第1章-3 今、そこにある試験

第11話 ね、変わった?

 定期テスト。それは学校での各々の教科や科目の学習・教育成果を通して、成績評価するために定期的に実施される試験のことである。

 普段遊び呆けているお気楽学生達に対し、お前らの本分は勉強なんだよという現実を否が応にも突きつけ、絶望させるイベントでもある。

 高校2年生ともなれば、将来の進路に響いてくるので手が抜けない。


 ちなみにあたしの成績は大体中の下、もしくは下の上。赤点はクリアすれども平均点には届かない、保護者から見れば目をしかめられる惨状である。


 そりゃあ、みんな自分の事を優先するよね。野次馬しているのは余裕がある人ってことか。

 午後の授業をいつもより集中して聞いていれば、試験のポイントとかどうとか聞き逃してはいけない事を仰っておられる。


 これはまずい。非常にまずい。将来的をことを薄ぼんやりと考え、このまま悪い成績をとってしまったら……どれくらいまずい事か想像してみる。


 例えるなら納豆が食卓に出されても絶対お米が一緒に供されないという呪いに掛かってしまう絶望にも似た焦燥感に駆られる。


 もしくは、うどんに一生生卵を落とせない呪いでもいい。

 たまごかけご飯に醤油をかけられない呪いでもいい。


 もう自分でも何を例えてるのだかわけがわからなくなってきてる。


 そうこうしているうちに終業を告げるチャイムが鳴った。


「みやこちゃん、今日はまっすぐ帰る? 図書館でも寄って勉強してく?」

「ううん」


 言外に勉強しろよと促してくる晶に対して、かばんを引っ掴み、ここ数年で一番の笑顔で答える。


「明日から頑張るッ!」

「え、ちょ、みやこちゃん?!」

「ひゃっほー、部活があたしを待ってるぜぇ!!」


 猟師を謀る狸や狐さながらの逃げ足で教室から逃げ出した。

 そう、知らなかったもん。今日は心構えを準備する日にするのだ。





 そして、都子が飛び出した教室では。


 いつものことかと半ば呆れつつも、一度は自分もクラブに顔を出しておいたほうがいいかと考えていた晶に、つかさが声を掛けていた。


「ねぇ、楠園君。ちょっと話をしないかい?」

「奇遇だね。ボクも話をしたいと思ってたんだ」



  ◇  ◇  ◇  ◇



 更衣室には鍵が掛かっていた。

 別にテスト前なので部活が禁止されているというわけではないのだが、さすがに直前ということもあって、皆勉強のほうを頑張っているのだろう。

 特に部活がしたかったわけでなく、ただ現実逃避がしたかっただけなので、わざわざ自分で鍵を開けてまでって気持ちはない。

 このまま帰るのも気分が乗らなかったので、特に何も考えずブラブラと体育館を目指す。


「宮路? こんなところで何してんだ?」


 人もまばらな体育館には、沢村君がいた。

 ふと先日の告白を思い出しては、少し気まずい思いが沸きあがってくる。


「んー、ちょっとね。沢村君は?」

「家帰ったら勉強しなきゃだろ? 今のうちに体動かしてほぐしとかないと、机の上で固まっちまう」

「あーなるほど、なんとなくそれわかる」

「だろ?」


 にひ、と返事を返した悪戯好きっぽい笑顔の瞳は、どこか吸い込まれそうなほど澄んでいた。

 なんだろう……どこかいつもの感じが違う。どことなく、角が取れて柔らかくなった感じがする。


 そうやって、あたしと軽口を叩きながら打つシュートの姿勢は、無駄な力が入ってなくて思わず見惚れるくらい美しい。

 あれ、沢村君ってこんなにかっこよかったっけ?


「なぁ、宮路」

「ん、なに?」

「今なんか色々大変みたいだけど、何かあったら俺にも手伝わせてくれ」

「ああ、あきらとかつかさちゃんのこと?」

「そう。いや、違うな」


 シュートを打ったボールを拾って振り返った沢村君の瞳はどこまでも真摯で、そして何かを決意した男の目をしていて。


「俺が手伝いたいんだ」


 そんな台詞を言ったのだ。

 

「あ、うん」


 言葉に詰まる。顔が赤くなるのがわかる。きっと真っ赤に茹で上がった海老のようになってるに違いない。殻をしっかり剥いて生春巻きを甘しょっぱいタレをたっぷりつけて食べるのだ。


「沢村君、何か変わったね」

「そりゃあ、変わるさ。振られたからな」

「うぐっ」

「だから変わるんだ」


 じっと、挑戦するかのような目で。いつもあたしに突っかかってきたときの目で。


「振り向いてもらうために」


 言葉がなかった。

 どういうつもり? そういうつもりか! とか答えが出ないような考えで頭がぐるぐる回る。

 そもそも、人にそこまではっきりと好意を向けられたことがなかったので、自分の中で処理ができない。なんか胸が変に痛い。

 ああ、もうこんなに頭ぐるぐるしちゃうと、脳みそがホイップクリームみたいになっちゃって、ふわふわどこか飛んでっちゃう。

 は! なるほど! これが甘い痛みってやつか! あっはっは! 


 じゃなくて!


「じゃ、俺行くわ。宮路もちゃんと勉強しろよ?」

「あ、うん、ばいばい」


 だというのに、平然とした顔で沢村君はさっさと帰っていったのだった。

 それが何だか妙に悔しい。


「男の子って、急に変わり過ぎ」


 急に、得体の知れない不安にも似た黒い何かが胸をよぎる。

 なんだか気分はあまりよくない。


 どこか自分だけ置いてけぼりにされた恨みにも似た呟きが、無人になってた体育館に沈んでいった。



  ◇  ◇  ◇  ◇



 体育館にいても仕方が無いので校舎に一旦戻る。体育館から戻ってすぐのあたりは部室棟みたいな感じなのだが、いつもほどではないが活気がある。


 どうも文化系クラブのほうは部室で集まって勉強会みたいなことをしているみたいだ。


 そんな部室棟から教室方面に向かって歩いていると、きゃいきゃいと黄色い声の集団に囲まれるイケメンさんがいた。

 女の子たちのリクエストに応えるかのように、色んなポーズやら台詞やら言わされていたのは、ヅカさんだった。場所はどうやら演劇部の前。

 うん、あれはヅカだ。完全ヅカモードだ。ちょっと疲れた顔をしてるけれど。そんなつかさちゃんと目が合ってしまった。


『助けて』


 あの目が訴えてる意味がわからないって人はいないだろう。つかさちゃんは、そんなわかりやすく助けを求める目をしている。


 うん、なんていうか、飛んで火に入る夏の虫? 鴨が葱を背負ってやってきた? ヅカモードで演劇部に顔を出せばこうなるのは自明の理である。一見すると、女の子を選り取り見取り状態のつかさちゃんを見ていて、あれってうれしいのかな? どうなのかな? と考えてみたところで答えは出ない。


 いや、違う。視点を変えてみよう。さぁ、イメージするのよ都子。

 あれは演劇部員に囲まれたつかさちゃんでなく、たくさんのおばさんに囲まれた晶。

 それならほら、容易に想像でき…………


 …………


『これも似合うわ、ふりふりが好いわね』

『それも似合うわ、リボンで可愛く見せないと』

『あれも似合うわ、レースでたくさん飾り付けないと』

『どれも似合うわ、でもあきらちゃんの身体はひとつしかないの』


『着せたいものがいっぱいで迷ってしまうわ』

『迷った分だけ時間が過ぎてもったいないわ』

『それはいけない、でもどうしたらいいの?』

『こうしましょ、テーマを決めて着飾りましょう』

『それはいいわね、賛成よ』


『でもテーマは何にしましょ?』

『子供の頃、憧れたものがあったでしょう?』

『絵本の中の金髪でお転婆で可愛い女の子』

『イメージカラーは水色と白色』

『持ってるワンピースとエプロンを合わせてみたりして』

『鏡の前であんな夢みたいな事に巻き込まれたらなんて想像したわ』

『なら決まりね』

『テーマは、そう……』



『『『『不思議の国のアリス!!』』』』



『やっぱりエプロンドレスは外せないわ』

『水色のワンピースは基本だけに腕の見せどころよ』

『エプロンも可愛いレースやフリルで仕上げないと』

『スカートからちらりと見えるドロワーズも重要よ』

『どうしましょう、頭のリボンが悩ましいわ』

『せっかくだから足元の靴も拘りましょ』


『いいわ』

『すごくいいわ』

『でもアリス1人だけじゃ寂しくない?』

『そうよそうよ』

『アリスには他にも魅力的なキャラがいっぱいいるわ』

『三月ウサギに帽子屋さん、チェシャ猫にハートの女王!』

『みんなでそろってお茶会なんて素敵だわ!』


『でも1人はわたしが出来るとしても、やっぱり人手が足りないわ』

『大丈夫よ、お隣さんにはみやこちゃんがいるじゃない!』

『みやこちゃんのお母さんも巻き込めば人数はいっぱいよ』

『そうだったわ。でもどうしましょう、みやこちゃんにはどれが似合うかしら?』

『困ったわ、新しい問題が発覚ね』

『いっそダブルアリスなんてのもいいかもしれない』

『アリスの姉妹ね!』

『それも素敵!』


 …………


 …………うん、いやなんていうか。容易に想像でき過ぎてしまった。


 怖っ! あの集団に入っていくなんて無ー理ー! 下手に入ったら巻き込まれてしまう。

 あれはきっと、入ると抜け出せなくなる底無し沼みたいなもんだ。きっと深淵には腐海が横たわっているに違いない。


 あたしに出来るのは、そう……飛び込んでいった勇者に対して敬礼を返すことだけだ。

 恨みがましい視線が、そそくさと立ち去るあたしの後頭部に突き刺さっているけど許して欲しい。






 そんな事を思いながら足を進め、家庭科部の扉の前に来た。中からは話し声が聞こえてくる。


「…ーし…ら……え、……が変……ても…きな人………って……ちは……………かな」

「そう……………やっ……ボク、……って……す」


 声からして部長さんと晶の様だ。

 急に入るのも憚られるので、ノックをして中に入る。


「話の途中、ちょっとごめんね」

「み、みやこちゃん?! え、さっきの話聞こえてた?!」

「ん? 何の話?」


 それならいいんだ、とホッとしたように晶がつぶやく。何か人に言えない内緒話でもしてたのか? う~ん? さっきのつかさちゃん程ではないけれど、騒ぎになってるかなと思っていたから拍子抜けだ。


 ちなみに部屋には2人以外いなかった。部長さんはゆるふわくるりんな派手な髪の毛先を弄くりながら、なんでここに来てるの? と言いたげな目で見てくる。


「てゆーか、あんたさー。昨日、晶がこうなってるって教えてくれてもよかったんじゃない?」

「あはは、でも言ったところで信じられないんじゃないかなーと」

「それは、まぁ……そうかもだけど」


 うん、スマホで写真見せようにも忘れちゃってたからね。


「それよりしあーし部長、これ、面白かったです!」

「しあーしじゃなくて白石だし! って、もう全部読んだの?!」

「はい! そりゃあもう読み始めたら止まらなくて! 親友が勘違いしたまま暴走していくところとか、笑いながらもハラハラするっていうか、もう続きが気になって気になって!」

「でしょー! あそこはあーしも推しシーンだし! あの時の主人公とヒロインのもどかしさとかも超たまんないし!」


 きゃいのきゃいのと、昨日借りた作品についての話で盛り上がる。

 若干置いてけぼりの晶が、何か不思議なものを見るかのような顔をしている。


「部長とみやこちゃん、いつの間に仲良くなったの?」

「は? べ、別にこいつとなんか仲良くないし」

「昨日駅前のモールで会ってね、これ借りたの」

「……もぅ、どっちさ」

「それより、しあーし部長、これの続きあります?」

「布教用のあるわよ。小説の方の6~10巻までが……」

「ダメ」


 割って入った晶の底冷えするような声に、思わずひぇっていう言葉が漏れてしまう。


「みやこちゃん、今はどういう時期?」

「……テスト前でございます」

「そんなの読んでる暇あるのかな?」

「お、おっしゃる通りでございます」

「そんなのじゃないし、名作だし」

「部長はちょっと黙ってて!」

「ひゃ、ひゃいっ」


 普段どちらかといえば大人しい晶がそんな声を出すと、思わず何でもイエスと答えてしまう奇妙な迫力がある。

 しかしそんな空気も一瞬、やれやれといったいつもの感じに戻ったと思ったら、強引にあたしの手を取ってきた。


「みやこちゃん、帰るよ。勉強見てあげるから」

「う、やっぱやらなきゃダメ?」

「当たり前。逃げちゃダメだからね」

「ぐぅ……」


「じゃ、部長。今日はお世話になりました」

「べ、別にあーしは何もしてないし」

「ふふ、じゃあそういうことで」

「ふーんだ」


 仲良さそうにやり取りをする部長さんと晶を見ると、なんだか言いようの無いぐるぐるしたものが胸に生えてくる。

 なんだかそれが、気にするほどじゃないけど気になってしまうという、もどかしい気持ちになる。



  ◇  ◇  ◇  ◇



 そんな帰り道、晶に引かれて家へと連行される。

 なんだかいつもと逆だな、とあたしの目の前にある背の低い頭を眺める。

 正面から見るのと違って、後姿だと視界に入る面積がやたら少ない事がやたらと強調されているような気がした。

 それがやけに新鮮に感じて、何かが変わったような気もして、さっきの胸のぐるぐるが消化不良を起こしてる。


「ねぇ、あきら」

「ん、なに?」

「いや、んー、なんでもない」

「なにそれ」


 自分でも理解できない不安に駆られて口を出ただけの台詞を、くすくすと笑われる。

 なにそれって言われても、自分でもなにそれ、だし。

 いつもの軽口で、胸の奥にあったぐるぐるの澱のようなものが消えていくような気がするのが不思議だ。

 そんなところは変わったようで変わっていない。

 一体どっちなんだろう?


「ね、あきらは変わった?」


 そんな色々と言葉足らずのあたしの質問に。


「んー、ボク変わったつもりもそんな気もないよ。強いて言えば……」

「言えば?」

「頑張ることにしたんだ」


 そう言って大輪の花が綻ぶような笑顔を浮かべて振り返った顔に、不覚にも胸が高鳴ってしまった。


 晶、女の子なのに。

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