第2章-2 きなこの日々
第25話 きなこ
『ケェン!』
顔や瞳を揺らしながら、何か訴えかけるような声で鳴くきな子。
同じ目線の高さまで浮き上がっていて、あたしと目ががっつり合っている。
はい、これどう見てもあたしに用って感じですねわかります。
そんなきな子からあたしを護ろうって感じで抱きついている晶。
なにそれ、盾になろうとしてくれてるの?
いじらしくて可愛いんだけど、さすがに小さい子にそんなことさせられないな!
ほら、あたしのほうが(3日程)お姉さんだし!
「みやこちゃん、逃げてっ」
晶が抱きついていた手を離そうとする。
あたしを逃すため突き飛ばし、きな子に飛び掛ろうとする為だ。
「待って、大丈夫」
安心させるように離そうとした手を握り、大きく深呼吸してきな子と向き合う。
きな子はすんすんと鼻を鳴らしながら、あたしを見つめてくる。
んーと、んーと、何か言わないと。何か……
「おすわり!」
『ケン?!』
「おーすーわーり!」
いや、おすわりはなかったかな?
なんて思ったけれど、どこか何かわかったような感じで静々とお座りポーズになるきな子。
うん、でも空中でやってもらっても困る。シュールだ。
きっとあたしは困った変な顔をしてたんだろう。きな子も困った顔をしている。
そしてそれも案外可愛いので困る。
「地面で、おすわり。空中はダメ」
「!」
あ、なるほどって顔をして、まるで吊り下げられていたピアノ線が急に切れたかのように地面にトスン、と落ちる。
落ちた衝撃がまるでないのか、微塵も崩していないお座りポーズはどこか現実離れしていて、その様子はまるで置物めいていた。
その異様な光景を見ていた晶は、本当に大丈夫? という意味を込めてか、ぎゅっと強く手を握ってくる。
「みやこちゃん、この狐?は?」
「きな子。昨日神隠しで出会った子」
「きな狐……?」
「あたしを元の世界に送ってくれたし、悪い子じゃないよ。多分」
晶が本当かな? と訝しげな顔をすると、そんなことないっすよ! とぷるぷる顔を振るきな子。
んー、やっぱ賢いな、きな子。
『ケーン、ケケン、ケン、ケーン』
2本足で立って前足でぐるぐる忙しなく何かジェスチャーしたり、全身をつかって何かを伝えようとしたりしてくれる。随分器用で多芸だ。
まるで芸をしているみたいで、次は一体どんなのを魅せてくれるのかついつい晶と魅入ってしまう。が。
「みやこちゃん、何言ってるかわかる?」
「やー、さっぱり」
『ケーン………』
凄く悲しそうな顔をして項垂れ、悲嘆の鳴き声をあげるきな子。
その悲哀さ具合を見ていると、こっちの罪悪感が込み上げてくる。
「み、みやこちゃん?」
どうしよう? 餌付けしていい? みたいな顔で聞かないでほしい。あたしもどうすればいいのかわからないんだし。
それにしても本当に表情豊かだなー、きな子。
こっちの言葉にも一喜一憂したりして………んぅ??
「もしかして、きな子って人の言葉わかる?」
『ケン!』
鳴きながら、顔を上下にぶんぶん。
「ここには何しにきたの?」
『ケ、ケェン………』
「みやこちゃん、言葉理解できても喋れないんじゃ?」
「はっ!」
『ケ、ケェン』
そういえばきな子、ケンケンとしか鳴いてなかった。
うーん、でも人間の言葉はわかるんだよねー?
つぶらな瞳で悲しそうに、小首を傾げ、そして訴えかけるかのようにあたしの顔を覗き込んでくる。
うぐ、こいつぜってーわかっててやってるなあーもーかわいーなー、今日からあたし狐派になるわ! 他にどんな派閥あるか知らないけど!
『きゅるるるる』
ん?
このきな子から聞こえる、空っぽの胃袋が運動して響かせるような音色は………
「もしかしてお腹空いてる?」
『ケェン………』
恥ずかしそうにきな子は鳴いた。
◇ ◇ ◇ ◇
「お腹空いたね」
『ケェン………』
夕暮れどき、あたしん家の庭先できな子と2人(?) 晶が作るご飯を待つ。
目の前の晶ん家の台所から漂ってくるのは、日本人の魂と胃袋に訴えてくる甘く食欲を誘う醤油とみりんの香り。
作ってるのは稲荷寿司。
狐といえばベタだけど、きな子が時折ヨダレを垂らそうとしては呑み込んで『た、垂らしてませんよ?』とすまし顔をしているのを見ればあながちハズレではないのだろう。
ちなみにきな子を家の中に上げようとしたのだけれど、抜け毛とか獣臭とかつくからと気にして遠慮したのだ。
律儀な子である。
「今の状況って、『待て』されてるみたいなもんだよね」
『ケケン』
これだけいい匂いを漂わせながら、食べてはいけないとか拷問じゃなかろうか? まぁ、そもそも現物が無いんだけれど。
人間でさえこれだけ匂いにやられちゃっているのだ、イヌ科の狐なんてあたし以上にやられちゃってたりしないかな?
切なそうな顔をして、時たま『きゅぅ』なんて声を漏らすきな子を見ていると、晶早く持ってきてあげて! なんて思ってしまう。
「できたよ」
「わぁ!」
『ケーン!』
晶が大皿にたくさんの稲荷寿司を並べてやってきた。
急いで作ってきたのか熱をとるのもそこそこで、うっすら湯気をあげている。
帰宅後着替えたのか着替えさせられたのか、今の装いは汚れなき純白のシンプルな小袖、そして緋色の袴を履いて髪型は後ろで1つに束ね、和紙のようなもので飾っている。
「何で巫女さん?」
「ぼ、ボクに聞かないでよ」
「説明がいるかなっ?!」
「おばさんっ!」
手にはゴテゴテしたカメラと三脚を構えてる。初めて見る装備ですね? 晶用ですねわかります。
「お狐様に映えるといえば巫女さん、巫女さんに添えるといえば狐。ほら、似合うから神社の入口にはお稲荷さんの像があるでしょう?」
「な、なるほどぅ! そう言われれば確かに!」
「違うから。神様の使いなだけだから。狛犬とかもあるでしょ?」
手ずからきな子に稲荷寿司を食べさせている晶に突っ込まれる。
あたしの分もちゃんと残しておいてほしい。
慌てて食べようとするきな子を窘めながら、困った顔をして、たくさんあるから慌てないでと世話をする晶。その姿はまるで動物と心を通わす物語のワンシーンじみていて、なんていうかその、保護したくなる。
ジィィィィィ、カシャカシャ。ジィイイィィ、カシャ。
「いいわ、いいわ……あきらすごくいいわ……そんな顔もいいけど、笑顔も……怒った顔も……ああっ!」
バズーカ砲とか戦車とか撃ち抜けそうなライフル銃とか、そんな仰々しいものを連想するゴテゴテしたカメラで晶を撮影するおばさんがいた。
世界に反逆する戦士を彷彿とさせる貌で、まるで晶を撃ち抜くかのようにフラッシュを浴びせていく。
「おばさん、何その兵器みたいなの?」
「カメラに決まってるじゃない。いい、みやこちゃん?」
撮影の手の勢いを止めず、入ったばかりの新人に言い聞かせるかのように諭すおばさん。
「常に途切れることなく流れ、同じ時というのは二度と訪れないもの。写真っていうのはね、その掛け替えのない瞬間の煌きを切り抜くということなのよ。娘の最高の一瞬を射貫くのは母としての義務であり、使命でもあるわ。妥協は許されない」
「え、娘? 息子じゃなく?」
「楠園・S・加奈子、狙い撃つぜ!!」
おばさんの旧姓は佐藤加奈子である。
「母さん恥ずかしいからやめてよ!」
「いいね、いいね、その表情、いいね!」
「母さん!」
きな子とはいうと、満腹になったお腹を見せて服従の意を伝えていた。
あの子賢いのにちょっとチョロすぎない?
◇ ◇ ◇ ◇
「ねえお父さんお母さん、きな子拾っちゃった! 飼っていいでしょ?」
「き、きな狐?」
「え? 浮いて?」
『ケーン!』
両親が帰宅したので、きな子を紹介した。
お澄ましした感じで宙に浮きながらのお座りポーズをしているきな子は、全力で媚を売りにいっている。
しかしあたしの両親は、リビングで宙に浮いてる狐という摩訶不思議な光景に戸惑うばかりで効果はいまいちだ。
「人間の言葉もわかるし、おトイレも便座に座って流すことまでもできる。寝床も玄関でタオル1枚あればいいって言ってるし。ねぇ、飼ってもいいでしょ? きな子、他に何か芸とかできないの?」
『ケェン!』
「うわ!」
いきなりヒトダマを彷彿とさせるような火の玉を4こ呼び出したかと思えば、地面に降り立って2本足で立つと、前足で器用にお手玉するかのように動かす。
こんな事出来るなんて知らなかったので、これにはあたしもびっくり。
「これ狐火ってやつ?」
『ケーン!』
「でも屋内じゃ危ないからやめようね、きな子。火事になっちゃう」
『ケ、ケェン』
ドヤ顔で狐火お手玉をし始めたけれど、叱られて恥ずかしそうな顔をしながら耳と尻尾を垂れさせて反省のポーズをする。
うん、これも計算してやってるんだなと思うけれど、可愛いから許す!
「え? 火が……え?」
「化け物……妖狐……九尾……」
「え、きな子妖怪か何かなの?」
『ケ、ケンケン』
勢いよく顔を横に振って全力で否定するきな子。
大きな尻尾も、同じく違うよとブンブン振って……振っ……
「え、尻尾が5つ?」
『ケェン!』
「九尾と一緒にするな?」
『ケン、ケェン!』
「だ、そうです」
だ、そうですと言われても困るよね。あたしも尻尾の事も今知ったし。
もう他に何もないよね、とジト目で睨む。気まずそうにして顔を反らす。
く、この。かわいいなー、もう! あとでモフってやる!
「いや、でも……うーん……」
「お困りの様ね!!」
「おばさん!」
そこに現れたのは晶のおばさん。撮影会は終わったのかな?
なんで撮影してたはずなのに晶の着物が乱れてるのかな?
どちらにしても厄介な予感しかしないのは何でなのかな?
晶が涙目で襟とか直すのグッときます。
「あなた達は難しく考え過ぎなのよ。第一に考えるべきは娘の事……そうでしょう?」
「それ、は………そうだけど」
「わたしに任せて! みやこちゃんはこれに着替えて!」
手渡されたのは白衣に緋袴、そしてその上から羽織ると思われる意匠を凝らした千早。
「へ?」
あたしの分の巫女服だった。
晶は暖かい目であたしを見ていた。
◇ ◇ ◇ ◇
「いいよ、いいよみやこちゃん。ほら、もっときな狐に寄って……ううん、抱きしめて? あーあー、いいよいいよ、それいいよ!」
数分後、あたしは仏間のある和室で撮影されていた。
仏間で巫女さんの恰好とはこれ如何に?
ちなみに晶と同じ巫女装束の上からゆったりとした千早を羽織っていると身体のラインが隠れて、有体に言えば無乳が誤魔化せる。
……それを見越してのチョイスなのだろうか?
「ねぇ見て? みやこちゃん可愛いでしょう?」
「都子が……うちの子がちゃんと娘だっただなんて……」
「俺、ちゃんと娘がいたんだって、これを待ち受けにして会社で自慢するんだ……」
うん、なんか酷い言われような気がする。
『ケェン?』
あ、きな子慰めてくれるのね。ふふ、いい子だよ。あざといけど。
「この可愛さはきな狐ちゃんがいてこそなの。わかる? モフモフと女の子はワンセット互いを高めあうパートナーなのよ。そう、だから迷う必要なんかないのよ!!」
「わかる、わかるわ……都子がちゃんと女の子になってくれるなら狐の一人や二人!」
「それよりも俺は、ちゃんとアルバムを作ってなかったことを……クソ! 明日帰りにカメラ買ってくる」
えぇえぇ、うちの両親へんなスイッチ入ってない?
「みやこちゃん」
え、晶なにその自分も通った道だよという悟った顔は?
「ほら! 晶ちゃんもこっちきて! みやこちゃんときな狐ちゃんと絡んで!」
「ええっ?!」
え、晶なにその自分にとばっちりが来たって顔は?
この日、撮影からの勢いで、なし崩し的にきな子がうちの家族になることになった。
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