第90話 複雑怪奇な混浴タイム

「いや、呼び方の問題とかそういうのは今いいでしょ!!」




 テンパって自然と早口になりながら、俺はそう切り込む。


 それから、慌てて両手で視界を遮りつつ叫んだ。




「それより前、前隠して!」


「? 隠してるけど?」




 きょとんとしたようなシエンの声。


 


 ああ、確かに隠してはいる。


 白いタオルを身体に巻き付けて、大事な部分は見えない。


 ただ――白い布地から飛び出す艶めかしい太ももとか、首筋を伝う水滴とか、とにかくエロい。




 かけ湯をしてきたところらしく、細身のボディラインにぴったりと張り付いたタオルから、薄らと肌色が透けていた。




 とにかく、思春期男子にはなかなか堪える格好なのである。


 


「その、いろいろ見えそうというか、見えてるから、というか――」




 しどろもどろと答えるが、また冷静になろうとしていた精神が吹っ飛んだ。


 ちゃぷり、と水を叩く音が聞こえる。


 顔を覆う手の指の隙間から見れば、シエンが俺の隣の浴槽に入ってきた。



「これでいい? 見えない」


「うおう!?」


「? どうかした?」


「いや、あの……ここ、男湯では?」


「うん」




 いや「うん」じゃねぇよ!


 なに、どういうこと!? わかった上で、ここに来てるってこと!?


 だとしたらいろいろと倫理的にアウトなのでは!?




 などとグルグル思考を回転させていると、不意にシエンが呟いた。




「でも、女湯でもある」


「……え?」




 今度は俺がきょとんとしたように彼女の方を向くと、相変わらずの眠たそうな瞳で、斜め左にある、折りたたまれた巨大な屏風のようなものを指さした。




「あれ、男湯と女湯を分けるための敷居。あれが閉じて、完全に二つが分離することもある。でも、今は閉じていない」


「え? てことは、まさか――」




 なんとなく嫌な予感がした。


 そして、そんな俺の思考を読んだように、彼女はこくりと頷いて、




「うん。今は人が少ないから、混浴の時間」


「っ!!??」




 こ、混浴……だとぉ!?


 くっ、道理でなんか露天風呂が広くて、同じ効能の浴槽が二セットずつあるわけだ。


 普段は敷居を閉じて、別々にしているのだろう。


 ちゃんと確認しておけば、こんなことにはならなかったかもしれない。




 いや、しかし――


 ちらりと、俺はシエンの方を見る。




 彼女は、特に気にしていない……らしい。


 まあ、混浴が嫌なら入ってこないだろうし、元々そういうのは気にしないタイプなのかもしれない。


 普通に俺の隣に居座ってるしな。




 ぼんやりと夜空を眺めるシエンは、どこか儚げだ。


 感情の読めない瞳は眠たげに細められている。


 表情筋が固まったように機微を示さない頬と、雪のように白い肌と、小柄な体格も相まって、こうして見ていると何か人形のようだ。




 触れれば溶けて消えてしまいそうな……あの魔剣使いと同一人物とは思えない。




「君は――」


「あなたは、魔剣使いの人?」




 話しかけた瞬間、彼女は口を開いた。視線は空に向いたまま。




「――うん。君と同じ」


「ううん、違う」


「?」




 予想外の回答に、俺は彼女の方を凝視した。




「僕は、魔剣使いなんかじゃない」


「え、だって……」


使、僕も嬉しかったんだけど」




 その瞬間、俺は何か不吉なものを感じた。


 それは、明日対戦するかもしれない相手への、得体の知れない恐怖……ではない。


 もっと曖昧な……そう、例えば。今この瞬間にも、彼女が薄くなって消えてしまいそうな。そんな雰囲気。




 何もかもを諦めて虚無になったような、人として決定的に欠落してしまった“何か”。


 それが、シエンという少女の言葉から放たれていた。




 俺は、なんと言葉を返すべきかわからず、少しの間固まっていたが――やがて、とりあえず社交辞令は言っておこうと思った。




「まあ、明日はお互いがんばろう」


「いい」


「……いい、とは?」


「僕のことは気にしなくて言い。僕は、戦うことにも、全力を出すことにも興味がないから」



でも、と彼女は言葉を切る。

 



「勝つのは僕。優勝しないといけないから」




 彼女は、自分の目的を持っていないように見えた。目の色も、声の色も。


 何もかもが虚無で、鈴のような綺麗な声だけが淡々と喉から発せられている。



 なのに――その中には、一本芯の通った想いが見て取れた。


 


 勝利を望んでいないのに、勝利を望んでいるような、圧倒的な矛盾。


 それがきっと、彼女がこの大会に参加する理由。


 


 それっきり無言となった彼女の隣で、俺は想いを馳せる。


 二人きりの星空の下。


 ともすればロマンチックにも見える光景の中、俺は、シエンという少女が抱える闇の一端を垣間見たのかもしれなかった。


 もっとも、デリカシー皆無な俺には、その理由を探るだけの頭脳がなかったのだが。

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