第2話 惰眠をむさぼるために

「あぁぁぁぁぁ」




 その日の夜。


 ものの見事に壁がぶち抜かれ、横一列に並ぶ全ての部屋と物理的に繋がった、俺の自室にて。




 俺は、憂鬱な気分のなままに枕に顔を埋めて唸った。




「随分荒れてるね」




 ふと、そんな声が聞こえて俺は枕から顔を離す。


 すると、枕が一瞬光って、中から誰かが飛び出した。


 俺の横に立ったのは、12歳くらいの小柄な少女だった。




 ライトブルーの髪をサイドポニーテールにまとめ、華奢な身体のラインを引き立てる純白のワンピースを着ている。


 黄金色の瞳は闇夜に浮かぶ満月のように、鮮やかで静謐せいひつな輝きを放っていた。




「なんだよマクラ。まだ起きてたのか? この時間はいつも寝てるだろ」


「いつもはね。でも今日は別。ご主人様、いつもなら夜通しゲームしてるのに、今日はもうお布団敷いてるなんてご主人様らしくない。だから心配で起きて来ちゃった。どこか身体の調子悪いの?」


「はは。俺が健康優良児だと逆に心配なのか。俺のことよくわかってるじゃん」


「えっへへ。そうでしょ」




 マクラと呼ばれた少女は、嬉しそうに笑う。


 


 マクラは、俺が昔愛用していた枕に意志のようなものが宿り、そこから偶然生まれた妖精だ。


 枕から生まれたから、そのままマクラである。


 なに、ネーミングセンス? そんなものは生憎持ち合わせていない。




 彼女は妖精というだけあって、人間ではない。


 だから、実体として顕現することもできれば、壁をすり抜けることもできる。


 空だって飛べるし、身体の大きさを妖精ピクシーのように小さくすることだってできる。




 まさしくなんでも有りな、俺の相棒だ。


 普段は俺の枕の中に家を作って暮らしているらしい。


 つまり俺はいつも、マクラの家に寄りかかって寝ているみたいなものなのである。




 美少女の家に頭を乗せて眠りにつく――なんとも煩悩に満ちた夢を見そうな状況で、実はちょっと恥ずかしい。


 もっとも、当の本人は「ご主人様の気配を近くに感じて、落ち着く」と言ってくれているが。




「で、ご主人様は何をそんなに落ち込んでるの?」


「実はさ。姉さんのせいで、明日英雄学校の試験を受けることになったんだ」


「え! ご主人様凄い! 頑張って!」


「お前なぁ……俺の言われたくない言葉ランキング1位の「頑張って」を平然と使うなよ」


「ごめんごめん。でも、ご主人様なら絶対合格できるって。私、ご主人様が強いの知ってるもん!」




 そう言って、マクラはガッツポーズを掲げて見せる。


 俺は文句を言いかけて、口を噤む。その代わりに、はぁと小さくため息をついた。


 なんだろう。


 こんな純粋な目で俺を見てくるマクラに文句を言うのは、気が引けてしまい無理というものだ。




「……わかった。やるだけ頑張ってみるよ」




 俺はそう答え、マクラの頭を撫でる。


 実体化しているマクラの髪はサラサラで、触れる掌がどことなくくすぐったい。




「うん。頑張って」




 マクラは気持ちよさそうに目を細めて、激励してくれた。


 俺は覚悟を決めて、いつもより早い時間から眠りに就いた。




 ――やがて、朝になる。


 普段は明け方に寝落ちして、昼過ぎに起きるという生活を送っているが、今回俺は久々に日付が変わる前に就寝した。




 そのお陰か、窓から差し込む朝日と共に目覚める俺。




「ふぁああ。おはよう、ご主人様」


「……」


「ご主人様?」




 あくびをしながら起きてきたマクラが、寝転がったまま目を見開く俺の顔を覗き込んでくる。




 ――朝。


 今日は、試験。


 今すぐに、英雄学校へ向かう必要がある。




 その事実に気付いた瞬間、俺はガバッと飛び起きた。


  


「嫌だ! 試験行きたくない、休みたいっ!」


「えぇ!? 昨日の覚悟はどこに行ったの!?」


「いや、昨日は行こうと決意したんだよ。でもね、いざ当日の朝になったら心が重いんだよ!」




 直前になって、行きたくないという気持ちが暴れ出す。


 が、我が家には俺の希望わがままを打ち砕く理不尽の権化ねえさんがいるのだ――




「リクスちゃ~ん。そろそろ準備しなさぁい」




 げぇ!?


 姉さんが近づいてくる足音が。


 このままでは、試験を受けることになる。




 かくなる上は!


 俺は、マクラに隠れるよう指示する。




 俺は俺の野望のために、姉さんを迎え撃つ覚悟を決めた。


 持てる能力の粋を尽くして、恥も外聞も無く、引きこもり生活を守るために。




 今、この瞬間。


 俺の「休みたい! 惰眠をむさぼっていたい!」という強い気持ちが、姉さんへの恐怖を凌駕したのだ。

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