第四章 その3

「旭さん。あなたは私を殺害した動機について今もなお、曖昧な供述を続けているそうですね。そのことが原因で検察が期限ギリギリまであなたを拘留することになっているにも関わらず。

 なぜ、そんなことを続けるのか。それはあなたにとって殺害した動機が表立ってほしくないからです。あなたが私を殺害した動機。それは、私がこの日記を読んでいる姿を目撃してしまったから。違いますか?」

「っ!」


 俺の問いかけに対して、旭さんはあからさまに動揺した様子を見せる。


「この日記の内容は金谷郷政太郎どころか、金谷郷家そのものを破滅させかねないものです。ですから、金谷郷家に仕えるあなたにとってこの日記の内容は絶対に秘匿しておかなければならない。そんな日記をあろうことか私が読んでいた。だからあなたは突発的に私を殺害した。

 そして本当の動機を隠したいあなたは私の殺害については認めつつも、動機についてはのらりくらりと曖昧な供述を続けました。そうしたのは、動機について曖昧なままでも、限られた時間の中で警察も検察も次の手続きに進めなければならない。そして最終的には、法廷という場で曖昧な動機が真実として認定される。そう考えていたからじゃないですか。

 旭さん。そろそろ本当のことを話してくれませんか。なぜ私を殺害したのか。私を殺害した時、何があったのか。そのことを証言できるのはあなただけです」


 論すように語り掛けた俺の言葉を聞いた旭さんは強張っていた肩を下ろし、ゆっくりと俺の方に視線を向けた。


「……全て岩井様のおっしゃる通りです」


 そして、旭さんは観念したかのように固く閉ざされていた口を開き始めた。


「全て、とは私が今話したこと全部という意味ですか?」

「そうです。旦那様は五年前、あの殺人鬼と出会い、殺人鬼が持っていたスキルによって人生を狂わされました。常に自分の中にいる殺人鬼と戦い続けることになったのです。それは私には想像もつかない苦悩だったと思います。

 それに旦那様は当主になる以前から、金谷郷家の人間として汚い大人の世界を何度も見ておりました。時には、旦那様ご自身には非がないのに罪の意識を感じてしまうような経験もありました」

「金谷郷政太郎が負の感情を内面に押さえ込んでおくのは既に限界だった、というわけですね」

「その通りです。ですから私は、旦那様の負担を少しでも和らげようと日記を書くことを勧めました。もちろん、その日記は存在すること自体が金谷郷家にとって急所になるような代物で、誰かに読まれる危険性を考えたら最初から書くべきでないことは分かっていました。

 そして、危惧した通りのことが起きました。岩井様が日記を読んでしまったのです。ただの探偵だったならば金を積むなどいくらでもやりようがありました。しかし、岩井様の場合はそうもいきません。口止めをするのが難しい人柄であり、日記の内容から全てを暴き出しかねないお人でしたから」

「知っていたんですね。私が元特犯の刑事であることを」

「ええ。そもそも普通なら探偵に旦那様の警護など、ご依頼しません。ただ、もしも何らかの理由でその必要が出てきた時は、最低限の安全は保障できる方にご依頼するようにしております。元特犯の刑事であり、経歴も申し分のない岩井様はまさに、条件に当てはまるお方でした」

「つまり今回はその何らかの理由が発生したと?」

「はい。元々、あのパーティーでは金谷郷家が保有する警備会社と外部の警備会社が合同で警備にあたる予定でした。しかし、パーティーの数日前になっていきなり外部の警備会社がどうしてもある政治的会合に人員を割かなければならなくなったと頭を下げてきて、人員を削減することになりました」

「それは、金谷郷家に敵対する人物もしくは組織による妨害ですか?」

「おそらくそうです。ただ、そういったことはよくあることでして、慣れておりました。なので、影響が最小限に抑えられるよう対応しました。ですが、どうしても旦那様の警護が手薄になってしまい、手薄になった警備の穴を埋めるために、岩井様に旦那様の警護をご依頼することにしたのです」

「今までのあなたの話をまとめるとこうなります。元特犯である私が日記を読んでいる姿を目撃し、全ての真実を暴くことを恐れてあなたは突発的に私を殺害した。合っていますか?」

「……………………はい」


 今まで俺の問いかけに対してすぐに返答していた旭さんが初めて間を置いてから返答してきた。

 返答した旭さんの表情は、覚悟を決めたようなものだった。


「なるほど。では、もう一つお答えください。私を殺害した時、何があったんですか。いや、こう聞き返すべきでしょう。金谷郷政太郎はなぜ、私と自分の心を入れ替えたのでしょう? あなたに殺される直前の私と自分の心を入れ替えたらどうなるかは十分に理解していたはずです」


 死ぬと分かっていながら金谷郷政太郎はなぜ、俺と自分の心を入れ替えたのか。それは、金谷郷政太郎が残した日記からは推測ことができない。

 さらに俺の記憶もいまだ曖昧な部分が多い。

 だが、旭さんならば何か有益な情報を持っている可能性がある。

 なぜなら旭さんこそが唯一、金谷郷政太郎がスキルを使用した時にその場にいた第三者であり、この世に残っている人間だからだ。


「……岩井様を殴った直後、旦那様が部屋に突然現れてすぐに床に倒れこみました。私は慌てて旦那様に駆け寄ろうとしましたが、その前に殴った岩井様に腕を強く捕まれ、話しかけられました。そして、その口調ですぐに気付きました。旦那様と岩井様の心が入れ替わっていると」

「金谷郷政太郎がスキルを使えるようになっていたことをあなたは知らなかった」

「そうです。あの時まで私は知りませんでした。旦那様が私に負担をかけまいと隠していたからです。ですが、もう隠す必要はないだろうと、旦那様は全てを話してくれました。

 旦那様は、旦那様の心に殺人鬼が宿ってからそう期間が経っていない頃に自分が、自分と人の心を入れ替えるスキルが使えるようになっていたことに気付いたそうです。そして一度だけ誘惑に負けて、殺人鬼が宿る自分の体から他人の体に逃げた経験もあったそうです」

「ですが、私が殺される直前まで金谷郷政太郎は自分の体にいた。殺人鬼と一緒にね」

「それは、旦那様が他人の体に逃げてすぐに自分の体に戻ったからです」

「なぜそのようなことを?」

「スキルを一度使ったことで、旦那様は理解したそうです。自分の体から逃げても、一緒に殺人鬼がついてきてしまうことに」


 やはりそうか。金谷郷政太郎がスキルを使えるようになったのは、あくまでも本来そのスキルを持っている加名盛が同じ体の中に同居しているためだ。

 つまり、金谷郷政太郎は同居している加名盛のスキルを使っているに過ぎず、加名盛のスキルを使っているのだから加名盛もスキルの影響を受けて一緒についてきてしまうということだ。

 今、金谷郷政太郎になっている俺の体に加名盛の意思がなく、俺がスキルを使えないことがそれを証明する根拠にもなるだろう。


「その事実は、旦那様をより絶望させました。ですが、旦那様はそれでも必死に生きてきました。生きて、生きて、生き続けました。……あの日が、来るまでは。

 あの日、旦那様は偶然私が岩井様を殺害する瞬間を目撃しました。そしてすぐに旦那様はスキルを使い、ご自身の心と岩井様の心を入れ替えたのです。なぜこんなことをしたのか、理由を問うた私に、旦那様はこう言いました。自分の中にいる殺人鬼をあの世に連れていく、と」


 それが、金谷郷政太郎の決断だったのか。

 なんと哀しい決断だろうか。せめてもっとマシな、金谷郷政太郎が生きてられるような選択肢を選ばせてあげることはできなかったものか。

 そう、俺は考えてしまう。


「旦那様のその決断に私は言葉を返すことができませんでした。ですが、そんな決断をした旦那様のせめて名誉だけは守ろうと思いました。私にできるのは、それくらいしかありません。だから、この真実は何としても隠し通すと決めました。…………そして、どうやらそれはうまくいったようですね」


 と、今まで俺の問いに対して答えていた旭さんが突如俺に向かって問いかけるように話し返してきた。俺は旭さんの言葉に対して、


「ええ。非常に残念ながら、あなたの言う通りです」


 肯定の言葉を口にした。

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