第68話 買う喧嘩(Ⅱ)
ぴしゃり。
冷めたスープが一滴、床を叩く。
胸ぐらを掴みに、腰を浮かしていた俺は、そのままゆっくりと立ち上がった。
至近距離でヨウと睨み合う。
「テメェ……気は確かか? 定食代? クリーニング代? 怒るところはもっと別にあるだろ?」
ヨウは、何か呆れたような目で俺を見てきた。
「冗談じゃない。俺は大まじめに怒ってるんだけど」
ぶっちゃけ、嘲られたりしたところで、物的被害は何もない。
腹が減ることもなければ、お金や友達が消えていくこともない。
ただ言葉を聞き流すだけで澄むのだから。
だが――物的被害が出たのなら話は別だ。
「これは、俺の夢のための資金から引いた、大切なお金だ。それを無駄にされて、怒らないわけがないだろ」
「はっ……夢のための資金ね。つーか、大先輩に向かってタメ口ってどーなのよ」
ヨウが苛立ち混じりに言ってくるが、関係ない。
長幼の序とかいう考え方は、俺は好きじゃない。敬う相手を選ぶ権利ぐらい、俺にだってある。
ニート生活のための500エーン+αは痛い出費だ。
ここで引き下がるわけにはいかない。
「一応聞くけど、その様子じゃお金を払う気は無いんだね?」
「ああそうだよ。テメェだって、俺達に選抜枠を譲る気はないんだろうが」
「俺だって、譲れるならとっくに譲ってるけど?」
「……あ?」
ヨウとクレメアの瞳が、僅かに鋭くなる。
「テメェ、俺達をバカにしてるだろ。情けでもかけてるつもりなのか?」
ふざけんな。
深読みしすぎだよ。校長に直談判しにいって、「ロータス勲章」を持った者はシード権を得るという事実に例外がないことを確認してしまった。
あげられるなら、喜んで「ロータス勲章」ごと差し上げていたところだ。
誰が好き好んで、面倒くさい大会なんぞに出なければならないのか。
「まあ、結局俺を嫌うのは勝手だけどさ。今後付きまとわれて定食こぼされるのも迷惑だし……」
俺は小さく息を吐いて、ヨウとクレメアを交互に睨みつけ、淡々と告げた。
「……買うよ、その喧嘩」
「「!!」」
ヨウとクレメアは、目を見開く。
逆恨みで売られた喧嘩ほど、買いたくないものはないけど。俺の平穏を潰そうと言うのなら、容赦はしない。
「へっ……後悔すんなよ」
「せいぜい頑張ってね。後輩くん」
ヨウとクレメアは、挑発するように言ってきた。
うーわ。ここまで見事なやられキャラムーブだけど、大丈夫かなこの人達。
「それで……喧嘩の日時と場所はどうするの?」
「あん? 今すぐに決まってんだろ?」
「はぁ!? 学内決勝大会の間は、出場しない生徒も絶対参加しなきゃいけないはずじゃ……その裏でやるのか?」
「構わねぇだろ。今は昼休みだし……なぁ、校長」
ふと、ヨウは俺の背後に声をかけた。
え、校長……?
「構わんよ」
そのとき、野太い声が響いてきた。
後ろを振り返ると、恰幅のいい男が1人、騒ぎを聞きつけたのかいつの間にか立っていた。
言わずもがな、それは本校の校長であった。
「こ、校長……たかが喧嘩を、あっさり了承するんですか?」
俺は驚いて、校長を問いただす。
が、彼は仏のような笑みのまま、答えた。
「ええ。こうなるであろうことは、最初から予想していたのでな。二日目の日程、昼休み終了後のプログラムに空き時間があるだろう?」
「そう言われれば、あったような……なかったような。よく覚えてませんが」
「あれは、この試合を想定して作られたものだ」
「ふぁっ!?」
想像の斜め上を行く回答に、俺は素っ頓狂な声を上げた。
ヨウやクレメアも、流石に驚いたようで目を大きく見開いている。
「それ、もしこの展開にならなかったら、空き時間はどう埋めてたんですか」
「ふ~む。どうしていただろうな。何分私の趣味は賭け事だからな、外れたときのことなど考えていないのだ。ただ勝利を見据えて挑むのみ! わっはっはっは」
いや、わっはっはっは。じゃねぇよ。
大丈夫かこの校長。
王国最難関の英雄学校の校長はギャンブラーで、(元)副学校長は外道組織の幹部と来たか。
もういっそ、管理職総替えしろよ。
呆れてものも言えなくなっている俺の肩を叩きつつ、満面の笑みで校長は言った。
「ま、頑張り給えよ。学内序列3位、《狂戦士》ヨウ=バーサクと、序列4位、《流星》のクレメア=サテライト。この2人と君が戦うとなれば、さぞ盛り上がるだろう」
「……へ?」
校長先生の言葉に、俺はぽかんと口を開ける。
「学内序列3位と、4位……」
ってことは、もしそんな序列上位の2人を相手に、あっさり勝ってしまった場合。
「周りを幻滅させて退学」などという当初の目標達成は、ただでさえもう不可能に近いというのに、多くの生徒達が俺VS序列上位の勝負を目の当たりにしてしまうから、絶対叶えられなくなるわけで。
「うっそぉおおおおおおおおおお!!??」
今後付きまとわれないように、コテンパンにしてやろうと思っていた俺は、頭を抱えた。
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