第42話二度と取り返しのつかない後悔をしないためにも

「そんな訳ないじゃないですか、それなら私だって注意しますよっ?! 誰がこんな小汚いテーブルの落書きが大切と思うんですかッ!!」


 バンバンっとテーブルを怒りに任せて叩く音が響き渡る。

 その点は悪いと思ってる……大切なら半透明なフィルムでも貼っておくべきだよな。


「え……なんですか、それ」


 しばしの静寂の後にジッパーを開き、複数の金属がぶつかる音と苺谷の戸惑う声。

 

「カッターナイフとコンパス、それに彫刻刀」

「それは分かりますけど、何に使うんですか」


 ゴソゴソと何しているか分からない小さな物音が不安感を煽り、俺をこの場に繋ぎ止める。


「あの生徒会長……削ってますけど、キティの耳と一緒にテーブルも削れてますけど、良くなるどころか集中線みたいでかえって目立ってますけど」


 中で……何してんの?

 

「周りに余計な傷が増えただけね、別の案にしましょう」

「っえ、え……生徒会長、今度は何するんですか?」


 机や椅子を動かしているのか、色んな物を引きずるような甲高い音。

 その後「ガシャガシャーンッ!」とまとめて崩れ落ちるような大きな物音が響き渡る。

 どんどん状況が悪化していると思うのは気のせいじゃないよな。

 中の様子を覗こうとドアの隙間へ爪を刺し、僅かに隙間を開ける。


「————っあ」

 

 すると部室のドアが勢いよく開き、苺谷と俺の目が合う。

 そして無言のまま、カクカクと頭だけを後ろへ向け。部室の惨状が飛び込んでくる。

 

 外の情報を目へ入れないため、最低限の窓だけを残して積み上げられていた窓際の机と椅子。

 思い出をしまうあまり、いつしか棺桶になっていたそれらが崩され。

 差し込む日差しが薄暗い床に反射し、部室を眩いまでに一気に照らした。

 

 床から乱反射した日差しは、色褪せていた部室の輪郭をはっきりと浮かび上がらせ。

 まだ奥へ山になっている机と椅子の錆びて黒ずんだ鉄と白銀の足に紛れた天板は、廃墟に生えた植物のような優しい緑色で包み込む。

 部室の壁は、靴底で付けられた黒いゴム跡や画鋲で穴だらけでも、こんな白く。

 残留した白チョークで灰色だと思っていた黒板も、こんな黒かったんだ。

 

 この部室はまだ……こんなにも色鮮やかで綺麗な場所だったんだ。


「大丈夫? 誰もいな——」


 窓際へ立っていた生徒会長が窓を取り外し、投げ捨てるところで俺の存在に固まる。

 思い出のテーブルには傷だらけのシールが貼られていて、四方八方に削られたような跡と木片。


「「「…………」」」


 三人が三人とも静まり返った部室で目線だけを送り合う。

 他力本願に空気を変えて欲しいけど、誰もその意思がない不毛な時間。

 そんな中で「プッ」とスピーカーの電源音が走った。

 キーンコンカーンと古臭い鐘の音が響き渡り、時計へ目が吸い寄せられる。

 

「あぁ……はっ、ははははは」


 突然、右手を顔に当てて笑い出す俺に、生徒会長も苺谷も不気味そうに怯えて後退りする。

 でも、それ以上に偶然に偶然が重なった状況に笑いを我慢できなかった。


「えっと、その——」

「シールを貼ったのも、掘ったのも、私ですけど文句あるんですか?」


 生徒会長が言葉に詰まっていると、苺谷は自分から進んで泥を被ろうとする。

 一度怒られてる自分なら状況はたいして変わらない判断か。

 生徒会長に恩を売る機会、それともこれも罰と思ってか……どっちにしろ良い性格だ。


 どんどん緊張し、喉が詰まってくる感覚に一刻も早くこの場から消えたくなる。

 思い出せ、ここは賭け恋愛部の部室だ。

 他人の恋心とか、悩みとか『ありのまま』でいられるから俺は気に入ってた。

 だから、例え演技だろうと悪態とか、そんな物をさせるべきじゃない。

 結果的にそれが罵られることだけになろうと、本心であるべき場所なんだ。

 

 否定したげに胸へ片手を当てながらも苺谷の意を理解し、口をつぐむ生徒会長。

 

 シールとその周りの傷跡へ再度、視線を向ける。一年の頃から先輩たちの血と汗が滲んでいる賭け恋愛部のテーブルだ。

 1週間ぐらい前の俺なら、きっと怒りを通り越していた。

 でも……不思議と今は悪い気がしない、先輩たちの過去が上書きされたような物悲しかったりはするけど。

 それな良い思い出をくれた二人に、変な罪意識を押し付けたまま終わらせちゃダメだ。

 短いながらに何も気にしてないと伝わる言葉

 ——あっ。

 とりあえず、シールを褒めておけば生徒会長は気にしなくなるし、苺谷も「これぐらいセーフなら、自分ももう大丈夫」って分かってくれるんじゃないか?


「そのシール、可愛いですね」

「っえ?」

「ハァッ?!」

 

 閃いた言葉を絞り出すと、一気に胸の重荷がスッと消える。なんだ、思っていたよりも簡単なことだったな。

 結構良い感じに纏められた、と満足した俺は部室のいつもの椅子に座り。

 そして「ふぅ」って息を整えると恋愛本を開く。


「えへっ……そっか」


 少しの静寂の後、生徒会長も理解してくれたのか背後からそう小声が聞こえ。

 ガコガコっと窓枠を直され、テーブルをギコギコといつもの目の前まで運び戻されてくる。


「その、ありがとうございます……色々と——」


 少し恥ずかしかったの本を顔近くまで持ち上げ、生徒会長へお礼を伝えようとした。

 けれど、本は半ば無理やり上へ引っこ抜かれ、「バンっ!」とテーブルへ叩きつけられる。


「いやいや、本当に意味分かんないですよ?」


 苺谷の手に力が入り、本のカバーへ引っ張られ両端のページが迫り上がる。


「生徒会長だったらシールでもテーブルを掘っても捨てようとしても良くて、私が飲み物溢しただけでアレなんですか? 好きな人の前だと優しいところ見せたいんですか?」


 ジッと睨みつけるその目には、

 気にしていたのにそんな程度だった落胆、

 俺程度から雑に扱われたプライドを原因とした怒り、

 無駄な時間を過ごした損失感。

 色んなとのが混ざった感情が垣間見えた。

 

 そっか、俺の発言は生徒会長が好きだから贔屓している風に捉えられなくもないか。


「いや……生徒会長だからとかじゃ——」

「ハァッ、本当にふざけてますッ!! 最低倍率のくせ、人で態度を変えられる立場だと思っているんですか!?」


 ぐしゃぐしゃに握られた本が、俺の顔面へ叩きつけられ。

 フラフラと空中を漂う外れた折り目だらけのカバーと、中途半端に開いて床に落ちる本。

 視界の隅では生徒会長がカッターナイフやら彫刻刀を仕舞おうとした動作のまま、固まって空気に徹していた。


「……違うんだ」


 ダメ……か、何言ってんだと思われるかもしねいけど、遠回しじゃなくて正直に言うしかないか。

 

「はいはい、分かりますよ? 好きな人の前だから否定するしかないですもんね。恥ずかしいですし」

「っゔ、いや……その、態度を変えたのは生徒会長だけが原因とかじゃなくて」

「先輩気づいてますか? 顔真っ赤ですよ」


 苺谷は、俺が生徒会長を好きだと勘違いしている。だから、からかって恋を破綻させようとしている。

 つまりこれは全部彼女なりの憎悪を込めた攻撃であり、そこに良好な人間関係から来る感情は何もない。

 

「ちょっと、お前がいる部活も楽しかったから悪くないな……って気づいて」


 そのまま帰ろうと鞄を手にした苺谷の足が止まる。

 そして『何言っているのか、よく分からない』と言いたげに眉を寄せてジト目で俺を見てくる。


「出来るならお前に戻って欲しいけど、言うのが恥ずかしいからシール許せば分かってくれるかなって思ったんだよッ!」


 素直に思っていることをそのまま叫び。


「ワルぃィカァ?! 察し悪いな!」

 

 途中から苺谷は「っえ、っあぁ」と目を丸く見開いて納得げに呟き。

 生徒会長は意味深な優しい笑みを浮かばせて片付けを再開するので声まで裏返える。

 顔から湯気が出るほどの熱量を感じたので肘の内側で顔を隠す。


「そんなんだから間違えたり、色々勘違いすんだよ! なんだよ、こっち見んなッ!」


 言いたい事を言い終わり、俺はもうどうにでもなれとばかりに突っぱね。

 テーブルに顔を埋め、二人の顔を見ることなく現実逃避した。


 だけどすぐに後悔した。

 セミの鳴き声だけが聞こえる静寂が、かえって俺の想像力を働かせてくる。

 出て行けなんて言わずに俺が鞄持って、出て行くべきだった。

 なんで少数派俺が残る側を選んで、多数派の二人に判断を委ねちゃったんだろ


「ねぇ〜〜せんぱぁい、恥ずかしがらずに教えてくださいよ」


 徐々に高くなり、どんどん、どんどん、近づいてくる機嫌が良さそうな苺谷の声。

 やっぱ……俺が出て行くべきだったな。


「私がいて楽しかったんですかぁ? 嬉しかったんですかぁ?」


 完全に足元を見られ、マウントを取られて揶揄われている。

 予想はしていたけど、例え成功したとしても歩み寄るとこうゆう事になるから嫌なんだ。

 でもだんだん……恥ずかしさよりうざったさが上回ってきた。


「そうならそうと早く言ってくださいよっ。私は優しいからすぐ許して上げたのに」


 ボスっと鞄が置かれた音の後に、ガガガっと近くの椅子が引かれて座る音が聞こえる。

 言ってしまったはもう取り返しがつかないし、どうせ本音だし、気にすることでもないんだ。

 少しだけ目を上げると、頬杖つきながら苺谷はニヤニヤと小馬鹿な笑みを向けてきていた。


「あぁそうだよ、嬉しかったし、楽しかった。満足か?」

「はいっ! 満足です」

 

 その表情に心底イライラした俺は、平然と褒めながらぐしゃぐしゃにされた本を拾う。

 けれど、横目に見た苺谷は少しも照れた様子がなく、満足げな満面の笑みを浮かべていた。

 褒め慣れている彼女にとっては、自分の価値へ正当な評価が下された程度でしかないか。


「あ〜、どうなっちゃうんだろってびっくりしたけど、良かったわ」


 息ひそめ終わった生徒会長は手を合わせながら嬉しそうに微笑み、苺谷へ改めてシールを提示してきた。


「じゃ改めてシール、苺谷ちゃんは同じ奴でいい?」

「っあ、はい、ありがとうございます」


 今度は注意深く落とさないように剥がし、苺谷のスマホケースへ貼り付ける生徒会長。

 俺は本を読みながら横目に、出来る限り目線などで追わない事を意識する。

 これはさっき一対一の続き、だから自分は完全に部外者だ。

 見てたら『っあ……お前も欲しいんだ』なんて気を使わせて変な空気になってしまうだろう。


「先輩」


 苺谷に呼ばれた事で、本のページをめくる指の視線を少しだけ傾ける。

 

「その、中田さんも楽しかったか分からないけど……今回の思い出に良かったら」


 生徒会長からテーブルを滑るようにシールが差し出され。

 勘違いでなければ、まるで好きなのを選んでと言いたげな動作。


「じゃ、これで」


 端っこの方にあった本を読むキティ、それを指差すと生徒会長は手早く剥がして指につけ。

 指から指へシールが受け渡され、俺はそれをじっと眺めた。


「先輩、何してるんですか?」

「なんでもない」


 俺、初めて異性から何かを貰ったな。

 どこに貼るのが一番長く持つかな、なんて考えていたと答えたら変に思われそうだ。

 スマホは数年で買い替えるものだが……まぁ、使わなくなっても飾りに取っておけば良いか。

 透明なケースを外し、スマホ本体の背面にシールを貼り付ける。


「ふぅーん」

 

 手首を回しながら色んな角度でシールを眺め、満足した俺は二人の生暖かい視線を注がれていることに気づく。


「生徒会長、もしかしなくても絶対あのシール破ったら先輩怒りますよね?」

「あはは……わざわざ本人を前にそんなこと言わなくても」


 吹っ切れていたはずの顔に、再び熱が噴き上がるのを感じる。


「いや別に、仮にそうだとして悪いか?」


 咄嗟に否定しようとしたけど、多分自分でも怒ると思うので何も言い返せずに開き直るしかなかった。


「悪いとは言ってませんよ? あざといなぁ、陰キャっぽいなぁって思っただけです」


 それ、馬鹿にしてないかって思っていると苺谷から手を差し出される。

 仲直りの握手か、身体にこそばゆい物を感じるけど苺谷の顔を立てて握るか。


「先輩……何してるんですか?」


 苺谷の手を握り、上下に揺らした手が「パチッーン」と振り払われる。


「握手するのかと思って」

「金ですよ、お金っ! 5万円貰ってないですよ!! 現金でも振り込みでも良いですけど、ちゃんと払ってください」


 あぁ……そうゆう事、忘れていた訳じゃないのか。

 俺はすぐにスマホから苺谷の口座へ5万円を送金。

 結果の画面を見せると苺谷は満足げに「じゃ学食で昼ごはん食べに行ってきます」と立ち上がり。

 生徒会長も「用事が済んだし、私も行くね」と鞄を手に取る。

 

 それらを眺めながら、カチカチと一定の速度で時間を刻み続ける時計を見た。

 童話、シンデレラの魔法は深夜12時に切れる。

 それが12歳を超えたら大人であり、魔法なんてものはない、そういうことを子供へ伝えるメッセージと解釈していた。


 一度だけ、考えたことがある。

 魔法終わりが深夜12時なら、その始まりは何時からなんだと。

 あの時、見上げた時計の針はちょうど正午を指していた。


 きっと、それもまた12時なんだ。

 

 臆病で、勇気もない、モテない俺の背中を押すためだけに絞り出したような、そんな消えかけな『きっかけの魔法』

 高校生16歳の俺はギリギリ未熟、そう言われたような気がした。

 この奇跡に乗っかって散るならそれはそれで、良い思い出と思ってたが……上手くいくなんて。


「っあ、先輩っ!」


 物思いにふけながら変わった部室を傍観し、二人の背中を眺めていると。

 ふいに苺谷が振り返ってくる。


「そういえばモテる方法教えてなかったですけどっー、今回の私みたいにすればいいんですよっ〜」


 良いアドバイスでしょ、と言いたげな自信満々さに俺は頭をひねる。

 他人の思い出をぶち壊すことがモテる方法……今まで、嫌がらせをしてきてその倍率まで上げたとでも言うのか。

 いや、もしかしてだけど……俺が惚れていると勘違いしてない?


「じゃ、また放課後に来ま——」


 満面の笑みで部室のドアを開けた苺谷。

 次の瞬間、白い球体が見え「ブチャッ」という音と共に彼女の白髪が黄色に染まる。


「わっ、わっ、私はッ! あなたよりもモテていますッ!!」


 次々に卵が頭へぶつけられた苺谷は、何が起きたか分からずに垂れた卵黄を手に固まり。

 生徒会長は口へ手を当てて、状況がまるで分からずに驚いていた。


「だから、こ、こんな事をするけん……けん……けん、ぁ?」

 

 身体を傾けて覗いてみると、同じクラスの猫背でボサボサ頭の女の子。

 彼女がプラスチックのパックを片手に廊下へ立っていて、目を瞑りながら次々に卵を投げていた。


「っぁ、あれ……ちが、ぇ、なんで……? あれぇ、違う人だ、ぁ………ぁ、ぁぁぁぁぁ」


 3個ぶつけた辺りで片目を開けた彼女は、ぶつけた相手が苺谷ことに気づき。

 

 ゆっくりと投げようとしていた卵へ視線が移り、唇がどんどん震え。

 共鳴するように持っていた卵のプラスチックパックもガシャガシャと音を立てる。


「ごめ……ぁぅ、ごめんなさい……ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」


 そして何を思ったのか、彼女は持っていた卵を自分の頭へぶつけ始め。

 謝罪しては卵を手に取り、謝罪したは取り、次から次へと自分へとぶつけ始めたのだった。

 

 

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