第112話 力の対価
《三人称視点》
「もうすぐ、出番」
少女は1人、割り当てられた控え室で呟く。
氷のように冷たい紫炎色の瞳を細め、彼女はため息をついた。
――この大会が最後の希望だった。
もっとも、彼女にとっての希望はとっくに潰えていたのだが。
――。
――彼女は、貧乏な平民の家に生まれた。
この時代、平民というのはそれだけで肩身が狭い。徹底した身分制の貴族社会における身分差というのは、社会常識として根付いていたからだ。
けれど、シエンにとってそれは些末な問題だった。
幸せの定義は人によって違う。
お金や命令権だけを生まれながらに所持し、それを振りかざすだけの人生は幸せだろうか?
確かに、平民の上に立ち、虐げられることのない生活を送ることはある意味幸せなのだろう。
それでも上位貴族の顔色を伺わねばならないし、上位貴族は下位の貴族達以上の権威を持つ分、責任も付きまとう。
それで、権力だけを誇示したところで虚しいだけだ。
だから、シエンは自我がはっきりとしない幼い頃でも、自分が幸せだと思っていた。
平民であっても、両親の愛情が注がれていれば、誰だってそう思う。
シエンは愛されていることを自覚していた。
異変が起きたのは、三歳になったころだった。
自我と思考がはっきりと確立したと同時、彼女は胸の中にある膨大なエネルギーに気付いた。
それこそが、聖剣 《
世界でもほんの一部の、天に選ばれた人間にしか発言しない力。
その超常を二種類も宿して生まれてきた、祝福に満ちた女の子。
その信じられないような天運に、シエンも両親も感謝した。
けれど――人の身にあまる力には、義性が付きまとう。
そもそも、何の力も無い一般人が魔剣や聖剣に選ばれることはない。
魂の輝きが弱い脆弱な一般人にその力を宿しても、自我が摩耗するか、力に喰われるか、いずれにせよ崩壊することは免れないからだ。
シエンもまた、強い魂の輝きを宿していた。
聖剣や魔剣の器としては申し分ないくらい、純粋に輝く魂だった。
けれどそれは、あくまでも一つを宿すならばの話。
どういうわけか、彼女は二つの超常を宿してしまった。
それが、両方聖剣であったり、両方魔剣であったりしたならば、互いの波長を同期させて、魂の中で制御することができただろう。
しかし、聖と魔。光と闇という相反する要素を神域まで高めた二種類が、一つの魂に混在してしまったのがマズかった。
決して相容れない黒と白が、か弱い少女の魂の中で喰らい合い、今も彼女の精神をすり減らしている。
そう遠くない未来、彼女の自我は消え――大きすぎる力によって彼女の肉体は崩壊する。
それは、元々はよく笑う子だった彼女が、いつしか氷のような表情を浮かべるだけになってしまったことからも、明白だった。
彼女も、彼女の両親もそれを愁いた。
ありとあらゆる手を尽くし、なけなしのお金を叩いて、それこそ借金を背負ってまで彼女の身体を喰らう力を除去しようと、国中の病院を回った。
けれど――どこへ行っても、同じ事を言われるだけだった。
『無理だよ。聖剣と魔剣は未だに未知数で、どうやって魂と結合しているかもわからないんだ。引きはがすなんて、とてもとても。というより、それだけの力と才能を持って生まれておいて、たかが寿命にこだわるのは、わしら一般市民に対する冒涜だよ。天に認められたなら、短い生涯でも幸せだと、そう思わないかい?』
――その考えが、世の中の主流だった。
財力を持つものには、義務が伴う。
その考え方が当たり前の時代だからこそ、才能を持って生まれた者はその才能を行使する義務を負うというのが、世の中の常識だった。
むしろ、類い希なる力を持ちながら、鼻をほじりつつゲーム三昧の毎日を送っていたリクスの方が、考えられないくらい異端だったのだ。
だから誰も、少女にとっての幸せは考えない。
恵まれた才能を持ったのだから、たとえ大人になれぬまま死んだとしても、それは幸せだろうと。
だれもが本気でそう思っていた。
故に、シエンは孤独だった。
ただ、当たり前の生活を送って、当たり前に成長して、素敵な彼氏を作って、結婚して、家庭を築いて。
生まれた子どもに名前を付けて、やんちゃな子どもに腹を立てて、子どもの成長を喜んで、成長した子どもが恋人を紹介して、結婚を祝って。孫が出来たことに喜んで。
そして――そんな当たり前の苦労と幸せの果てに、死んでいけたらと。
しかし、そんな彼女の等身大の願いは受け入れられなかった。
それでも――とシエンは物思う。
彼女は全てに見放されていたわけではなかった。
彼女には、彼女の願いを本気で叶えようとしてくれる父と母がいた。だからこそ、彼女はその優しさに絶望してしまうことになる。
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