第38話それでも青い春の下で雛は、

「生徒会長……この件に先輩たちはまったく関係ないですよ」


 抑えきれない雰囲気、それとも遠回しの『黙れ』を感じ取ったか。生徒会長は少したじろぐ。

 けれど、すぐ間違っていないと言いたげに凛とした態度をとってきた。


「一体、生徒会長は先輩の何を知っているというんですか」

「えぇ、何も知らないわ」


 バタービールを握る指に力が入り、ギュッギュっと水滴で滑る。

 振られたばかりの人に見せるべきではない顔を、俯かせる。


「でも、さっきの言葉は絶対に間違っている」


 まったく……苺谷も生徒会長も、なんで俺の周りの奴らは揃いも揃って警告した上で我を通して来るんだ。

 

「はぁぁ、なら聞きますが任せられることの何が間違っているんです?」

「無理だもの」


 無理? そんな訳ないだろう。

 

「言っている意味が分かりません。現に今までだって任せると言われた通り、守——」


 その刹那、校門へ集まるマスコミに囲まれた生徒会長を眺め。

 部室を出て、室名札が視界に入った時がフラッシュバックする。

 俺は……あの時なんて言った?

 

 あぁ……そうだ、何を勘違いしてたんだ。

 

 俺は『部活を任された』だけで『思い出』なんて言葉は『守れ』も『大切にしろ』とも、何一つとして言われてない。

 

 いつ? いつからこんなズレた思考をし始めた?

 このデート最中も前も、その時にはもうこの思考回路。

 部室で加納と久しぶりに会話した時も、

 生徒会長と初めて会った時も、

 苺谷と初めて会った時でも、


 

 あぁ……そっか、あの時不意に口から溢れただけで。




 

 ——最初からか。





 蒼い空の下で楽しげな声が響き渡り、青春を謳歌する者たち。

 物静かで『俺』と『先輩たちの痕跡』だけが残された薄灰色な部室。


 任された、嫌でも外から目指すべき明るい答えが聞こえ。

 入部希望も相談者もいない『部室』はいつも失敗で満ち溢れていた。


 何も出来ない、何も変わらないもどかしさがいつの間にか『思い出の保存』という言い訳へ変わった。

 そうすることで寂しい現実が白黒な過去で満たされ、役に立っていると錯覚出来たから。

 でも、いつの間にかそれが『部活』の定義にすり替わっていた。


 生徒会長は微笑み「それほど大切ってことよね」と勝利を祝うようにバタービールを啄んでいた。


「それじゃ……」


 変な空気にさせてはいけない、

 変な間を作ってはいけない、

 この時間はあくまで生徒会長がメインである。

 そう分かっているのに頭の中は自分のことばかり出て、続く言葉が‘見当たらない。

 

『先輩の意思』を都合よく歪め、私情で苺谷に怒鳴って追い出した。

 先輩と言い訳していたけど絵や物に固執している人間なんて俺だけ、俺だった。

 部活を任せるというのが『部の存続』を意味するなら、苺谷への行動は大きな過ちだったのに。


「それじゃ、私は帰ろうかしら」

「あ、あぁ」


 ガチャガチャと雰囲気を醸し出すためだけに、食器のぶつかる環境音が鳴り続けるテーブル。

 心がグチャグチャになった今ではそれが凄くうるさく感じ、余計に混乱する頭で天井を見上げてため息が溢れでる。


「子供の頃なら……すぐ謝っていたんだろうか」


 正しいとか、正しくない、そんな感情論を抜きにして全面的に非を認めて仲良くなりたいから謝る。

 でも、大人になった今じゃ透けて見えることが分かっていて、知られることがこの上なく気恥ずかしくて動けない。


 全部ぶちまけて謝罪するのが最善と分かっているのに……自分の中で育った自尊心やプライドが邪魔をしている。


「っ……くそ」

 

 胸元を痛いほど引っ掻き、情けない自分に嫌気がさす。

 この思考が巡る無駄な時間は、明らかに決断力のない自分の甘さが招いている。出れないなら出ないで、キッパリ思考を切り替えられない未熟さ。

 鬼滅の刃の鱗滝さんがいるなら、引っ叩かれているだろう。


「俺も……帰るか」


 生徒会長が帰ってもお姉さんからアプローチがないってことは、アレで許してもらえたのだろうか。

 もう、なんだっていいって気がしてきた。




 

「よぉ…………少し聞こえちまった」


 料金は料理を注文する時に支払い済み。

 なのでそのまま店を出てると、レストランに並ぶ人たちに紛れ、加納が壁へ寄りかかって待っていた。


「お姉さんは?」


 加納は首を振り、出口の方に親指を向ける。

 もう帰ったか。


「生徒会長が大丈夫そうって見たら、先に行ったよ」

「そうか」


 それだけ、それ以上の会話のレパートリーは互いにもうない。

 あぁ……生徒会長と一緒で、気まずい沈黙だけが続くパターンだ。

 そう思って離れようとした俺の隣を、加納は無言で付いてきた。

 生徒会長の件はとりあえず終わった。

 そして今日という日で、俺は俺って人間を理解した。


「なぁ…………恥ずかしくない方法以外で関係戻す方法てさ、あると思うか?」

「そんな魔法があるなら……俺らはこんなことになっちゃいねぇって」


 加納の言葉に、無神経だったと思いながらも黙って納得してしまう。

 

 あぁ、魔法……魔法、そうだよな。

 なんだ、それなら最初から答えは分かっていたじゃないか。

 それは子供の頃だけが使えるもので、とっくの昔に消費期限が切れてて。

 時間、それはもう仲直りするものじゃなくて溝を深めるだけの悪意な魔法だ。


「思い出なんてもんは、時間でどうしても抜け落ちて曖昧になる」

 

 加納がチラチラと様子を伺い、


「それに固執するのは、乾いてくミイラと心中するようなもんじゃねぇかなっと俺は思うよ」


 目が合うとそのまま照れくさそうに頬を掻き、そっぽを向きながら続く。

 これは……アドバイスしようとしているのか?


「悲しくて辛いだろ……増えることもなく、減っていくだけのものに固執するのは」


 その感覚はあった。

 大切なのに……いや、大切だからこそ。

 思い出すたび、記憶の色が淡くなり、肉が落とされていることに気づく。

 そして掴んで離さないようにすればするほど、穴の輪郭を認識してしまう。


「過ぎた事は、起こった事はどうしたって取り返しはつかない。子供じゃないからな」

 

 けれど、やめられない。

 例え、ミイラのように軽くなって行こうとも俺にはそれしか残っていないのだから。


「まっ、生徒会長を振ったことはマジで後悔しそうだけどよ。今日のことは良いになったと思うわ」

「思い出……?」


 USJを出て駅へ向かっている途中、考えてもみなかった単語に思わず聞き返す。

 すると、加納が不思議そうに振り向いてきた。


「楽しくなかったのか?」

「っえ、いや」


 今日の出来事が楽しいとか、そんなの考えたことなかった。

 でも、思い返してみれば…………ただ椅子に座って過ごす部室や本を読んで時間を浪費するだけの休日と違って色々あったが、ほんの少しだけ。


「楽しいかった……かもしれない」

「なら良い思い出になった、そうだろう」


 笑顔で肩を叩いてくる加納に、俺は少し振り返ってUSJの地球や、入り口を眺める。

 楽しい……思い出…………今まで先輩たちの事ばかりを考えて気付かなかったけど。

 いつのまにか、俺は既に新たな思い出を作っている最中にいたのか。

 過去への執着ってのは、現在と未来の拒絶であるのかもしれない。

 

 あぁ……そうだ。

 苺谷に怒鳴った時も、デートが終わった時にも感じた感情。

 あれは寂しさなんかじゃない。

 なんで勘違いしていたんだろ、ただの寂しいって感情なら他でもない俺が一番知ってたじゃないか。

 

 楽しかった、嫌いじゃなかったから終わる時に残念だったんだ。

 苺谷も、このデートも、実際のところ俺は楽しんでいたんだ。


「ありがとう……加納、分かったよ」

「ん? 何かよく分からないけどそれなら良かった」


 駅に着き、ぬいぐるみも含めた手荷物をX線のカゴに入れながら俺はお礼を言い。

 今までかけていなかったサングラスをかけた加納は、景気付けさせようとしているのか腰を叩く。


「じゃあな、今日はありがとう」

「あぁ……ばいばい」


 ひらひらと後ろ姿で手を振る加納に「ありがとう」と小声で呟く。

 お前のおかげで、



 


 

「これがどうしようもないほど、クソッタレな思い出だったと理解したよ」





 もっと上手く楽しく出来たかもしれないこの数日をめちゃくちゃにした。

 もう取り返しのつかないこの日々を……これは良い思い出なんかじゃないし、甘酸っぱい思い出なんかと諦めて笑い話にするつもりもない。

 

 一生、死ぬまで一生後悔し続けるだろう。

 

 『後悔先に立たず』そんな言葉が正とするなら、後悔と思ったものは後悔も正になるのだろうか。

 

「時間が全て掠れさせて、灰色な記憶にして解決してくれるならさ…………楽しい思い出だけじゃなくて全部消して見せろよ——神様」


 USJで買ってもらったおもちゃを両親へ楽しそうに見せびらかせる幼稚園児が、呆然と立ち続ける横を素通りしていく。


「あの子は楽しいのかな……愛されているって感じるのかな」


 その後ろ姿に気づいたら、涙が頬を伝っていた。

 訳もわからず、それを指でなぞってじっと見つめる。


「俺は……何も知らないし、何も持っていないんだよ」


 涙を握りつぶし、両手の爪が手のひらに刺さって血が滲み出る。

 

「何もないのが怖くて、寂しくて、しょうがない」

 

 心はいつだって空洞が満ちてて、誰かと話すたびにひびいて……響いて響いて響いて響いて響いて、痛いんだよ。

 空っぽって事を……忘れさせてくれよ。

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