第126話 シエンの覚悟

 普段、絶対に口にしない挑発。


 別に、シエンの前で格好付けたかったとか、そんなことはない。


 ほんとだぞ? ほんとだからな?


 


 しかし、怒っているのは事実だった。


 


「ふふ、ふふふ……」




 エリスは、不意に笑い出す。


 昏く、深淵から響くような声で。




「あっはははははは! 相応の報いですって? それはこちらの台詞だ小僧。組織の崇高な理念もわからぬバカが舐めた口を聞くな!」




 エリスは犬歯をむき出しにして吠える。


 


「だから……こちらも全力でいかせて貰おうか。最早手段を選んでいられる状況でもなくなったのでな」




 エリスはにやりと不気味に嗤う。


 その表情は、彼女の美貌と相まって、鋭さを湛えていた。




「借り物の力に頼るというのは無粋だけれど、悪く思わないでね。ライオンはウサギを狩るために全力を出すものなのだから」




 そう言って、エリスは胸の谷間から小瓶を取り出した。


 その中に入っている、赤い丸薬を、口の中に放り込む。




「あれは……」




 思わず眉根をよせた瞬間、エリスの纏うオーラが変わった。


 濃密だった魔力が、一気に枷を解き放たれたように暴風となって荒れ狂う。




 俺は、この現象を知っている。


 バルダが使っていた、《力増幅パワーライズ》の薬だ。


 世間一般では流通が禁止されているそれを、惜しみなく使うエリス。




 ただでさえ強大な魔力がはちきれんばかりに増幅され、全身に負荷がかかっているのか、血管が浮き出ている。




「ハハハハ、アッハハハハハハハッ! 凄い……これなら!」




 エリスは、自分の手を見つつ歓喜に打ち震え、哄笑する。


 彼女の変貌を見た観客達は、今度こそ我先にと会場の外へ逃げ出した。


 それで正解だ。今回は、生き残れる保証はないのだから。




「こりゃマズいな」




 俺は、思わず冷や汗を流す。


 敵組織の最高幹部が、薬によって強化されている。


 詳しくは知らないが、姉さんでさえ本調子で無かったとは言え、エリスと同格の最高幹部相手に苦戦を強いられたという。




 今回は、こちらも満身創痍。


 新たな力を得たアドバンテージも、エリスの超強化によって失われた。


 若干、こちらに分が悪いか……?




「まあ、いいか。そんなことは」




 俺は、弱気になっていた自分に気付いて自嘲気味に吐き捨てる。


 そうだ。勝てるか勝てないかなど、どうでもいい。


 俺は、シエンを傷つけたコイツが許せなくて、挑発したのだ。




 今更悔いなど無い。


 


「下がってて、シエン。あとは俺が……」


「ダメ」




 シエンを引きはがそうと一歩前に出たが、シエンは服の裾を掴んだまま離さなかった。




「? どうした?」


「僕も戦う」




 俺は、思わず目を見開いた。




「え、だって……こういう世界から切り離されたくて、今まで頑張ってきたんじゃないの?」




 現に、シエンは今も少し震えている。


 が、彼女はしっかりと二本の脚で立っていた。


 その眼光は、今までのように虚ろではなく、しっかりとした意志を感じられる。




「それは、そう。でも、そんな僕のちっぽけな願いを、命がけで叶えてくれたリクスに、恩返しがしたい。それくらいしなきゃ、僕はこの先、胸を張って人生を歩めない」


「そうか……聞くまでもないが、覚悟はできてるんだな?」


「うん」


「お前の中に、もう《光天使剣ウリエル》は残ってないぞ?」


「でも、まだ《傲慢魔剣ルシファー》がある」


「上等だ」




 俺は、恐怖をはねのけるように笑う。


 


「それじゃあ、タッグマッチと行くか。頼りにしてるぞ」


「うん、任せて」




 俺とシエンは、二人でエリスの前に立つ。


 その姿に、満足そうに艶然とした笑みを浮かべたエリスは、次の瞬間、逆巻く風邪を伴って突進を開始した。

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