第13話 メレンゲとバターロール
どこか白くてふわふわした場所を走っていた。
見慣れたはずの手足はいつもより短く、まるで子供のようだ。
だからこれは夢なんだ、なんて冷静に見てる自分がいた。
幼い自分は何かを求めるように走っているくせに、何を求めていいかわかってない。
そのくせやけに必死だ。
もちろん見てる自分もわからない。
『………………、…きて』
ただそれを見て思うのは、白くてふわふわしてるしてるものをわたがしのようなって表現するけれど、あたしとしてはメレンゲの方を推していきたい。
わたがしだと手で千切ると案外べとべとしちゃうことがあって悔しいし、湿気が高いとすぐにへなっちゃうのが残念だ。
その点メレンゲだと固めればべたつかせる事もないし、それなりに日持ちもする。砂糖の加え方によって様々なバリエーションが生まれるのが魅力だ。
それだけじゃない。わたがしはただそれだけで完結してしまうが、メレンゲはマシュマロやマカロン、ダックワーズに変身するという発展性もある。
作りやすさという点では、上手く泡立てるのがことのほか難しい。そこはわたがしに一歩譲る点だろう。
だがその点を含めてもメレンゲは多様性と魅力に溢れてる。だからあたしはメレンゲを推したい。
『み……ちゃ…、…きて』
走っていた幼いあたしが躓いて、顔の正面からこける。これは痛そう……と思ったけど、地面もふわふわしてるからそんな痛くなさそうだ。
再び起き上がって駆け出そうとするのだけれど、求めるものはその手に掴んだメレンゲもどきでもいいんじゃないかな?
それとも身近にありすぎてわかんないのかな? もしくは、全然別のものを探していたりする?
気付けば、自分も手を伸ばしていた。今のあたしの手にも、なにかふわふわした感触があった気がした。
幼い自分に向けて思う。
身近にありふれて、気付いていないそれはきっと―………
「おふくろのあじ……」
「……ボクの胸を触りながら何を言い出すかな?」
気付けばあたしはベッドの上で、目の前には腰を屈めて身体を揺さぶる晶がいた。
寝相で布団は半分蹴飛ばしており、寝ぼけて伸ばした右手は何故か晶の胸にある。あ、思った以上にやわらかい。
「……メレンゲ?」
「いいから起きて」
「ひゃい」
寝ぼけるあたしのほっぺを両手でむんずと引っ張り覚醒を促してくる。うん、起きた。
既に晶は制服に着替えていて、あたしが起きたのを確認するといそいそとカーテンを開けにいっている。あ、眩しい。
「あれ、どうしてあきらがここに?」
「昨日、テストまで早く行って勉強するって言ったじゃん。起きれないから起こしにきてって」
「………言ったっけ?」
「言ったよ」
時計を見れば6時過ぎ、いつもより1時間近く早い。
まじかー。昨日も日付変わるくらいまで勉強させられたのに、朝もかー。
だけどテストがあるのだから仕方ない。うぅぅ。
「ほら、ちゃんと起きて支度して。朝ごはん作って待っとくから」
「ふぁーい」
寝ぼけ眼と戦いながらいそいそと服に手をかける。
「着替えるのはちゃんとボクが出て行ってからにしてよ!!」
顔を真っ赤にした、近年稀に見る晶の大声で完全に目が覚めた。
◇ ◇ ◇ ◇
食卓に並んでいたのはトーストに出汁巻き卵にポテトサラダ、そして砂糖少なめ牛乳たっぷりのミルクティー。
いつもはトーストだけっていうことを考えると、いささか豪華な彩りだ。
うちの両親の分のお皿も既に出ていて、トーストと飲み物を出すだけになっている。
ははぁん、さては出汁巻き卵とポテトサラダはお弁当に使ったやつの余りだな。多分その2つは晶の家から持ってきたものだろう。
半分に切り分けられたトーストに、バターといちごジャムをたっぷり塗って口に運ぶ。
甘くなった口の中をミルクティーで押し流しつつ、時折出汁巻き卵とポテトサラダで味の変化を楽しむ。
早起きした分、時間に余裕があるので優雅な気分になっちゃう。
「あら、おはよう。あなた達今日は早いのね」
「おはよう、おばさん。おじさんとおばさんの分のたまごとポテトサラダあるのでよかったらどうぞ」
「悪いわね、でもいただくわ」
ひょい、とお母さんは自分の分のお皿にあった出汁巻き卵を手で掴んでつまみ食いをして、ふぁあと欠伸を噛み殺しながらキッチンへ向かっていった。
少々行儀が悪いのだが、まぁあたしの母親だし? なんて思って納得してしまう。
晶の方も、いつものことと気にする素振りはないし。
登校の時間に余裕はあるのだけれど、あくまで早起きしたのは朝勉のためなのだ。
だから、あまりゆっくりしてはいられない。
手早く準備して、と言っても鞄を引っ掴んだだけだけど、早々に家を出る。
いつもより早い分だけ弱い日差しが、普段より肌寒いように錯覚する。
「みやこちゃん、リボン捻じれてる。あと位置もちょっと変」
「ん、どう?」
「じっとしてて」
見かねた晶が目の前にやってきてリボンを手直ししてくれる。
今まで似たような事はあったけれど、晶が男の子の時には手直しなんてやってくれたことはなかったのになぁ。
どういう心境の変化かはわからないけれど、気分は新妻にネクタイを締めてもらう旦那さんだ。うむ、苦しゅうない。いじらしく世話を焼いてくれる嫁っぽくて可愛い。
しかしながら頭一つ分近くの身長差があるので、その表情を窺い知る事は出来ない。目線を下げればちょこちょこ動く頭がある。
これ、背伸びしたら頭にアゴ乗っかるんじゃないかな?
そんなどうでもいい誘惑に駆られて葛藤する。うーん、さすがにやってもらってる最中にそんなことをするのはダメだろう。
我慢だ、我慢。代わりに髪の匂いでも嗅ぐのだ。……ん? あれ?
「あきら、香水か何か使ってる?」
「ん? 首筋にちょっとだけ。初めて使ってみたんだけど……臭う?」
恐る恐る、心配そうにあたしの顔を覗き込んでくる。
「いや、全然。ここまで近づかないと気付かなかったし」
「そう、ならよかった」
「でも意外。今までそんなイメージなかったし」
「んー、長い髪とか初めてでちょっと気になって。それに………」
「それに?」
今度はまるであたしを試すかのように、悪戯っぽい目で覗き込んでくる。
この目は知ってる。何か新作料理に挑戦した時とかによくやってる目だ。
「んー、やっぱなんでもない」
「むぅ、なにさー」
「さ、行こ?」
「もー!」
そんな晶はどこか上機嫌で、あたしの足取りも軽くなるのだった。
◇ ◇ ◇ ◇
いつもより大分と早い時間に学校に着いた。
門が閉まってるじゃないかと思ったけれど、朝練がある部活ならこれくらいに登校するらしく、問題なかった。
うちの部は朝練するほど熱心じゃないし、晶は朝練するような部活じゃないしね。
当然ながら教室には一番乗り。
いつもは賑やかな教室は無音で、今はまだどこか物寂しい独特の空気がある。
まるで無人のキッチンで膨らむのを待っているパン生地の気分だ。
そういえば最近ずっとトーストだけど、たまにはバターロールが食べたい。レーズン入りも心惹かれるし、生地にチョコを練り込んだのも捨て難い。
そんなバターロールに思いを馳せていたら(現実逃避)、晶が自分のとこから椅子と英単語帳をもってやってきていた。
「ほら、まず静かなうちに暗記物を頭に叩き込もう」
「ひ、一休みしてからにしない?」
「ダメ。そんな事してたら結局何もせずに終わっちゃうでしょ」
「うぅ………」
がっくり項垂れて、同じく鞄の中から英単語帳を出す。
頭の中のもっちりしたバターロールをアルファベットでもって追い出していく。嗚呼、さらばバターロール。
そんなこんなで頭の中に残っていたバターの残り香までも駆逐された頃、扉を開ける音がした。
「やぁ、おはよう。二人とも今日は随分早いんだね?」
「おはよー、つかさちゃん」
「おはよう、江崎さん」
どこか芝居染みた台詞と優雅な所作で教室に入ってきたのは、チャラくならない程度に制服を着崩したイケメンことつかさんちゃんだった。
「もしかして一刻も早く私に会いたかったのかい? かわいい人だ」
「あっはっは、近い近い、ていうかその姿だと洒落にならないから!」
いつものノリで迫ってきたつかさちゃんを強引に押し返す。
やれやれ、と大仰に肩をすくめるつかさちゃんは晶の方に顔を向けると、お互い神妙としか言えないどこか不思議な表情で目線を交わす。
え、なに? 何かあったの?
「見たところテスト勉強してるのかい?」
「う、昨日まですっかり忘れてたから、当日まではさすがにちょっとね」
「そうか………私も混ぜてもらっていいかい?」
「いいけど、つかさちゃん成績いいし、あたしみたく焦らなくてもいいんじゃ?」
「まぁ、それはそうなんだけどね」
そこで言葉を区切り、大げさにため息をついて沈痛な面持ちで右手をこめかみに乗せる。
「勉強してたら、さすがに話しかけられたりはしないだろう?」
「ああ、なるほど」
「というわけだから、よろしく頼むよ」
そして打って変わって破顔一笑、手を広げてウィンクなんかしたりする。
「うん、それより何でずっとヅカモード? 疲れない?」
「………………」
「……………んぅ?」
「………………」
何故か急に動きを止めて見詰め合うような感じなる。よく見ればしぱしぱと何度かまばたき。
やがて、何かを観念するかのように肩を落として息を吐き出したかと思うと、ゆっくりと顔を上げた。
「別にね、私もやりたくてこんなのしてるわけじゃないのよ。でもね、演技でもやっとかないとオネエになっちゃうの。わかる?」
「「ぶふっ!」」
普段のつかさちゃんの様に振舞うヅカさんに、思わず噴き出してしまった。
『ほらぁ、やっぱり笑うでしょー!』とぷりぷり怒るつかさちゃんっぽいヅカさんに笑いを堪えることが出来ない。
あははははははははは!! むりむりむーりー!
晶はと言うと、口元とおなかを手で押さえながら小さくなって、必死になって我慢しているのがわかる。
「あははは、あは、あははははははは、むり、むりだってー! ギャップが! へ、変にくねくねしない、で、あはははははは!」
「別に故意にしてるわけじゃないわよ!」
「いや、わか、わかって、てるけど! あはははははは!」
顔を真っ赤にしながら頬を膨らませ、ぷいっと背けるつかさちゃんが、これがまたやたらと乙女っぽくて、悪いと思いながらもツボに入ってしまう。
その後なんとか笑いが収まったものの、そこにはすっかりご機嫌斜めになったつかさちゃんがいたのだった。
「ごめんごめん、悪かったって」
「まぁ、いいけどね。私だって自分でもどうかと思うから、演じてたわけだし」
なだめるあたしの隣では、何かを考え込んでいた晶が顔を上げた。
「意識してなかったけど、ボクもそんな奇妙な感じに見えてたってことだよね?」
「…………」
「…………」
「…………え?」
「…………え?」
「…………え?」
何故か顔を見渡す3人。そしてそれぞれ微妙に目線を合わさない。
「えっと、その、ほら、あきらはあきらだから」
「楠園君は……うん、そんな深く考えないでいいと思う」
「………2人の反応が気になるんだけど」
いやぁ、だってねぇ……? 違和感無さ過ぎてそんなこと考えたことなかったよ。
どこか納得していない視線から逃げ出す意味も含めて、場の空気を仕切りなおそう。
「とりあえず、勉強しよ?」
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