第118話 英雄らしくない英雄
《三人称視点》
「……は」
シエンは、思わず呆けた声を上げてしまった。
くだらない?
今、目の前にいる相手はそう言ったのか?
ピシリ、と。
彼女の心の中で、何かに亀裂が入る。
「何が……」
シエンは、両手に携えた剣を、砕けんばかりに握りしめ、地を蹴ってリクスに迫る。
心を突き動かす、得体の知れない心のざわめきのままに。
そう。久しく忘れていた激情が、彼女の心の中で渦を巻いていたのだ。
「何が……」
シエンは、眠たげな目を見開いてリクスに食って掛かる。
咄嗟に剣を構えたリクスは、迫るシエンを真っ向から受け止めた。
「何が、くだらないの!!」
至近距離で睨み合いながら、シエンは吠える。
自分の願いと、覚悟を、「くだらない」と一笑に付した目の前の男が許せないから。
「どうせ、僕がお金を得るためだと言ったから、それに対して言っているんでしょ! そんなちっぽけな欲望と、僕の覚悟を一緒にするな!!」
賞金を狙っているのは、シエンがとっくに諦めてしまった夢を、未だ追い求めてくれる両親のためだ。
そんなシエンの思いを踏みにじるのは、両親の行動をも侮辱することに他ならない。
だから、絶対に許せない。
目の前の男は、一体何様のつもりなんだ。
鋭い剣幕で、リクスに迫るシエン。
しかし、彼女の逆鱗に触れたことを自覚してなお、リクスは冷めた表情をしていた。
「覚悟って何さ」
「今言った! 僕の、両親の夢を叶える覚悟だ! そのためなら、大嫌いな自分の運命とも向きあってみせる!」
シエンは、勢いのままに両手の剣を振り抜いた。
拮抗していた力が一瞬で崩され、リクスは靴底をすり減らしてステージ上を後退する。
それに追いすがり、激しい剣撃を繰り出しながら、シエンが叫ぶ。数年ぶりに生まれた、心の昂ぶりのままに。
「だから、たとえ剣も魔法も戦いも、憎らしいほどに嫌いだとしても、僕は止まれない! 両親の夢を叶えるために、ここに立っているんだ!」
だから、自分の邪魔はするなと。
剣戟を繰り返しながら、シエンは訴えかける。
「ふ~ん、そうか」
リクスは、一瞬納得したように首肯し、そしておもむろに告げた。
「ずっと気になってた。その覚悟の中に、君自身の夢はあるの?」
「……は」
シエンの思考が、一瞬空白になった。
剣戟がわずかに途切れ、隙を見せそうになったことで慌てて持ち直す。
けれど、激情で染まっていた彼女の心には、困惑の色が芽生えていた。
「それ、は……僕の両親が、お金を得て、僕の運命を――」
「それは両親の願いだ。君自身の夢は? 欲望は? 少なくとも、戦いなんかとは無縁の世界に生きたいって、そう叫んでいるように聞こえるんだけどな」
「ッ!」
核心を突かれ、シエンは今度こそ動きを止めてしまう。
決定的な隙が生まれる。
しかし、リクスはそれを突くことはしなかった。あくまで、彼女に向きあうために、剣撃を止めた。
「でも、僕は……僕の持った力は特別で、こうしなきゃ。能力のあるものは、それを行使しなきゃいけない。そうみんなが望んだから」
「望んだのはみんなじゃないか」
「そうだよ! でも、誰もが僕の運命に羨ましそうな視線を向けるから、僕の気持ちなんて、この世界で受け入れられなくて……僕の夢は、捨てざるを得なかったんだ」
シエンの瞳から、涙が溢れ出す。
水晶のように儚く脆い雫は、彼女のきめ細やかな頬を伝って、乾いたステージに吸い込まれていく。
彼女は、心が摩耗して諦めていた夢を再び思いだしていた。
それは、偶然ではない。
リクスの言葉によって心が大きく波打ったことで、久しく忘れていた感情の色を取り戻したからだった。
「だから、それがくだらないって言ったんだよ」
「え?」
「夢を捨てるとか、みんながそう望んだとか、ばかばかしい。好きなことすりゃいいじゃん。俺だって、《魔剣》を持って生まれたけど、将来の夢は引き篭もりの穀潰しだし。大体、最近まで学校にも通ってなかったからな」
「え……じゃあ、何をしてたの?」
「ふふ~ん。偉大なる我が姉の臑をかじって生きてました!!」
「な、なんでそんな堂々としてるのかな」
シエンは、呆れて苦笑する。
そう、僅かにだが口角を歪めて笑ったのだ。まるで、彼女の心を戒める鎖が解けていくように。
彼の空気を読まない、バカらしい発言が……とっくに諦めてしまった彼女の心の扉を少しばかり開いたのだ。
「まあ、学校通い始めてからもしょっちゅう遅刻はするし、居眠りはするし、正直こんな大それた力を貰ったヤツのすることとしては異端なんだろうけどさ。俺、別に英雄になんてなりたくないし。てか、なれないし。だから好きに生きることにしてるんだ」
端から見たら、呆れられる言葉。
それでも、今のシエンにはそれが響いた。何より、ただ幸せに暮らしたいだけだと。
そんなちっぽけな理想を奪われた彼女だから、誰よりも英雄らしくない英雄に救われるのだ。
でも、これで終わりじゃない。
「ありがとう。でも、ごめん」
「?」
きょとんと首を傾げるリクスの前で、シエンは諦めたように乾いた笑いを浮かべて、言った。
「僕にはもう、時間がないんだ。僕は、僕の身体を蝕む呪いからは逃れられない。たとえ勇者でも救えない呪いが、僕には刻まれているから」
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