第148話 マクラ、ニートと化す

 その夜。


 


「ただいまー」




 すっかり外が暗くなった頃、クタクタになった俺は家についた。


 いつも授業が終わるなり一目散に帰ってゲームしている俺は、基本夕方には帰っている。


 ある意味、今日のように日が落ちてから帰宅するのは珍しかった。




 リビングに上がるが、姉の姿はない。


 机の上を見ると、「親愛なるリクスちゃんへ♡」と書かれたラブレターが乗っかっていた。


 あれが置かれているのは、大抵姉さんが仕事で帰りが遅くなるときだ。今頃は、王都を走り回って勇者として剣を振るっているのだろう。




 だが、今はいなくて好都合。


 これから、俺はマクラと仲直りしなければならないからだ。


 自分の聖域へやの扉の前まで来たが、そこから一歩を踏み出せない。


 まさか、自分の寝床に入るのに躊躇う日が来るとは思わなかった。


 アイツはきっと今も、ふて寝していることだろう。




 そんな風に思いながら、俺は自室に続く扉を開け――中を見て言葉を失った。


 そこには、マクラがいた。


 ただし、ふて寝しているわけじゃなかった。




 俯せの格好で床に肘を突き、右足で左足の太ももを掻きながらゲームをしているマクラの姿があった。


 しかも、いつもの愛らしい純白のワンピース姿ではなく、下半身は白い太ももが付け根まで丸出しで、ダブダブのTシャツを着ているだけという、超絶ラフな格好。


 おまけに、側にはジュースが入っていたであろう空の瓶が、大量に転がっている始末。


  


 それを目の当たりにした俺は、ただ一言。




「ニートだ……」




 俺の理想とする姿が、そこにはあった。


 ……って、そんなこと今はどうでもいい。




「ただいま、マクラ」


「……」




 無言。


 やはりまだ怒っているのか、何も反応してくれない。


 俺だって別に意地を張り続けるつもりはないから、ここは俺の方から大人の対応をしていくべきだ。




「前は、その……悪かった。マクラの機嫌を損なうことしちゃって」


「………なにが?」




 不意に、マクラはゲームをする手を止めて、俺の方を振り返った。黄金色の瞳が、指すように俺を射貫く。




「なにがって……」


「どうして、私の機嫌を損ねたか、本当にわかってる?」


「ああ、わかってる」




 俺は、こくりと頷いた。


 そのときは本気でわからなかったが、よくよく考えてみるとあの発言は無遠慮だった。


 俺は、至って真面目にマクラの目を見据えて。




「お前が血迷って、スイカをワンピースの胸元に押し込んだとき、分不相応って言ったけど、そういうの気にするお年頃だもんな。悪かった。これからは胸が成長するよう、俺も全力で応えぐはっ!」




 刹那、マクラがノーモーションから強烈な正拳突きを俺の腹に突き立ててきた。




「お、おぐぇ……み、鳩尾に……入った」


「こ、の……」




 鳩尾を押さえて蹲る俺の前で、拳を振り抜いたままの格好でマクラはプルプルと小刻みに震え――カッと目を見開いた。




「なんでこのタイミングで、そういうデリカシーないこと言うのぉおおおおおおおお!」




 その顔は、恥ずかしさと怒りの色で真っ赤になっていて。


 吠えると同時に、マクラは近くにあったものを投げまくってきた。


 彼女の実質的な寝床である枕に加え、その辺に転がっていた漫画雑誌や、あげくの果てには空の瓶まで。




「ちょ! それは本気で洒落にならん!」


「ウルサイ! 私が怒った理由、全然合ってないし! スイカで、あああ、ああいうことする前から、怒ってたでしょうが!」




 自分で思いだして恥ずかしいのか、テンパりながら手当たり次第に物を投げまくってくる。


 それを紙一重で躱していく俺。俺の後方で、ガラス瓶が割れ砕ける音が盛大に響き渡り、額から否応なく冷や汗が吹き出す。




 マクラが自暴自棄になった理由。


 正直、今の今までわからなかった自分が情けない。


 バカで、デリカシーがなくて、いつも勘違いばかりしている。


 たぶん最初に彼女が拗ねてしまった時に、何も気に掛けていなかったから、ここまでこじらせてしまったんだろう。




 彼女が口を聞いてくれなくなったとき――それは確か、前回のラスボスだったスイカのお姉さんと初めて出会ったときだった気がする。


 あのとき、鼻の下を伸ばしていた俺を、『キモ』と一言氷のような声で突き刺してきたから覚えている。




 しかし、


 昔から、マクラはたまに毒舌を吐いていたから、俺はあまり気にしていなかったが――だからこそ気付けた違和感。




 今まで彼女は、ここまで拗ねたり、俺を困らせるようなことはしなかった。


 「ご主人様」と言って笑いながら、いつも俺の後ろをついてくる可愛い妹みたいなもの。


 それが、最近変わりつつある。それは、いつからだっただろうか?




「クソッ。ダメだ、思い出せない!」




 あと少しで思い出せそうなのに、思い出すことができない。


 俺は、焦りと自分自身への苛立ちから、奥歯を噛みしめ――その瞬間。マクラの投げる物へ向ける意識が、ほんの少し途切れた。




 刹那。


 ガンッ! と額に衝撃が始める。


 マクラの投げたガラス瓶が、額に直撃したのだ。




「っ!」




 ぐらつく視界の端で、マクラが驚き、焦っている顔が見える。


 しかし、それも一瞬。床に倒れ伏すと同時に、俺の意識は急速に薄れていった。


 でも一つ、マクラには感謝しなければいけない。今の一撃で、頭の中がクリアになり、彼女が変わりつつある原因を思いだしたからだった。




 マクラが変わりつつある原因。それは――








  




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