第84話 糸引く者との接触
観客の歓声を背に、俺は通路へ入る。
AブロックとBブロックで、順番に第一試合をこなすため、次に俺の第二試合が回ってくるのは12試合とお昼休憩の時間が挟まれたあとだ。
次の出番まではたぶん三時間くらいある。
本来なら控え室に戻ってすぐに爆睡したいところなのだが、その間に、やらなくてはいけないことが一つ増えてしまった。
「まいったな」
俺は鞘に収めた剣を半分ほど引き出す。
特に抵抗もなくするりと抜かれた刃は、両刃とも綺麗に溶けていた。
全体的になんだかレイピアみたいな細さになってしまったし、そもそも刃がなくなったから、レイピアとも呼べない。
「また剣をダメにしてしまった……」
ここ最近、ことあるごとに剣を取り替えている気がする。
編入試験での対ブロズ&エナ戦しかり、《神命の理》の
これでは、次々と男を乗り換えるビッ◯みたいじゃないか。
「いっそのこと常に魔剣で戦うか? でもなぁ、あれ使うと反動が来るんだよなぁ。それに、Lv1のスライム相手にSSRのLv99の聖剣で相手するようなもんだし」
あんなの使ったら、手加減してもうっかり殺してしまうかもしれない。
相手を舐めているとかそういうことではない。冗談でもなんでもなく、ただの素人が手にしたって、刃の切っ先が当たれば鍛え抜かれた歴戦の猛者でさえ即死しかねない。魔剣とはそういうものなのだ。
「結局、安物の量産剣を使い潰す方が安上がりか……」
そこそこ性能の良い剣を買うという選択肢もあるが、小さい頃姉さんに誕生日でプレゼントされた業物を、訓練の一撃でへし折ってしまい、姉さんに号泣されたというトラウマがある。
結局、安物の剣を使うしかないのだ。
などと堂々巡りの考え事をしながら、俺は剣を調達するべく会場内の売店へ向かった。
壁と天井が、煉瓦の暖かな色で埋めつくされた会場の一階端には、あらゆるお土産を扱う売店がある。
一般客用のアクセサリーや菓子類に加え、選手用に剣や槍なども売っているのだ。
もちろん最上級の業物などは置いていないが、田舎の武具店で「最上の一品」みたいな感じで飾ってあるレベルのものは売っている。
しかし、俺は売店に到着するや否や、結局いつも通り大きなゴミ箱のような入れ物に無造作に刺さっている量産の剣を手に取り。
「これください!」
と売店のおばちゃんに突き出した。
一本3000エーン。一戦で使い潰すにしては、やはり痛い出費である。
使い物にならなくなった剣をおばちゃんに預け、俺は新しい剣を腰にさす。
「うぅ……もういっそのこと魔法だけで戦おうかな。剣は温存して。それでもいいかもなぁ、別に騎士同士の決闘でもないんだし」
俺はブツブツ言いながら、来た道を戻っていく。
と、通路の先。別の通路が合流する場所で、いきなり現れた何かにぶつかった。
だが、それが壁や何かしらのワゴンの類いでないことはすぐにわかった。
ぼにょん。と、柔らかい何かに顔が埋まり、跳ね返るような感触があったからだ。
「あん」
何だ、と思う前に上から女性らしき甘い声が聞こえ、俺はとてつもなく嫌な予感に襲われる。
「!?」
反射的に身体を後ろに引いた俺は、ぶつかったものの正体を見た。
それは――胸。タイトな生地のチュニックを下から押し上げる、大きな胸。
こいつの戦闘力はメロン……いや、もはやスイカクラス!?
『おほん』
急に咳払いをしてきたマクラに、胸元にある爆弾に向いていた意識が無理矢理引きもどされる。
「す、すいませんでした! 前方不注意で」
「こちらこそごめんなさい」
胸にダイレクトアタックされたというのに、嫌な顔一つせず笑顔を向けてくる女性。
俺は、改めて彼女の顔を見た。
茜色をした髪をうなじ辺りでしばり、分厚いメガネのレンズの向こうには理知的な紫色の瞳が揺らいでいる妙齢の女性。
なんというべっぴんさんだろうか。
ウチの学校の教師陣もなかなかだが、彼女の戦闘力はそれ以上……主にこのはち切れんばかりの胸!
『……ご主人様』
「いや、何も思ってませんよ気のせいですはい!」
「? どうしたんです?」
マクラに言い訳したところで、マクラの気配など感じるはずもない目の前の女性が心配そうに顔を覗き込んでくる。
甘い香りが、サラサラの髪から香って、否応なく心臓の鼓動が早くなる。
「い、いえ! なんでもないのでお気になさらず!」
俺はガチガチになった声でそう答える。
女性は、そう、と柔和に微笑んだあと。
「そういえばあなた、一回戦で相手を瞬殺してた子よね。格好良かったわ。私、痺れちゃった」
「そ、そうですか? いやぁ、まだまだですよ。あははー」
「強い人、お姉さんは好きよ」
「そ、それはどうもです」
俺は鼻の下を伸ばしつつ、デレデレと答える。
そんな様子を見ていたマクラが一言、氷点下のような声で『キモ』と言った。
「でも……」
目の前のお姉さんは、一言で区切り、俺の耳元に妖艶な唇を近づけてくる。
「気をつけてね。この大会、とんでもない子が1人紛れ込んでいるから。あなたに、彼女が倒せるかしら」
「?」
どこか、愉悦に浸るような声で俺にそう囁いたあと、女性は顔を離し「それじゃあね」と話を切り上げて歩き出そうとする。
と、立ち去ろうとしていた彼女の動きが止まった。
「あ、そうだ。まだ名前を告げてなかったわよね。私の名前はエリス=ロードフェリス。ただの医者よ。また会いましょう、リクス=サーマルくん」
エリスと名乗った彼女は、俺のフルネームを呼んで、手を振って去って行く。
「なんだったんだ……いや、それより」
俺は、彼女の去って行く背中が見えなくなったあと、ぼそりと呟いた。
「あのお姉さんが、医者……? ぜ、是非とも看て貰いたい」
思わずこぼれてしまった胸の内。
なお、今回の件でしばらくの間マクラが緊急時以外口を効いてくれなかった。
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