第四章 ある探偵の死
第四章 その1
留置場の面会室のアクリル板に映る自分の顔を見て、ここ数日で随分とやつれたなと、どこか他人事のように俺は考えていた。
千倉奈央は逮捕された。
警察の取り調べに対しては素直に応じており、千倉奈央の供述通り学校近くの川から新地教諭の死体が発見された。これにより千倉奈央は二人の人間を殺した殺人の罪で起訴されることになる。
ただ彼女がスキラーであり、今回の殺人事件がスキル犯罪で加名盛の殺人事件を模倣したことは世間には伏せられることになった。
千倉奈央と同じように加名盛を崇拝する人間達が今回の事件の詳細を知ったら刺激を受けかねないと、警察が考えたからだ。
事件の詳細を伏せることには、どういうわけか千倉奈央も協力する姿勢を見せているらしく、世間が真実を知ることはないだろう。
もっとも、未成年の高校生が同級生と担任の教師を殺害したという事件の概要は、それだけでも十分に衝撃的なものであり、今なお報道の熱は冷めていない。
そんな千倉奈央の事件については犬成達警察に任せ、俺は留置場の面会室にあるイスに座り、音楽プレイヤーで音楽を聴いていた。
聴いている曲は『私は想森ななか』だ。
今日、俺はある事件と向き合う。
俺が今、面会室にいるのはその事件に関わるキーマンと話をするためだ。
本音を言えば、千倉奈央が起こした事件からまだあまり日が経っておらず、もう少し精神状態がまともな時に向き合いたかったのだが、そうもいかない事情があった。
俺が今日話をする事件のキーマンは既に警察に逮捕され、検察に送検されており、拘留期限の延長も行った上で、検察がそのキーマンを拘留できるリミットは明日までとなっていた。
だから検察は明日までにそのキーマンを起訴するか、不起訴とするのかを決める。
既に身柄が検察に移されているキーマンが今も警察が管轄する留置場にいるのは、数が少ない拘置所の収容人数がひっ迫しているためだ。
だが、検察が起訴を決めた場合、いよいよその身柄は拘置所に移送されるだろう。
そしてそうなった場合、少々困ったことになる。
なぜ困ったことになるのかといえば、俺はある特殊な状況下でキーマンと対面したいと考えており、それを実現させるには警察の管轄である留置場にキーマンがいる必要があるからだ。
さらに今日は日曜日であり、検察の取り調べは行われておらず、キーマンはずっと留置所にいる。
明日が拘留期間最終日のため、検察の取り調べが長時間になると予想されることも考慮すると、俺がキーマンと特殊な状況下で対面できるチャンスは今日しかない。
だから俺は、最悪の精神状態のまま事件に向き合わざるを得なくなってしまったのだ。
そして、待つこと数分。
アクリル板の向こう側にある扉が開き、開いた扉から警察官に連れられたキーマンが入ってきた。
「……旦那様?」
旭一之助。金谷郷家の元執事にして、私立探偵、岩井猛を殺害した犯人。
この人こそが、俺が向き合う事件のキーマンである。
「座れ」
「は、はい」
俺が面会に来たことに驚いた様子の旭さんはしばらくその場に突っ立っていたが警察官に即され、大人しく面会室のイスに座った。
そんな旭さんを見つつ、俺はゆっくりとイヤホンを取り外した。
「では、私はこれで」
警察官が俺に一礼をして面会室から出て行った。当然、普通のことではない。
だが、これこそが俺が望んでいた特殊な状況下での対面なのだ。
「こ、これは……」
「俺が警察に頼んだんだ」
「えっ?」
「金谷郷家の当主として、旭と二人っきりで話したいって言ってな」
「そう……ですか……」
本当は犬成に頼み込んだのだが、俺は金谷郷家の当主としての権力を利用したと嘘をついた。
幸い、旭さんは俺の嘘に違和感を持つことはなく、そのまま受け入れた様子だ。
「いやー、それにしても元気にしてたか? 少し痩せたんじゃないか?」
「ええ、まぁ……」
俺は唐突に金谷郷政太郎に似つかわしくない口調で旭さんに話しかけるが、旭さんは怪しむ様子を見せず返答してきた。
この旭さんの対応ではっきりとした。旭さんはどれほど不審でも俺が金谷郷政太郎でいてほしいのだ。
たとえ俺が、金谷郷政太郎が持つ金や名誉に目がくらんだ悪人だったとしても。
「……何も言わないんですね」
「はっ?」
「金谷郷政太郎とは思えないような口調で話しかけても、あなたは私を金谷郷政太郎として受け入れている」
「な、何をおっしゃっているのですか? 旦那様は、旦那様です」
「いいえ。私は金谷郷政太郎ではありません」
さぁ、ここからが勝負の始まりだ。
こちらの隙は一瞬も見せず、相手の隙は絶対に見逃さない。全身全霊をかけて挑め。
「お久しぶりです。私は私立探偵、岩井猛。あなたに殺された被害者です」
そして俺は勝負のゴングを鳴らす言葉を口にした。
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