第146話 水面下で進行する思惑

「む? いらっしゃい。どこか怪我でもしたのかな」


「……いえ。期末テストの関係で、少し聞きたいことがあったので」




 アンドラスくんは、俺がいたことに少し驚いたような表情をしていたが、すぐにルチル先生の方に向き直った。




「ほぅ? とすると薬学専攻か。答えられる範囲でなら、なんでも答えるぞ」


「ありがとうございます」




 嬉しそうに相槌を打つアンドラスくんを見て、俺は少し同情した。


 むしろ、望んでないのにあれだけ語ったルチル先生が「なんでも答える」と明言したことに、恐怖しか感じない。




 それにしても、彼は薬学Aの専攻だったのか。


 自ら聞きにくる辺り、意識が高いとしか言いようがない。


 いつも一緒にいる他の3人とは違い、わりと人当たりがよくて真面目な生徒なのかもな。




「あ、そうだ。質問に答えるのは構わんが、あっちは今手が離せない。できれば、手伝ってくれると嬉しいのだが」




 このチビ医者、恥も外聞も無く平然と巻き込みやがった。


 そして当然、見た目優良児のアンドラスくんが、保険医のお願いに答えないはずもない。




「わかりました。謹んでお手伝いさせていただきます」




 文句一つ言わず、ルチル先生の手伝いを始めた――そのときだった。


 今日は、ハプニングがよく起こる日らしい。




「きゃっ!」「お、おい! 大丈夫か!?」「血が出てるわ! 保険医を呼んできた方がいいんじゃ」




 そんな会話が、外から聞こえてきた。


 窓には厚手のカーテンがかけられているから、どの辺りで誰が怪我をしたのかはわからないが、言葉の雰囲気的に焦りの色が垣間見える。


 しかし――彼等の声、のだが……俺の気のせいだろうか。




「む。近くで、誰かがあっちの助けを待っているな。あっちの高感度要救助者発見センサーにビビッときたから間違い無い」


「いや、別に俺でもわかりますがね」




 額の前で自身の指をぐるぐると回しながら、テレパシーを受信しているかのような格好で自信満々に言い放つルチル先生に、俺は呆れ半分でツッコミを入れた。




「すまない、雑よ……生徒達」




おい。今、雑用って言おうとしただろ。




「あっちは今から、大事な使命を果たさなくてはならない。だから、それが済むまでここには帰って来られないだろう。本当に残念で心苦しいが、あっちが使命を完遂してくるまでの間、あんた達だけで片付けといてくれ。できれば手伝いたかったんだが、あくまで仕事があるからな。仕方が無い」




 うさんくせぇ。




「というわけで、頼んだぞ!」




 めっちゃ嬉しそうな笑顔で出て行くルチル先生を見送った俺は、ため息をつくことしかできなかった。




――。




「そういえば、こうして2人で話すのは初めてですね」




 二人きりで黙々と作業していると、不意にアンドラスくんが、棚の上を整理しながら話しかけてきた。




「ん? ああ、そうだね」


「リクスくんは、どうして保健室に? 僕と同じで、薬学の質問をしに来たんですか?」


「いいや。俺の専攻は世界史Ⅰだから、違うよ。ここを通るときに大きな物音が聞こえて、中を覗いてみたらルチル先生が薬品の下敷きになって潰れてたから。助けたついでに手伝ってるだけ」




 どちらかというと、手伝わされてると言った方が正しいけどな。




「なるほど。身近にあるトラブルを見逃さない。流石は英雄ですね」


「やめてくれよ、くすぐったい。俺は、別に英雄になりたいわけじゃないんだから」


「そうなんですか? でも、いろいろ活躍しているじゃないですか」


「成り行きでね」




 俺は、苦笑しつつそう答えた。


 


「それでも、十分凄いじゃないですか。僕なんて――おっと」




 不意に、横で作業していたアンドラスくんが、棚に置いてあった瓶の一つを落としてしまった。


 一瞬、……話に夢中で、手元が狂ったんだろう。




「ご、ごめん。とってくれる?」


「おう」




 俺は身をかがめ、床に転がった瓶を拾い上げた。




「はいよ」


「ありがとう」




 アンドラスくんは、俺の方をわざわざ振り返って薬の瓶を受け取った。


 俺の左側に立っているから、振り返らず右手で受け取ればいいのに、わざわざ左手で受け取ったのだ。右手は、なぜかポケットに入れられている。


 そのちょっとした違和感に突っ込む間もなく、「あともう少しだから、頑張ろうか」というアンドラスくんの言葉に促され、片付けのラストスパートにかかった。




――。




 散らばった薬品類が、完全に片付いた頃。




「ふぃー。まったく、なんだったんだ。。神隠しか、それとも単なる嫌がらせか……」




 額の汗を拭いながら、ルチル先生が戻ってきた。


 どこか不満げな表情をしていたが、綺麗に片付いているのを見てとたんに目を輝かせる。




「なんと! 片付けが済んでいる!」




 ルチル先生はオレ達の方に駆け寄ると、「ご苦労だったな! あっはっは」と高笑いしながら、バシバシと背中を叩いてきた。




「いやぁ、お陰で薬品類がすべて元通り……ん?」




 そのとき、ルチル先生は眉根をよせ、棚の上をじっと見つめた。




「どうしたんですか?」


「いや。薬品が一個足りなくてな」


「え。それって、なくなっちゃまずい薬ですか?」


「いや。ないのは「快腸の薬」だから、危険性が高いわけではない。だが、面倒なことになったな」




 ルチル先生は、初めて医師らしい真面目な表情を浮かべる。


 薬品の紛失は、他の生徒達の治療に影響するし、誰かがふざけて飲んでしまうかもしれない。


 人の命を預かる以上、薬品の管理は大事なのだと、こんな威厳ゼロの医者でもわかっているのだろう――




「本当に困った。薬品の紛失分は、あっちの給料から補填される。つまり、今月の給料が……減る!」


「そういう問題かよ」




 俺は思わず突っ込んでしまった。


 確かに給料が減るのは死活問題だけども……


 俺はもう、この先生の相手をするのに疲れてしまった。一刻も早く帰りたかったのだが、その願いは叶わない。




 このあと、質問しに来たアンドラスくんに巻き込まれ、俺も薬学の講義を丸一時間受けることになったのだった。


 ちなみに、紛失した「快腸の薬」は、あとで先生がベッドの下などを探しておくということで、ひとまず保留になったのである。

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