第149話 仲直り
マクラは、俺が物心ついたときから一緒にいた。
俺が遊びで召喚した精霊で、本来精霊は気まぐれで召喚者の元に居座ることはない。
召喚時だけ働き、あとは勝手に帰っていく。それだけの、社会の縮図的な関係が普通なのだ。
しかし、マクラだけは違った。
どういうわけかしらないが、俺に懐いたのだ。それから十年以上。俺達は一緒に過ごしてきた。
恥ずかしくて言えたものじゃないが、一緒の布団で寝たこともある。
マクラはいつも俺の側について回って、「ご主人様」と慕ってくれる。従者でありながら、本当の家族みたいな存在だった。
我が儘も言うけど、俺のことを第一に考えてくれる、そんな子だった。
だから、俺はあのとき心底驚いていたのだ。
一ヶ月前、マクラがフランやサリィの前で、俺との関係を問われた時に「ご主人様と私は、互いに愛し合う夫婦だよ!」と言ったことを。
あのときは、誤解されるようなことを言われてテンパってしまったが、冷静になってみれば彼女がそんな俺を困らせる嘘をつくはずがない。
きっと、あの頃から彼女は変わり始めていたのだ。
じゃあ、その原因は?
そんなもの、決まっている。
俺の周りの環境が、変わり始めたからだ。
今まで俺とマクラ、姉さんだけだった世界が、大きく広がりを見せて居る。
サルムにサリィ、フラン、シエン、エレン先輩……いろんな人が俺の周りに集まり、俺の周りの世界は自分でも不思議なほど楽しく彩られていった。
しかし、色彩が豊かになるということは、一つの色彩が埋もれてしまうことを意味する。
マクラの色が、他の色との出会いによって霞み、昔はしょっちゅうあった2人だけの世界がいつのまにかなくなっていたんだ。
マクラが拗ねてしまったきっかけは、俺がスイカのお姉さんにデレデレしたことに対する嫌悪なのは間違いないだろう。
その嫌悪を育ててしまったのは、俺のデリカシーのなさだということも理解している。
でも、もっと深くにある原因は、マクラ自身の焦り。
俺の周りに人が集まり、可愛い女の子と仲良くなって、マクラのポジションが無くなってしまうことへの恐怖。
それが、夫婦発言という形で暴走し、俺がスイカのお姉さんにデレデレしたことで、もやもやが明確な形になって爆発したのだろう。
もしこれが他の女の子だったなら、俺への好意なんて有り得ないと笑い飛ばしていたところだが、マクラとはずっと一緒に過ごしてきたからわかる。
俺の周りが変わり初めてきたのなら、俺も変わらなきゃいけない。
マクラ1人、その場に置いていくことのないように――
――。
「…………ん」
俺は、うっすらと目を開ける。
どうやら、少しの間意識が飛んでいたみたいだ。両手足を投げ出し、仰向けになる形で床に倒れているのを自覚する。
確か、ガラス瓶が額にあたって……あれ。なんだか、額がひんやりする。
濡れタオルが添えられているような、そんな感覚がした。しかも、後頭部に何か柔らかい感触がするのだが、これは一体なんだ。
「これは……」
「なんで、マトモに受けたの……」
不意に、空から声が振ってきた。
視界の端から、マクラが覗き込んでくる。
俺は、マクラが俺の額に濡れタオルを添え、膝枕をしてくれていることに気付いた。
「なんでって……あんな至近距離で無茶苦茶に投げられたら、そう簡単に避けられ――」
「そうじゃない!」
マクラは声を荒らげる。
彼女の目尻に光るものを見て、俺は思わず言葉を引っ込めてしまった。
よくよく考えたら、気絶させてきたのは向こうなのに、怒られるというのも理不尽な話なんだけど。
「ご主人様には、“
「ああ、そう言われればそうだな。忘れてた」
「はぁ!? 忘れてたって……私が敵だったら、ご主人様死んでたよ!」
あっけらかんと答える俺に、呆れたように突っ込むマクラ。
確かにな。もう少ししっかりしないといけない。まあ、それでも――
「――それでも、たとえ“
「え? なんで……」
「なんでって、そんなの決まってる。わざわざバリア張って、お前を拒絶する理由なんてないからだよ」
「っ!!」
瞬間、マクラの顔が沸騰したように真っ赤になる。
俺も、小っ恥ずかしいことを言った自覚があるので、思わずそっぽを向いてしまった。
けど、これは本心だ。
例え“
この権能は、絶対不可侵の自分だけの領域を作るものだ。
自分を中心として展開するこの障壁は、内部にいる味方と認識した人物も守護できるという例外はあるものの、基本的には俺1人を守るためのもの。
俺以外のすべてを拒絶する、引きこもるための部屋なのだ。
でも俺はマクラを拒絶するつもりなんかない。ずっと昔から、彼女は俺の側にいてくれている。
「お前の悩みとか、焦りとかに気付いてやれなくてごめん。たぶん、俺はこれからも変わり続けていく気がする。少しずつ、今の環境も悪くないって思い始めてるから」
「っ」
マクラの息を飲む音が聞こえた。
彼女が不機嫌になった根幹部分に触れたのだから、当然かもしれない。
でも、これだけははっきりと伝えなければ。
俺は、恥ずかしいのを我慢して、マクラの方を向いた。
「けど、約束する。俺はお前を一人きりにして、遠くへ行ったりはしない。これから先、どんなに魅力的な人と出会って、親密になっても、お前のことを忘れることなんかないし、ずっと側に置くよ」
スイカのお姉さんに会って、マクラが機嫌を悪くしたのも、もしかしたら彼女と親密になって自分のことを捨ててしまうのではないか? と恐れたからなのかもしれない。
俺は、そんなことはしない。絶対に。
「お前は、俺の従者で、姉さんと同じもう1人の家族なんだから」
「ご、ご主人様ぁ。ぐすっ、ひっく……うわぁあああああああん!」
マクラは、今まで堪えていた分が決壊したように、泣きじゃくる。
俺は仰向けに寝転んだまま、手だけを伸ばしてマクラの髪を撫でた。
少し特殊な関係を持つ俺達2人の兄妹喧嘩は、こうして幕を閉じたのだった。
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