第四章 その4
「あなたが私を……いや、結果的に金谷郷政太郎を殺した殺人は突発的でお粗末なものでした。しかし、あなたはそんなお粗末な殺人の真実を完璧に隠し通すことに成功しました。つまり、あなたは一種の完全犯罪を成し遂げたんです」
旭さんが起こした殺人は突発的なものであり、お粗末と言えるものであった。
だが、金谷郷政太郎がスキルを使ったという真実に結びつく旭さんの動機が明らかになることはない。
そうなるように旭さんが仕向けたからだ。
「まずあなたは警察に問い詰められ、自分の犯行をすぐに認めました。いや、もしかしたらそうなるように仕向けたというのが正しいかもしれません。警察の捜査ですぐに凶器が見つかりましたから。あなたがすぐに犯行を認めた理由は、あなたが突発的に殺人を犯したという前提で警察に捜査をさせたかったから。そうすれば警察が必要以上に屋敷内を捜索して奥山さんに託した日記が見つかる可能性を抑えられると考えたからです。
さらに警察がその前提で捜査をすれば金谷郷政太郎になってしまった私が、自分こそ被害者岩井猛であり、この殺人にはスキルが関わっている、なんて証言をしてもまともに取り合わなくなると踏んだのでしょう。それは正解でした。容疑者が自供していて物的証拠もある事件に警察はスキル犯罪の可能性を持ち込みたくはありません」
悪しき警察の怠惰。捜査の難易度が格段に上がるスキル犯罪から目を背けたい警察の心理をものの見事に旭さんに使われてしまった形だ。
「まぁ、これについては私もミスを犯しました。自分が元特犯の刑事だからその伝手を使えばどうとでもなると、高を括っていたんです。ですからしばらくは愚直に伝手を頼ることなく警察と話を続けていましたが、それがいけなかった。私はすぐにでも伝手を使うべきでした。なぜなら私が警察と話をしている間に決定的な証拠の一つである岩井猛の死体が焼かれてしまったからです。これで私の身に起きたことを証明するのが困難になりました。
そして金谷郷家は敵が多いですが、裏を返せば恩を売りたい人間も多い。そんな人間が忖度して警察の捜査に圧力をかけ、事件自体は犯人が逮捕されているから警察もその圧力を受け入れて捜査を終わらせようとする。あなたはそこまで見込んでいたはずです。
しかし、それでもあなたはまだ恐れていました。もしかしたらこれだけのことをやっても、スキルの存在を考慮した再捜査が行われるかもしれない。なぜならそれだけ私の元特犯の刑事という肩書は大きいものだから。そう予測していたからです。事実、私はその伝手によって独自に事件の真実を調べることができました。そしてこの日記を手に入れ、あとは私が証言さえすれば、事件の再捜査は間違いなく行われます。
だからあなたは私が証言できないようにある人物を用意したんです。その人物とは、奥山さんです」
奥山さんの名前を耳にした旭さんは驚きもせず、黙って頷いた。
それは、今話した推理が間違っていない何よりの証拠であった。
「そもそも、あなたが金谷郷政太郎として私に接するのは理解できます。真実を知られたくないからです。あなた以外の人間についても、そもそも金谷郷政太郎が嫌われていて距離を置かれていたせいで、金谷郷政太郎になった私に違和感を持っても指摘をしないか、指摘をしたとしても何かの切っ掛けで人が変わった程度にしか捉えていませんでした。
ですが、奥山さんだけは違います。奥山さんはあなたと同じくらいに金谷郷政太郎に近い人間です。すぐに違和感を持つはずです。そのことは金谷郷政太郎が書いた日記からも読み取ることができます。金谷郷政太郎の一人称は『僕』のようですが、私はこういったかしこまった場では自分ことを『私』と呼び、日常生活では『俺』と呼んでいます。さらに私は『奥山さん』と彼女のことを呼んでいますが、金谷郷政太郎は『エイリー』と名前を呼び捨てていました。きっとこれ以外にも多くの違和感を持つような行動を私は繰り返したはずです。しかし、奥山さんは私を金谷郷政太郎として接し続けました」
旭さんが俺を金谷郷政太郎として接するのは理解できる。
だが、奥山さんは違う。奥山さんは本来なら金谷郷政太郎として俺に接することはありえないのだ。
しかし、奥山さんは金谷郷政太郎として俺に接し続けた。
そのことについて俺は当初から違和感を持っていて、長らくその理由は分からなかったが、今なら分かる。
「なぜ、奥山さんは金谷郷政太郎として私に接し続けたのか。彼女と、金谷郷政太郎の関係性を考えれば、推測することはできます。奥山さんは私と接してすぐに今回の事件の真実の一片に気付いたはずです。金谷郷政太郎は死んだ。そして、この事件にはスキルが関わっている。
その気付きが、彼女の行動を決定づけました。金谷郷政太郎の体が無事ならば、金谷郷政太郎はいつか戻ってくるかもしれない。だから、金谷郷政太郎の体は絶対に守らなければならない。奥山さんはそう信じるしかなかったんです。
つまり、奥山さんにとって今の私の体……この金谷郷政太郎の体はクモの糸のような存在なんです。だから万が一にも、金谷郷政太郎になった岩井猛に自殺されては困る。自殺されないよう、大金持ちである金谷郷政太郎として心地よく生活してもらおう。そう考え、奥山さんは金谷郷政太郎として私に接し続けたんでしょう」
振り返ってみれば、この推測の裏付けとなる証言や出来事がある。
遺体安置所に置かれていた俺の死体を前にして奥山さんが泣いていたという犬成の証言。
これは、目の前にいる死者が岩井猛ではなく、自分が仕えてきた主、金谷郷政太郎であると奥山さんが理解していた証拠となる。
谷山の一件で俺が軽傷を負った時、彼女は躊躇なく自分のスキルを使った。
これは、金谷郷政太郎が生き返るまで自分自身を欺き続け、身を挺して金谷郷政太郎の体を守り続ける奥山さんの決意を表す行動だ。
奥山さんの決意は、痛々しいものだが気持ちは分かる。
俺も岩井猛としての体が、岩井猛に戻れる可能性を提示するクモの糸のように思っていたからだ。
しかしそれは同時にクモの糸が切れた時にとてつもないダメージを受ける危険性を持ち合わせてしまう。
「もしも私がこの殺人事件について証言し、再捜査が行われたら間違いなく奥山さんはあることを知ります。金谷郷政太郎はもうこの世に存在しない、生き返る可能性はないという事実です。そうなった時、彼女はどのような選択をするでしょう。
仮にその選択が最悪なものであった時の結末は…………一つの命が消えてしまうかもしれない。つまりこの事件の真実は、人を殺す可能性がある真実なんです」
俺の言葉を聞き、旭さんはどこか満足気にゆっくりと頷いた。
「もちろん、あくまでも可能性があるだけです。最悪の結末は回避されるかもしれない。いや、そもそも私が真実を明らかにすることを優先する可能性だってあります。それはあなたも想定していたことでしょう。しかし、あなたは問題ないと判断した。なぜなら私が奥山さんと一緒にある程度の時間を過ごせば、必ず情が湧いてしまうと踏んだからです。
その通りでした。短い期間ながら、私は彼女の人間性を知りました。そして、彼女に何度も助けられました。元の体に戻れないことを理解し、絶望していた私が今もこうして生きてられるのは間違いなく奥山さんとの出会いがあったからです。彼女は私にとっての恩人です。そんな恩人の命が消えるかもしれないことを私はできません。
この殺人事件の再捜査をするには、私が証言する必要がある。だが、私がその真実を口にすることはできない。だから、この殺人の真実が明らかになることはない。旭さん。あなたは自分の罪をすぐに認め、警察に一定の結論を与え、本当の真実については口をつぐんだ。たったこれだけで、お粗末な殺人を完全犯罪へと変貌させた。その手腕、恐れ入ります」
「……何と、返答するべきなのでしょうか。なかなか適切な答えが思い浮かびませんが、岩井様の推理力には脱帽します」
「大したことではありませんよ。私はあなたの手のひらで転がされていただけですから」
そう。結局、俺が殺されたその時から全て旭さんの思惑通りに事は進んでいたのだ。
ほんのわずかな行動でここまで事件の真実を覆い隠すことに成功した旭さんの手腕に、俺の方こそ脱帽するしかなかった。
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