第119話 《道化師》の思惑
《三人称視点》
――その頃。
観客席はざわついていた。
当初、過去類を見ないハイレベルな戦いに、会場中が熱気と歓声に包まれていたのだが、今は違う。
その理由は、突然会場の中心で、リクスとシエンの攻防が止まったと思ったら、なぜかシエンが泣き出したからだ。
リクスが酷いことを言って、シエンを泣かせた――ともとれなくないが、その割にはシエンに、リクスを恨むような感情の色がない。
リクスもリクスで、シエンを貶めるために心ないことを言っているというわけでもなさそうだった。
だから、不自然なのだ。
会話が観客席まで届かないだけに、必然疑問が渦巻いていた。
「どうしたんだ?」「何かあったのかしら」「心理戦……というわけでもなさそうだな」「速く、今までのような熱いバトルを再開してくれ!」
そういった声が観客から上がる中で。
「ちっ、余計なことを……」
1人、忌々しげに吐き捨てる声があった。
その声は、観客のざわめきに掻き消され、誰も気に留めない。
声の主は、客席からおもむろに立ち上がると、観客用出入り口の方へ向かった。
観客用出入り口に突くと、声の主は誰もいないはずの壁際を見て「首尾はどう?」と呟いた。
「データの採取は87%完了しましたよ、エリス様」
そんな声が聞こえて、誰もいないはずの壁際から、筋骨隆々で眼光の鋭い、初老の男の姿が現れた。
その男の手元には、なにやら不思議な機械が置かれている。
今の今まで、認識阻害の魔法で目立たない場所に隠れていた、《神命の理》の構成員である。
シエンとリクスの戦いから、専用の機械でシエンのデータを解析していたのだった。
「そう。あの坊や、シエンの力を限界まで引き出すコマとしてだけは、優秀なのね」
その女――《神命の理》の最高幹部、《
シエンとリクスの戦いのデータの採取は上々。
リクスが想定以上に強かったお陰で、シエンの持つ力を限界まで引き出してくれている。
これだけのサンプルがあれば、《魔剣》と《聖剣》のデータを組み込んだ最強の兵隊を量産するという彼女の計画も、一気に最終段階へ進めるだろう。
しかし――ここにきて、問題が発生した。
そう、リクスが想定以上に強かったことだ。
だから、データの採取が順調にいったとも言えるが、だからこそシエンがリクスを仕留めきれないでいるのだ。
あまつさえ、シエンはリクスに心を開きかけている。
この戦いで優勝する意味というものを、見失いかけている。
そうなれば、彼女は敗北するかもしれない。賞金をゲットできなければ、協力者となったシエンの父から、治療費という名目の研究費を巻き上げることもできない。
「まいったわね。事を荒立てるわけには、いかないのだけれど」
「せっかく大会に侵入できたのですし、保管庫から優勝者用の賞金を奪って逃げてもよかったのでは?」
「それは最終手段よ。今、我等の組織は疲弊している。足が着くような真似は、極力避けたいの」
部下の男の提案を、エリスは即座に否定する。
それに、彼女を治療という名目でこちらに引き込むこともできるのだ。一度、こちらのテリトリーに入れてしまえば、どうとでもできる。
しかし、ここで無理矢理捕縛に動けば、多大なる犠牲を払うことになるだろう。
《聖剣》と《魔剣》を操るバケモノ相手に正面から戦うのは愚策もいいところである。
(とはいえ、その可能性も考慮しているから、あの御方は私にこれを持たせたのでしょうけど)
エリスは、豊満な胸の谷間からあるものを取り出す。
それは、赤黒い錠剤が入った小瓶だった。
(でも、これは本当に打つ手がなくなったときの最後の賭けね。今は、手持ちのコマで事態を好転させましょう)
シエンはそう自分に言い聞かせると、部下の男の方を向いた。
「データの採取に伴い、《
「二つの同調指数に関しては100%解析済みです。ただし、二つが魂の中で複雑に絡み合っているため、個々の固有波長までは……」
「それは別に構わないわ。データを逆流させて、シエンの《聖剣》と《魔剣》の同調指数に干渉しなさい」
「それでは、意図的に暴走を引き起こす……と? 可能なのですか? 人間の力で、人智を越えた権能を狂わせることなんて」
「不可能よ」
エリスはそう言い切った。
眉をひそめる部下に対し、「ただ……」と言葉を続ける。
「それはあくまで、《聖剣》や《魔剣》の力が魂にしっかりと根付いて、本人のものとして扱われている場合。だから、勇者エルザの《
「なるほど。その暴走でシエンが勝てば、計画も想定通りということですか」
「そういうことよ。ラマンダルス王国の王都にある一派の研究機関に伝えなさい。予定通り、大会が終わったら彼女を連れてそちらへ向かうと」
「御意のままに」
恭しく答える部下に、満足そうに頷いたエリスは、データを採取した機械へ手を伸ばす。
「さて……せいぜい、頑張って勝利してくださいな」
艶然と微笑んだ彼女は、データパルスを、全開で逆流させた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます