第131話 黒い翼

《三人称視点》




「はぁ……はぁ……! ここまで来れば!」




 遙か上空まで昇ったエリスは、地上を振り返る。


 ここは上空5000メートルの高空。


 雲一つ無い晴天の今日はわかりにくいが、雲が出ている日であれば、真下に雲が見えるくらいの高さだ。




 遙か彼方には、メルファント帝国の様子が見て取れる。


 南側に広がる海や、ラマンダルス王国との国境にまたがっている山脈まで、はっきりと全容が見て取れた。




 ここまでくれば、遠距離狙撃魔法など届かない。


 また、飛行魔法で飛んで来ることも難しい。


 飛行魔法は、重力を操作し、浮力を操作し、風魔法も使い、なおかつ空中で姿勢をとることのできる高い魔法操作能力がなければ為しえない“超級魔法”に分類される。




 それだけ、飛行魔法というのは難易度が高いのである。


 無論、あのリクスならば余裕でやりかねないが、どのみちエリスに追いつくことはできない。


 現在進行形で、飛行魔法より速い速度で逃亡しているからだ。




「まさか、保険の保険を使うことになるなんて……」




 エリスは、忌々しげに吐き捨てる。


 万が一撤退することになった際、魔力を消費しきっていて撤退できない。そんな事態を想定して、予め帰還ポイントを設定しておき、有事の際に最も安全なルートを通って自動で送迎してくれる魔道具を持ってきていたのだ。




 念には念を。


 その用心深さが、戦闘能力の高くないエリスを、今まで生かしてきた強みである。


 


「忌々しい。計画の全てがめちゃくちゃじゃない! もうあの方の元に戻ることは許されない。どこかに身を潜めて力を回復させ、何としてもこの失態を取り戻さなければ!」




 今回協力をとりつけていた、組織の息がかかった研究機関はだめだ。


 少し前から、連絡がぱったり途絶えてしまった。一体なにが起きたのか、詳細はわからないが……心当たりならある。




「王国には、あの勇者が残っていたわね……!」




 炎を統べし凪の勇者、エルザ=サーマル。


 それに、騎士団長のラクロス=カミザールもいたか。


 信じたくはないが、彼等に見つかって粛正されたというパターンも想定しておかなければならない。




「でも、まだよ。まだ私は生きている! このままでは終わらせない! あの忌々しい姉弟を始末して、我が主が世界の覇者に――」


 


 そう決意を固めた、そのときだった。


 絶望の羽音は、音もなく忍び寄る。




「……ん、あれは?」




 風を切って上空を進むエリスの視界に、黒い点が映った。


 その点は、みるみる大きくなる。


 地上から高速で追いすがるそれが、人だと悟るのに数秒もかからなかった。




「バカな! 追っ手ですって!? 緊急帰還の魔道具の飛翔速度に、追いつけるはずが……!」




 そもそも、この魔道具は、逃亡するのに最適な場所として空を選んでいる。


 その魔道具の予測が外れること自体、ありえないことだった。


 しかし、エリスの意識は別の場所にあった。




「あれは、リクス=サーマル! いや、それよりも……なんだソレは! その背中から生えた、使!!」




 追いすがるリクスの背からは、二対四枚の黒い翼が生えていた。


 その翼は、禍々しいほど荘厳に輝き、力強く羽ばたく。


 まるで、地に落とされた天使が、もう一度天を目指すかのようなその光景は、エリスに恐怖を植え付けた。




 飛翔する速度は、音速を優に超えている。


 羽ばたく翼から漆黒の羽がハラハラと舞い、青空を穢しながら。


 人の運命を縛り付けた愚か者を断罪すべく、肉薄する。




「くっ……! おのれ、おのれぇええええええええ! たかが十数年しか生きていない小僧ごときが、我等が王の野望を阻むナァアアアアアアアアッ!!」




 エリスは我を忘れ、迫り来るリクスへ吠える。


 残った左手でナイフを構え、リクスを迎え撃つ。


 対するリクスは、「知るかよ」と一言告げただけだった。




 その瞬間、リクスの持つ二本の剣と、エリスのナイフが交錯した。


 瞬間。




 ドパッ! と、エリスの身体から血華が舞った。


 同時に、ナイフと帰還の魔道具が粉々に砕け散る。




「ガッ……」




 一瞬にして意識を手放したエリスの身体が、重力に従って真っ逆さまに落ちていく。




「ふぅ。ようやく終わりかな……」




 上空に留まったまま、リクスは落ちていくエリスを見据える。




 ――その日。


 太陽を背にする黒い天使の影を見たと、周辺地域で大騒ぎになったのだが……それはまた別の話だ。

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