めよう。
「係りの人、自習のプリント前まで取りに来てだって」
「あ、ボクだ。今行きます」
そういって立ち上がった晶は、一瞬立ちくらみをしたかのように、足をもつれさす。
「だ、大丈夫、あきら?!」
「大丈夫だから、ちょっとドジしただけだから」
なんて言うけれど、朝より顔色は悪くなっており、あたしは気が気じゃない。
ハラハラした気持ちで見送ってしまう。
「ねぇ、都子」
「な、何? つか」
『きゃあっ!』
誰かの叫び声と、ガタッと何かを倒す音が聞こえた。
教卓近くの席で、晶が倒れたのだ。
倒れている身体の足元に、うっすら滲んだ赤いものが見える。
……………え?
―……それを見て。
「あーくんっ!」
どこか、遠くへ行ってしまう。
まるで、かつてそんなことがあったかのように。
克明にその情景を幻視してしまった。
心臓の音はバクバクと喧しい位に鳴り響き、全身からは嫌な感じのする汗が滝のように流れ出す。
恐らくあたしの今の顔色は、英子ちゃん先生や倒れてるあきら本人よりも真っ青だろう。
頭の中はドロリとした黒いものに浸食されていく。
「みーちゃ……」
弱々しく起き上がろうとする晶が、真っ青な顔のままあたしに手を伸ばそうとしてくる。
よかった、顔や頭から出血していない。
いや、よくない。
どこにもなんて行かせない。
「しっかり捕まって! いや、しっかり捕まえとくから!」
右手を背中、左手を膝裏に入れて強引に抱きかかえる。
いわゆるお姫様抱っこの形だ。
あまりの軽さにびっくりする。
左手に、ぬるりと血が滑る感覚があった。
その感触が、かえってあたしを冷静にさせた。
晶は、申し訳なさげに、おずおずとあたしの首に手を回してきた。
落ち着け、あたし。
まず何をすればいい?
決まってる。
「保健室行ってきますっ」
お姫様抱っこのまま急ぎ足で、しかしあまり揺らさないよう気を使いながら保健室を目指す。
教室から『きゃーっ』とか『だいたーん!』とか聞こえるけど、気にもならない。
息のかかる距離にある晶の顔は、本当に生きているのか不安になるくらい真っ白で、そっちの方がよっぽど気になって仕方がない。
いつもの調子だったら、羞恥で顔を真っ赤にして文句の一つでも言ってるところだろう。
だというのに。
「ごめんね、ごめんね、みーちゃん……」
甘えてごめんねという、感謝と申し訳なさがない交ぜになった表情は、あたしの頭と胸をぐちゃぐちゃにかき混ぜていく。
そんな顔をさせているのかと思うと、あたしであたしに腹が立って仕方がない。
保健室までの距離が、こんなに遠いなんて感じたのは初めてだった。
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