第30話うさぎのように臆病

 学校のグランドほどの湖へ敷かれたレール。

 その先には窓もない、無機質な白壁が研究所の風味を醸し出すビルが一つ。

 どこからともなく大勢の人たちの絶叫が聞こえ。

 そこからジェットスキーの如く黄色い乗り物が降下し、水の飛沫で虹が作られる。


 っぇ……ちょっと待って、想像と違うんだけど。

 ジェラシックパークって確か、DNAから作られた恐竜が脱走して人を襲う映画だよな。

 お化け屋敷みたいな歩き回るテーストかと思ったら、全然絶叫系じゃない?

 あの乗り物、10メートルぐらいから落ちてない、恐竜要素は?


「ほー、手始めにちょうど良いか。あれに全員で乗るのか?」

「手慣らしにはちょうど良いレベルだし、そうしましょうか」


 加納がツルツルな頭を撫で、白い歯がキラリと光る。

 そういえば小学生の時からこいつは絶叫系が大好きで、毎月のようにジェットコースター乗り回しているんだっけ?

 

 それに比べ、俺はテレビの前でポテチを食べて絶叫する人たちを大袈裟だと失笑したことしかない。

 けれど今、人生初の絶叫アトラクションを前に立って分かったことがある。

 それはプルプルと震え始める足から察するに……俺は、絶叫系がとんでもなく苦手らしい。

 さっきからレールが壊れていたら、安全バー、乗り物、後ろの奴、ありとあらゆる死の可能性が脳裏に止めどなく流れ続けるし。


「へぇ〜、5人まで乗れるので全員横列で行けますね。みんなの荷物をロッカーに預けてきます」


 加納は待ちきれない様子で「うし、うし」と小ジャンプを繰り返し。

 苺谷はスマホで情報を調べ、俺たちの荷物を考慮する余裕すらある。

 生徒会長に至っては「景色がよく見える真ん中が良いわ」などと椅子の位置まで指定している。

 こんな全員が乗り気な空気で、拒否なんてできる訳がない。

 なんとか並んでいる時間で別の方法を思いつき、俺だけ抜けることが出来なければ醜態を晒してしまう。


 


「お次の方は4名様でよろしいでしょうか?」

「はい、そうですっ」

「ぬいぐるみを預かりましょうか?」


 従業員の問いに、苺谷が意気揚々と挙手。

 どうやら……生徒会長がくれたチケットはエクスプレスで、待ち時間が少なるタイプだったようで。


「な、な、な、な、し、しょう?」


 爽やかな笑みを浮かべたまま、いつまでも頭部を撫で続けている加納。

 なんだ? 声のトーンが若干高いし、何よりも声が震えている。

 こんな状況でそんな症状になる理由は一つしか思い当たらないが……まさか、


「お前……もしかして絶叫が得意な話は嘘か?」

「ご、ごめん、何の話か分からないけど苦手なんだよ。平気なコツとかねぇの?」


 っく、忘れられている……もしかして割と日常的に嘘を吐くタイプだったのか? 

 平気なコツ、そんなものがあったら俺の方が知りたい。

 しかし、わざわざ質問してくるってことは上手く俺がポケットの中で全力でつねって冷静に見えている証拠だ。


「大丈夫、自殺を考えている人だって目の前に迫った死は怖いもんだ。明日や明後日のことを考えている人が死の可能性を怖がらないわけがない」

「お……? お、おう、何言ってるのか分からんが、お前も怖いんだな」


 大丈夫、今のところは我ながら上手く誤魔化せている。

 加納の背中を押し、俺は「どうぞ〜」と手を伸ばす乗り物へ真っ先に歩み出る。


「来週って年2回の修学旅行あるんですよね。会長は班決めアンケート書きましたか?」

「いいえ、まだ手をつけてないわ」

「生徒会は希望すれば、専用車に乗れるって聞いたんですけど本当ですか?」

 

 加納と違って、生徒会長も苺谷も平気そうに談笑している。

 逃げられないなら少しでも身の危険が少なく、捕まるものが多い隅っこの席を確保しなければ。

 

「なぁ、俺は端が良いな——」

「じゃ順番的に壁から私、先輩、生徒会長、加納さんって感じでいいですね」


 乗り込もうとした俺の前へ、苺谷が手を差し込んで静止させてくる。


「先輩、見張りに勘違いさせるためにも会長の隣じゃなきゃダメじゃないですか」


 コソコソと苺谷はヘラヘラと笑い「分かったなら私の次に乗って」と先に乗ろうとする。

 クッソっ! そんなことは分かっているけど、苦手なものは苦手なんだよ。

 頼むからボロを出さないためにも、今回だけは俺に端っこを譲ってくれ。


「苺谷、俺は絶叫が苦手なんだ。悪いが今回だけは端に座らせてもら——」


 分かったなら早く退いてくれ、と手を無視して強行突破しようとした。

 が、それならばなおさら譲れないとばかりに苺谷の方が割り込み、先に座ってしまう。

 

 まったく……金がかかっているから意地でも曲げてくれないか。

 残された端へ座ろうとすれば、間に他人が座ることになるから無理。

 そうなると消去法で、否応なしに苺谷の提案した通りに座るのが最善。


「分かったよ。その代わり……死ぬ時は絶対巻き添えにして死ぬからな」

「そんなに怖いなら、手繋ぎましょうか?」


 揶揄うように隠れながら差し出された手を、俺は反抗の意も込めて少しの遠慮もなく力強く握る。


「うっわ、本当に怖いんですね。少しは加納さんを見習ったらどうです?」

 

 まぁ、もっとも狼狽えるかと思った苺谷は何一つ変わることなく、鼻で笑っていたが。


「言っておくが、あいつも苦手だ」

「へぇー、そうなんですね」


 負け惜しみだと思ったのか、苺谷は生徒会長を手招きしながら聞く耳を持たない。

 まったく……知育番組で女性の方がホルモン的にストレス耐性が強いとは聞いていたが、こんな露骨に現れるなんて。


「では、皆さん準備ができたようなので出発いたします」


 加納も残った席に座ったところで職員が声をかけ、ボート風な乗り物が動き出す。

 やべー、緊張してきた。

 というか、よくよく考えてみたら大事な片手を安全バーから外し、苺谷の手を握る意味なんてあるか?

 何かあったとしてもこいつは俺を見捨てるだろうし、バフどころかデバフもいいところな気がしてきた。

 死なら諸共とか言って嫌がらせで握ったけど、両手で安全バーを握った方が安心な気がしてきた。

 やっぱこいついらないわ、何の意味もない。


「ッぁ?!」

 

 そう思って力を緩めて離そうとした途端、逆に苺谷の方から握り潰され。


「っえ、ちょっ?!」


 ほぼ同時に、もう片方の手が生徒会長によって掴まれる。

 もしかして……色々理由つけてたけど、俺を妨害したのは『怖くて自分が壁側に座りたかった』から?

 そして乗る前から生徒会長がずっとニコニコしているのは、ただ加納に合わせただけの強がりだったり?

 俺ら4人とも絶叫が苦手で誰一人として楽しんでない、とかっそんなわけ無いよなっ!?

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