「花ごよみ」より コスモスの道

刃口呑龍(はぐちどんりゅう)

コスモスの道

 ボフッ



「痛ったーい!」


 飛んできたボールは、わたしの、ちょっとムチッとしたブルマを履いたお尻を、直撃した。そして、ボールは、そのまま下に落ちる。周囲は大爆笑だ。



 今だと、水卜アナだとかで、少しぽっちゃりとしたほうが、人気だが。その当時は自分の体型は、少しコンプレックスであった。



 普段あまり怒らないわたしだが、ボールの飛んできた方向をキッと睨む。そこには、眼鏡をかけた、真面目そうな男子中学生が、慌てた感じで、身振り手振りを交え弁解していた。周囲では、



「やらしい〜、やらしい〜」



 と、煽りたてられていた。彼の顔も真っ赤だ。どうやら、ボールを投げ返そうとしたら、手の上にあったネットに引っかかって、手元が狂ってわたしのお尻に直撃したようだ。それよりも、先に言うことがあるだろう。



 わたしは、彼に向って歩く。が、興奮してたからだろうか、それとも、普段しない動きをしたからだろうか。足がもつれ、前につんのめる。とっと。



 わたしの太ももが何かをはさみ、そのままペタと座り込む。だけど、お尻から感じられたのは、校庭の冷たい感触ではなく、何か温かく、少し凹凸したものであった。そして、わたしの視線の先には、眼鏡が落ちていた。



 わたしは、下を向く。すると、わたしのブルマの股の間から、わたしのお尻にボールを当てた、彼の目が見えた。わたしは、慌てて謝る。



「ごめんなさい」


「ふご、ふご」


 わたしのお尻に生暖かい息がかかる。わたしは、慌てて立ち上がった。



 彼も慌てて上半身を起こす。すると、スーッと鼻から鼻血がたれる。彼は慌てて、上を向いて鼻の上部をつまむ。



「やらしい〜な〜矢崎。興奮状態なのかよ」



 まわりの男の子がはやしたてる。いや、違うから。わたしが彼の鼻の上に座ってしまったからだ。鼻の上? わたし変な匂いしなかったかな? 



 いや、そんなことはどうでもいいのだ。わたしは、ブルマの内ポケットからポケットティッシュを取り出すと、1枚取り出して、1/3ほどに切ると、くるくると丸めて、彼の鼻に突っ込んだ。



「あっ、ありがとう」


「ごめんなさい。わたしが鼻の上に座っちゃたから」


「いや、その前にぼくがボールぶつけたから」


「そうだけど。わざとじゃないんだし」


「うん」



 これが出会いだった。中学2年のときのバレーボール大会。





「んんん」


「あれ、起こしちゃった?」


「えっ。ごめんなさい。わたし寝ちゃったの?」


「まだ、到着していないんだ。寝ていろよ」


「そういうわけには、いかないわ。運転してくれているんだから」


「俺は、気にならないんだけどな。久しぶりの外出だし、疲れるだろ?」


「うん、そうかも。ちょっと疲れてるのかな? 少し休むね」


「ああ。そう言えば、薬は、ちゃんと効いているか?」


「うん、良く効いてるよ。だから寝ちゃったの」


「そうか」


「夢を見てたの」


「なんのだ?」


「あなたと、始めて話したときの夢」


「ろくでもない夢だな」


「そう? わたしは、良い思い出だけど」


「お尻にボールを当てたのが?」


「フフフ、そうね」





 出会ってからは、45年。結婚して、32年。長男が後を継いでくれて、60歳になったら、引退して、後は悠々自適な生活をなんて言ってる矢先だった。わたしは、腰痛に悩まされた。今まで、腰痛くなったことないのに、変だな。



 そして、ただの腰痛だと思って、湿布や痛み止め飲んでごまかしていたのだが、あるとき、わたしは倒れた。



 次男が見つけて、わたしは救急車で、運ばれた。血液検査して、レントゲン撮影。その後、検査入院名目で入院すると、MRI検査して、PET‐CT検査を受けた。病名は膵臓癌ステージⅣ。周囲組織への浸潤及び、肝臓、脳にも転移していて手の施しようがないそうだ。




 わたしも、一応、元看護師、知識はある。そっか、わたし長くないのか。目の前が真っ暗になった。だけど、それ以上に嘆き悲しむ主人を見て。少し肝が座った。辛いのはわたし。もっとしっかりしなさいよね!




「俺がお前のことちゃんと見てれば、何が医者だ。近くにいる者の変化にも気づかないで」


「そうね。あなた医者なのに、わたしのこと見てくれてなかったのね。だけどしょうがないじゃない。昔からだもん。わたしが、髪切って、あなたにわたしどこか変わったかわかるって聞いたら、あなたなんて答えたか、覚えてる?」


「いいや」


「太ったか? って、すみませんね。どうせデブですよ」


「そんなこと言ったか?」


「それに」


「わかった」


「えっ」


 主人は、突然わたしの発言をさえぎった。



「俺、育斗に病院譲って引退して、お前の為だけに、生きる!」


「えっ!」



 そのセリフに、ちょっとときめいてしまった。出来ればもう少し早くに言って欲しかったな。おじさんがおばさんに言ってもね〜。



 ちなみに、育斗は、わたし達の長男の名前だ。今年31歳になる。



 大学の医学部卒業して、研修医を修了して、大学病院で勤務後。一昨年から、主人の元で、病院を手伝っていた。その息子に譲るのだそうだ。



 それからは、主人が、つきっきりで面倒みてくれているのだが、やっぱり、男のひとって、こういうの駄目ね。見てて、イライラする。



「えーと、あれは、どこだったかな?」


「あれって何?」


「あれは、あれだ」


 さっぱり、分からない。家で寝てても、落ち着かない。自分で起きてやった方が早いのよ。


「すまない」


 起きて、いろいろやっていると、主人が謝ってくる。大丈夫かしら? わたしが死んだら、この人ちゃんとやって行けるのかしら?



 そんな主人でも、役にたつことがあった。


「体調はどうだ?」


「今日は、具合が良いわ。だったら、どこかへ出かけるか?」


「そうね。コスモスが見たいわ」


「コスモス? 確かに季節だが、何でそんなもんを?」


「あら。あなたが付き合い始めた頃に始めて連れてってくれた場所だったじゃなくて?」


「そうだったか? ああ、そう言えば、テレビで、コスモス街道が出来たって映像見て、行った記憶があるな。だが、遠くなかったか?」


「うん。でも、今日は体調良いから」




 わたしはわがままを言い、外出する。高原の秋の風が少し爽やかに、そして、少し肌寒かった。



 主人は車椅子を降ろして、わたしを乗せると車椅子を押して歩き始めた。


「綺麗ね〜」


「ああ」


 高原の見渡す限りにコスモスが揺れていた、赤に黄色に紫にピンク。色々な色があった。


 派手でなく、自己主張が少ない、綺麗で、かれんで、だけど儚くはない、そんなコスモスが好きだった。


 わたしみたい。心の中でそう思った。違うかしら?


「見にくいな~、これじゃ」


「えっ?」


 主人は、わたしを車椅子から持ち上げ、担ぎ上げる。


「キャッ」


「すまない。しかし、軽くなったな」


「そうね」


 お姫様抱っこというやつだった。そう言えば、私は思い出す。いつだったか、主人が、今と同じようにお姫様抱っこしようとして、主人は腰を痛めた。


「重い」


 だそうだ。悪かったですね。若い時は、どうせデブでしたよ。フンッ!



 それから数日後の事だった。わたしは、家で意識を失い、緊急入院。


「ピッ、ピッ、ピッ……」


 無機質な電子音が病室に響く。寝てたのかしら、わたしは、目を開けようとした。しかし、開いてるはずなのに、薄い明かりが入ってくるだけで、何も見えない。喉も乾いたな。


「お水ちょうだい」


 声を出そうと思ったが出ない。なぜかしら? そうか、わたし、もう駄目なんだ。そうか〜。もう少し生きたかったな。



 その時、主人と、息子の声が聞こえてくる。亡くなる前でも、耳だけは聞こえるって本当なのね。


「ああ、もしもし、母さんもう駄目らしい。ああ、出来るだけ早く来いよ。じゃ」


「育斗。携帯は、外でしろ。母さんに聞こえるだろ。それでも、医者か」


「そうだった。ごめん、父さん」


 やっぱり、わたし駄目なんだ。かなりショック。わかっていたけど、息子に言われると、かなりショックだ。


「ピッ、ピッ、ブッ、ブッ、ブー」


 電子音の音のトーンが下がり、警告音が鳴る。


「ほらみろ。母さん、大丈夫だぞ。大丈夫だ。まだ、遥斗が来ていない。もう少し頑張ってくれ」


 はいはい。遥斗の為ね、遥斗の。頑張りますよ。頑張れば良いんでしょ。




「ああ心配だわ。ちゃんとゴミは分別して捨ててね。普通ゴミは月曜と金曜よ。プラスチックと、金属は水曜ね。掃除と、洗濯はこまめにね。また、やってる親子仲良くね。後は……」



「御臨終です」


 わたしの意識は、途切れた。


 コスモスの花言葉は、乙女の純真。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

「花ごよみ」より コスモスの道 刃口呑龍(はぐちどんりゅう) @guti3

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ