第29話 童貞野郎


「はぁっ?! 信じらんない、今なんつったし!」

「だから、あたしの第2部の推しは妹ちゃんだって!」


 ある日の放課後、まだ誰もいない家庭科部にて部長さんとの一幕である。


「結局あんたも妹キャラか! あーもう、姫様の良さがわからないかな!? そりゃちょっと重いところもあるけれど、健気で一途、それで身分差で葛藤するところとか悶え可愛いし!」

「姫様の良さは十二分にわかってるよ。でも妹ちゃんの献身さ、そして庇護欲を誘うところがなんていうかその、うん、そうなの!」


 話している内容は、以前部長さんに借りたラノベ(第2部6~10巻)についてである。

 部長さんの推しとあたしの推しが、その、なんていうか、そういう界隈でデリケートな部分だったようで口喧嘩みたくなっちゃっているのだ。


 まぁ特にあたしの方にそういうこだわりはないんだけどさ……献身的かつ甲斐甲斐しく世話してくれる妹ちゃんが、なんとなく晶に似てたんだよね。だからこんな状況になってしまっている。


「第3部になったら本格的に物語が動き始めるし、立場的に姫様が活躍しまくるはずなんだからっ!」

「あれ、第3部ってまだ完結してないの?」

「12巻まで出てるからねー、今めっさ盛り上がってるとこだし!」

「う、それは気になる。でも終わってから一気の方が物語に集中してのめり込めるし………ん? あれって……」


 ふと家庭科部のある2階の窓から、何人かの男子生徒と一緒に校舎の裏手に向かう晶が見えた。

 それだけなら、まぁ別に気にすることじゃないと思うんだけど……その、一緒だった男子生徒とあまり友好的な雰囲気じゃなかったのだ。


「どうする? 気になるなら貸すし………って何みてるんさ?」

「いや、あれ………」


 今いい話してたところに一体何さ、と言いたげなむすーっとした顔で、あたしが示した先を見る部長さん。

 すると、何か苦虫を噛み潰したかのような、苦々しい顔になっていく。


「あれ、あいつらちょっとやばいし。ちょっと助け呼んだほうがいいかも」

「え、どういうこと? てかあの人ら誰?」

「………一応元カレ。といっても付き合った翌日に浮気されてそっこー別れたけど」

「……え?」

「しかも別れを切り出したら逆上して襲い掛かってきたし。ま、なんとか助かったけどさ」


 話を最後まで聞き終えるのを待たず、部室から飛び出した。


「ちょ、あんた1人じゃマジやばいって! 相手3人もいるし!」


 そんなこと、あたしには関係ない。


 暗く、ドロドロとした気持ちが際限なく溢れてくる。

 その気持ちを燃料に身体を加速させ、階段も4段飛ばしで、まるで落ちるかのように降っていく。


 あいつら一体晶に何をするつもりだっていうの?


 あたしも人のことあんま言えないけど、晶は警戒心が薄い。

 あんな下半身でモノを考えるような人についてって何をしようっていうの?

 何をされるかわかってるの?


 オトコハ、キュウニ、カワル


 きっと、人気の無いところに連れ込まれた晶は―………

 胸の内に黒いものをのた打ち回らせ、下履きのまま外へと駆け抜ける。


「………ッ!」

「チッ、あぶねーな」

「ちゃんと前見ろよ!」


 そこで出会いがしらに遭遇したのは、さっき晶を校舎裏に連れ込んだ男子生徒達だった。

 え? どういうこと? もう色々終わっちゃったってこと? あたし、そんなノロマだったってこと?!

 よくよく見れば、男子生徒たちの制服には泥がついていたり、顔に出来立ての生傷が出来ていたりする。

 え、なに、それ抵抗されてできた傷とか言うんじゃないよね?


 ユルスナ


 なんかもう。


 頭が沸騰するっていうのはこういう事を言うのかもしれない。

 居ても立っても居られない心持ちで、家庭科部からも死角になっていた角を曲がる。


「おい、大丈夫か? 怪我は……悪ぃ」

「………ボクよりも沢村君のほうが大変なんじゃない?」

「こんなの大したことねぇよ」

「………そう」


 そこでは、沢村君が地面にへたり込んでいた晶に手を差し伸べていた。

 晶の姿は、強引にベストを脱がされ、ブラウスは強引に脱がされそうになっていたのか、引きちぎられてボタンが飛んでいる。誰かに襲われたと言われても納得の姿だ。

 沢村君はといえば、あちこちに泥だらけになりながら、擦り傷を作っている。誰かと喧嘩して争ったと言われれば納得する姿だ。


 そんな沢村君が、晶の安否を気遣いながら手を差し伸べている。先ほどまで何があったか、想像に難くない。

 あたしもそこへ飛び出していかなきゃと頭で思っているにも関わらず、晶と沢村君という思いがけない組み合わせに、つい反射的に身を隠してしまった。


「お礼は言わないよ」

「別に礼が欲しくてしたわけじゃないし、楠園を助ける為にしたわけじゃない」

「ふぅん、はっきり言うね」

「楠園だって俺と同じじゃないのか?」

「同じ?」

「俺は惚れた相手を馬鹿にされて黙ってらんなかっただけだ。男ならこの気持ち、わかるだろ?」

「………ッ!」


 ………ッ!


 あーあーあー、ここでそういうこと言っちゃいます?

 なになにどういうこと? そういうこと? わけわかんないよ!

 胸のうちに渦巻いていた黒いものが一転、羞恥で真っ赤な何かに変わる。


 ほら、あれだ。

 水揚げされたばかりのズワイガニとかロブスターとか、まるでものに強く打ち付けた時の痣のような、青みがかったドロリと濁ったグロテスクな黒色してるじゃん?

 それが茹でられることによって、一気に華やかとも言える鮮やかな紅に変わった感じ。


 わかるかなー?

 まさかこんなグロかったものが、見た目も綺麗で食欲をそそる紅になって全然違う方向の感情に振り切っちゃう感じ。

 わかりにくいよねー、あたし自信よくわからんと思いながら考えてるもん。ある意味これは脊椎反射、海老だけに。あっはっは。はぁ……


「ちょ、あんた大丈夫? あいつら去ってくの見かけたけど」

「あ、しあーし部長さん。うん、あたしは特に何も」

「しあーしじゃないし、白石だし。てか何を覗いて………」

「あー………」


 身長差があるので、部長さんはあたしの前から覗き込む感じで晶と沢村君を見た。


 去っていった男子生徒、怪我をしている沢村君、そして制服を剥かれ差し伸ばされた手をとり身を起こす晶。

 ちょっと勘のいい人なら、どういう状況か一目瞭然である。


「今のボクはこんなだっていうのに、沢村君は男って言うんだ?」

「ん? 違うのか? 楠園の在り方は男だろう?」

「ふ、ふぅん、そ、そうだよ」

「だろ?」


 ニカっと笑う沢村君。傷は男の勲章とはよくいったもの、思わず見惚れてしまうイケメンスマイル。

 一方晶は顔を赤くして照れている。多分あれは男扱いしてくれたのが嬉しくてだと思うのだけど、傍から見れば沢村君に惚れているようにもみえる。

 それがどういうことかというと。


「(ちょっと! 中身が男だと知った上でこの展開とかやばくない?! やばくない?!)」

「(いやいやいや、違うし! そういうんじゃないから!)」


 腐った方への燃料になってしまう。『女体化ジャンルは趣味じゃなかったのに、あーしイケるかもしれない』とか呟いておられます。え、部長さんまた何か新しい属性に目覚めたの?! やばいのはあなたの性癖だよ?!


 しかし、そうなのか、晶って男なのか。なのか? うーん、あたしもよくわからんし、どっちだろうと晶には変わらないし。


「俺、楠園にだけは……」

「童貞野郎」

「ちょ、なっ」

「あいつら言ってたね、童貞野郎って」

「ばっ、おま! 別にいいだろ、童貞でも! 悪いかよ!!」


 そろそろ状況も落ち着いただろうし、顔を出してもいい頃かなと思っていたら、晶の口から『童貞』というパワーワードが飛び出した。




 美少女の口から童貞。




 なんだろう? とてもイケナイ事を聞いたような、それでいて気分が高揚してくるような倒錯的な気持ちが妙に心地いい。


「(え、うっそマジで?! 沢村ってガチ童貞?! てことは受け?! いやいやいや、アリだわ!!)」


 うん、その心地よさに身を委ねると部長さんみたくなりかねないから自重しよう。割とマジで。


「あ、ちなみにボク童貞じゃないから」

「えっ?!?! うそ……え?!?! ど、どどういうことだよ?!」

「さぁ、どういう事だろうね?」

「くぅ~~~~、あー、くそ! じゃあな!」


 蠱惑的ともいえる表情で童貞じゃないよという晶。無理に引き裂かれたブラウスで胸を隠す様子は艶かしく、まるで百戦錬磨の娼婦に誘われているような錯覚に陥ってしまう。

 一言でいうとエロい。別に女の子をそういう対象にみたことないけれど、あれに本気で誘われたら道を踏み外しかねないかも?


「あーし、浮気するような男なんかよりいっそ、女の子でもいいかなって」

「待って! 部長さん戻ってきて!」


 あぶねー! 晶もうやめたげて! これ以上部長さんに変な属性目覚めさせないで!!


「っ! み、宮路っ!!」


 いつの間にかこちらの方に歩いてきていた沢村君と出くわしてしまった。 

 沢村君は顔を真っ赤にしながら、あたしの顔を見たいような見たくないようなといった感じでチラチラ見てくる。


「お、俺は過去とか気にしない方だから!」


 と言って、去って行った。

 んっんん~? どういうことかな~?


「みやこちゃん、居たんだ」


 ボタンが無くなっているブラウスの上からベストを着ており、一見すると胸元を開けて着崩しているにも見える。

 実際のところはボタンが無くなってるってことを知っているので、なんだか危ういなぁって気持ちになっちゃったり。


「そ、そういやさっきのって?」

「さっきの?」

「童貞」

「ああ、それ」


 晶を前にして喋って、自分が思ってる以上に動揺してたってのがわかった。

 なんだか声が半オクターブくらい高かったし、妙に早口になってたものがわかる。

 多分こっちの気持ちの揺れはバレバレだ。


 恐る恐る伺うように晶の顔を見てみれば、なんだか見られちゃ恥ずかしいものを見られたって感じの表情で、顔を真っ赤にしている。

 なんだよー、プライベートの事だからねー? もぅ、べつにー? あたしがそんなこと知らなくてもー?


「……………だから」

「………ん?」

「今は女の子だから、その、ほら……童貞じゃなくて、しょ……」

「あ、あーあーあーはいはいはい、なるほど、そういうことか!」

「べ、別に経験無くてもいいでしょ!」

「そうだね、いやー先に大人になっちゃったのかと思って焦っちゃったよー」

「ふ、ふぅーん、そう。みやこちゃんそうなんだ」


 茹でダコも斯くやといった赤さに顔を染める晶。

 これはこれでなんだか、あたしが無理やり恥ずかしい事を言わせた感がして………なんだろう、ちょっとアリと思ってしまう。

 うんうん、可愛い。尊い。


 そっかーそうなんだー。あたし今凄くホッとしているな。



 それがどういうことか深く考える前に、部長さんが『女の子の童貞を捨てる』という台詞と『姫様に生やさせて攻めに回る』とか薄い本のことを考え始めたので現実に戻されるのであった。


 部長さん、すっかりオチ要員になってない?

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