第8話 おばさんは嵐のように

 日曜日である。


 普段出来ぬ惰眠を貪り、心ゆくまで寝坊をする日である。

 習慣なのかいつもの時間に一度は起きてしまったけれど、さぁ二度寝をするぞと気合を入れてお布団に潜り直した時、下からドタドタと騒がしい音が聞こえてきた。

 頑張って二度寝に励もうとするけれど、その騒音が許してくれない。


「ちょっとーお母さーん、朝から何なのー?」

「あら、みやこ起きたの?」


 寝させろと抗議をすべく一階に降りてリビングに顔を出したら、そこには本来ここにいないはずの人物がいた。

 年のころは30前後に見え、うちの母と並ぶと大分若く見える。

 背は平均よりちょっと小さいくらいで、肩まで伸びた髪は緩くウェーブがかかっており、ぽやっとした感じの妙齢の女性だ。


「って、おばさん!」

「みやこちゃん!」


 そう、単身赴任の晶のおじさんに付いて行ってるはずのおばさんだった。

 たしか北海道の東の方に行ってたんじゃなかったっけ?


「あ、これお土産ね。まりもようかん」

「わ、なにこれ」


 緑色で、ゴム風船のようなものに入っているそれは、ピッと爪楊枝かなんかで突くとツルリと剥けるらしい。

 なにそれやってみたい。朝ごはんこれでいいかな。


「ところで、どうして?」

「そうだよ、みやこちゃん! あきらが!」

「あっ……」


 そうだ、あたしは最近落ち着いてきたけれど、おばさんにとっては息子の一大事だ。

 一刻も早く戻る為、飛行機と夜行バスを乗り継いで、今朝方早くに戻ってきたらしい。


「みやこちゃん……あきらがね、あきらがね……」


 俯いて、何かを耐えるかの様にぷるぷると震え、搾り出すかのように口を開く。


「すんんごおおおおっく、可愛いの!!」

「んぇ?」


 隣に目をやれば、つやつやのロングヘアをハーフアップに可愛らしく編みこまれ、目鼻立ちがいつもよりくっきりしているように見える。多分あれメイクされてるな。

 服はというと落ち着いたデザインのノースリーブカットソーに、腰のリボンが可愛らしいフレアスカート。それにあみあみの清楚なデザインのカーディガンを羽織ってる。


 そう、おばさんの隣には先日買った覚えの無いお嬢様風コーデに身を包んだ晶がいた。

 思わずため息が出てしまう程の美少女ぶりであったが、目が完全に日が経って濁り切ってる死んだ魚のそれだったのである。


「みやこちゃんが送ってくれたこれ! こんなの見せられたらね、もう生で見るしかないって思って! 急いで戻ってきたの!」

「あ、あーっ! それ!」

「……………ッ!」


 目の前に出されたのはおばさんのスマホ。先日撮影会したときに撮ったやつである。

 厳選していくつか送ろうと思ったのだけど、選べなくて結局100枚近い画像を一気に送ったのだ。

 晶はおまえのせいか! と頬を膨らませながら怨嗟の篭った目で見上げてきた。ごめんね、てへ。


 差し出された画面にはガーリー、フェミニン、姫、ゴスロリ、森ガールとか、いかにも甘そうなタグで分けられていたけれど、きっとこういうのがおばさんの趣味なのだろう。

 うん、明らかに一昨日買ってないジャンルとかあるよね。てか七五三って何?!


「今のあきらちゃんもいいけど、このあきらちゃんもいいよね!」


 そう言って画面を操作して出てくる画像の晶は、くるくると目まぐるしく変わる衣装と共に、目が死んでいく途中経過を克明に映し出されていた。

 スマホの中の晶とは対照的に、おばさんはきらっきらとした瞳でコーデ毎のポイントを機関銃の如き勢いで説明してくれる。

 今朝から撮られたであろう写真はかなりの量で、さすがに晶に同情する。聞いてて正直、ちょっと心が痛い。


 止まらないおばさんのトークから助けを求めるように母上様に視線を送ると―……。


 …………


 あっ、あからさまに目を逸らした!


「都子、台風が来たとき私達に出来ることは何? おとなしく家に籠もって通り過ぎるのを待つだけでしょう? これはそういう現象よ」


 お母さんにおけるおばさんの認識って………

 それを聞いてあたしに出来るのは、うんうんと頷き相槌を打つことだけであった。



  ◇  ◇  ◇  ◇



 おばさんのうちの子可愛いでショーで体力を消耗したあたし達は、お土産のまりもようかんを朝食代わりにしつつお茶を飲んでいた。

 こちらはげっそりしているのに、向こうは肌が心なしかつやつやしている。ドレイン攻撃なのかな、あれ?


「私ね、娘と一緒にお買い物するのが夢だったの」


 その言葉にびくん、と反応する晶。うん、わかるよ。この後の展開が。

 うっとりとした夢を見ているような表情でおばさんは言葉を続ける。


「一緒にたくさん似合う服とか雑貨を選んだり、次はこの家具とか家電が欲しいねって冷やかしたり、おいしいって評判のレアチーズケーキのお店でお茶したいの!」


 その目には一点の曇りもなく無邪気そのもの。だがしかし背後からは我が夢ここに叶えたりというギラギラとしたオーラが立ち上っているのが見える。

 10時間もの移動をした後すぐに朝っぱらから着せ替え人形させるくらい、おばさんのバイタリティと行動力は人並みを外れている。そんな彼女と買い物に行くとなると、苦行もかくやという長丁場になる。

 なお、おばさんは笑顔を一切崩さない。化け物だ。

 それだけでなく、見た目はともかく中身は思春期男子の晶にとっては、正にかの戦国武将山中鹿之助も逃げ出す艱難辛苦である。


「か、母さん、服はもう十分にあるし、身の回りのことも不自由してなからいいよ」

「ダメよ!」


 ぴしゃり、と一喝。取り付く島もない。


「まず第一に制服どうするの? みやこちゃんに借りっぱなしのままじゃいけないでしょう? それに下着だってブラとショーツだけじゃなくて、服に合ったのも選ばないといけないんだから!」

「そ、そんなの着ないよ」

「ダメよ! せっかくこんなに可愛いんだから、色んな格好しなきゃ損よ!」

「で、でもお金とか……」

「大丈夫、みやこちゃんからもらった写真をみせるとね、パパが『せっかくだから一番可愛いあきらを頼む』ってこつこつ貯めてた定期解約して持たせてくれたんだから!」


 おじさん…………


 晶が救いを求めあたしのほうを向くが……ごめん、おばさんに付き合うのはきついけれど、その意見には賛成なんだ……

 ちなみに母はおばさんが喋りだしたのを見計らって台所へ避難している。


 孤立無援を悟った晶は、しかし諦めることなくおもむろに自分のスマホを取り出し操作する。

 …………は! あれは!


「母さん、これ見て」

「え、なに? …………ふぉぉぉおおおおおおっ!!!!」


 あの時のあたしの写真かぁぁぁあああっ!!


「みやこちゃん?! みやこちゃんなの、これ?! 制服以外でスカート穿いてるのを見た覚えがない、あのみやこちゃんなのっ?!」

「ね、可愛いと思わない? どちらかといえば美人さんかな? お奨めはこれ」

「みやこちゃんが……みやこちゃんがおねえさんだ……あのお転婆を絵に描いたようなみやこちゃんがこんなに可愛らしいお姉さんだ…」


 あたしを道連れにする作戦に切り替えたな! あと結構な事を言われてるよね? 怒っていいところだよね?!

 晶はと言えば、さぁ、こちらにおいでよと言わんばかりに、蜘蛛の糸を登る地獄の亡者を髣髴とさせる目で笑ってる。

 くっ、買い物はいいんだけど、おばさんと付き合うのは事前告知を聞いた上で覚悟を決めておかないと気力が……ッ!


 逃げねば!


「あーあたしきょおようじがあるんだったー」


 いっそ清々しいまでの棒読みで席を立つと、急いで自分の部屋に戻って着替える。

 普段着に毛が生えたような、ちょっとそこまで行くような格好だ。

 そのままそそくさとお財布も持たずに外へと出て行ったのだった。


 背後から『裏切り者ーっ!』て声が聞こえた気がした。



  ◇  ◇  ◇  ◇



 近所のコンビニで立ち読みして、適当に時間をつぶしてから駅前まで出て来た。


 時刻は色んなお店が開き始める10時過ぎ。

 そしてあたしは手ぶらの財布無し。

 まったくもっていいお客さんである。

 せめて千円だけでもあれば……と思わなくも無いけれど、無いものは無いで仕方がない。


 そうしてやってきたのは某ショッピングモール、その一階の生鮮食品売り場。

 週末まとめ買いをする人達が多いのだろうか? 意外と多くの食品をカートに入れる人で溢れている。

 そう……だからピンってきたね。


 試食実演販売があるって!


 はい、ありました! 5月が旬の初ガツオのたたき!

 特設会場ではいかにも海の男! て感じの浅黒く日に焼けた肌のおっちゃんが、一匹丸ごと捌くところから実演してくれた。


 頭を豪快に切り落とし、流れるような包丁さばきで、みるみるうちに4つのよく見る鰹節とかの形の塊に変えられていく。そして本場さながらに藁を使って燃え上がる火柱でたたきにしていく様は、もはやエンターテイナー。漂う香ばしい匂いもたまらない。出来上がったたたきを素早く、そして分厚く切り分けながら、次々と踊るように試食用の小さな容器に入れられていく様はもはや圧巻。


 ただの実演販売だというのに、想像以上に魅せられてしまった。それはもう前のめりで。


「お嬢ちゃんがいい反応してくれたから人の集まりがよかったぜ!」


 と、一切れ余分にくれたおっちゃんマジイケメン。

 思わぬ収穫にほくほく顔でかつおのたたきを頬張っていると、声を掛けられた。


「ねぇ、きみ、ちょっといいかい?」

「うん?」


 春らしい洒脱な感じのするコーチシャツとTシャツ、下は黒スキニー。それになんだかお洒落な帽子に男子にしては長めのココアのように赤茶に染めた髪をおさめてらっしゃる。

 すっきりとした装いが爽やかな、同世代の男の子だ。どこか芝居がかった話し方といい、なんだか上品な所作は王子様っぽいかもしれない。


 一方あたしは部屋着といわれても通用するハーフパンツにロングTシャツ姿だ。灰被り姫にも負けやしない。えっへん。泣きそう。

 しかし、一体何の用だろう?

 じろじろと観察するように見てみると……あれ、この人……


「ヅカさんだ!」


「………つか?」

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