第三章 その5
「じゃあ、犬成。あとは任せた」
犬成との話を終え、俺はその場から立ち去ろうとするが、
「ああ、そうだ先輩。忘れない内に」
と言って、犬成が封筒を渡してきた。
「前回依頼を受けた調査の結果です」
封筒の中身は、犬成に俺が依頼した剛三郎個人に関する調査結果と、俺が殺される直前に見た赤いノートの行方に関する調査結果をまとめた資料だった。
「仕事が早いな」
「先輩の頼みですから」
「そうか。……本当、頼りになる後輩だよ。捜査、頑張れよ」
「はい」
そう返事をしたあと、犬成は小走りに病室の前から去っていった。おそらく谷山の病室を警備する警察官を呼びに行ったのだろう。
そんな犬成の姿を目で追っていると、俺の視界にある人物が目に入った。
それは、廊下でじっと佇んでいる奥山さんであった。
もしやと思い、俺は慌てて奥山さんに近づく。
「お疲れ様です、旦那様」
「奥山さん、まさかずっとそこに立っていたの?」
「ええ。ここで待つよう、旦那様にご命令されたので」
どうやら奥山さんは俺が思った通り、俺がここで待つようにと言ってからずっと廊下に立って待っていたようだ。
「えーと……あそこで休憩してから、屋敷に戻ろうか?」
さすがに奥山さんがずっと立っていたことを知って、さっさと戻ろうとは言いにくかったので、俺はナースステーションの近くにある休憩所を指差しながらひと時の休息を提案する。
「かしこまりました」
奥山さんは俺の提案をすぐに了承してくれ、俺と奥山さんは休憩所に移動するのだが、
「旦那様、何か飲み物を買ってきますね」
「そんなことしなくても……行っちゃった」
奥山さんは休憩所にあるイスに座ることなく、呼び止めようとする俺の言葉も無視してそのまま飲み物を買いに行ってしまう。
しかも何を思ったのか、休憩所にある自販機をしばらく見つめた後、そのまま休憩所をあとにしてエレベーターホールに向かってしまった。
おそらく、自販機で売っていた飲み物が気に食わず、下にある売店に買いに行ったのだろう。
「仕方ない。こいつを見て待つか」
奥山さんを休ませるつもりが、働かせてしまったことに頭を抱えたくなったが、過ぎたことは仕方ない。
奥山さんが戻ってくるまでの間、ただ天井の染みを見ているのも、もったいないのでこの時間を有効活用して俺は犬成が渡した調査結果をまとめた資料を読むことにした。
休憩所のイスに座り、まず俺が確認したのは剛三郎に関する資料だった。
剛三郎は以前、奥山さんが証言した通り金谷郷家のことを第一に考え、犯罪行為こそしていないが金谷郷家のためならばどんなこともする人間で人から恨みを買うことは多かったようだ。
もっとも、犯罪行為をしていないという記述はやはり金谷郷家の影響力を考えると、本当のことかはだいぶ怪しい。
まぁ、そんなこともあってか、剛三郎が信頼している人間というのはかなり限られた人間だったらしい。
あとはコーヒーや紅茶は必ず角砂糖を二つにカップを一周半するようにミルクを入れてから飲む、和装を好み人前に出る時や寝る時も常に和装、一番好きな寿司のネタは甘エビ等々、どうやって調べたんだと思うような剛三郎に関するあらゆることがつらつらと書かれていた。
特段、興味が引かれる記載はなかった。
ある一つの情報を除いて。
政界や財界と繋がりが深い金谷郷家だが、政治活動は表立って行っていなかったらしい。
しかしそれはあくまでも表立って。調査の結果、剛三郎はある超党派の議員連盟に所属する政治家に対して裏で援助していたようだ。
その議員連盟の名は『スキラーに対する過度な特権を見直して平等を目指す会』……ごちゃごちゃと丁寧な言葉を並べているが、簡潔に言えば反スキラーの政治家の集まりだ。
根深く残るスキラーへの差別は政治も無関係ではない。政策の一環という建前で政界の反スキラー主義者は今も残っているのだ。
ここで問題となるのは、そんな政治家達に剛三郎が援助していたということ。
これは剛三郎がスキラーへの差別意識を持つ人間であることをうかがわせる情報だ。
そのことは剛三郎の死に対する捜査にも多少の影響を与えていたようだ。
剛三郎の死因は持病の喘息の発作による窒息死であり、浴衣姿で私室のトイレの便座の右横の床にうつ伏せに倒れこんでいる状態で発見されている。
これといった不審な点はないが剛三郎がスキラーへの差別意識を持っていた人物となると話は別だ。
剛三郎に恨みを持つスキラーによる殺人だから剛三郎の死には不審な点がない。
そういった可能性が出てくるのだ。
そのため当時の剛三郎の死に関する捜査にはどうやら特犯の人間も何人か参加して、スキラーによる殺人なのか調べていたようだ。
ただし、そのことは極秘だったらしく、当時の捜査資料には特犯が捜査に参加していたことは一切記録されていない。
特犯が捜査に参加していたことが表立てば、当然その理由についても表立ってしまう可能性がある。
それは剛三郎がスキラーへの差別意識を持っていたことが表立つことを意味しており、それが招く結果は金谷郷家の社会的な死、もしくはそれに準ずる損失だ。
だから特犯が捜査に参加したことは隠した。いや、金谷郷家が圧力をかけて隠したのだろう。
まぁ、特犯が捜査に参加して調べた上で剛三郎の死にスキラーが関わっている可能性は否定されたからこそ、剛三郎の死は病死という形で落ち着いたのだろう。
無論、絶対にスキラーが関わっていないとはスキル犯罪の特性上、言い切れはしないが。
ただ、剛三郎がスキラーへの差別意識を持っていたことはある問題を浮かび上がらせた。
それは、奥山さんだ。
奥山さんはスキラーである。もしも、奥山さんがスキラーであることを剛三郎が知ったらどうなっていただろうか。
さらに奥山さん自身が経験したであろうスキラーであったことによる理不尽な差別。もしも、その差別が剛三郎によるものだったら。
そして、剛三郎による差別に耐えることができず、奥山さんが自身のスキルを使って剛三郎に復讐をしたとしたら…………やめよう。不確かな情報で悪いことを考えるのはよくない。
それに奥山さんはそんなことをする人間ではない。そう、俺は信じている。
……少し、頭の思考を切り替えよう。
そう考えた俺は赤いノートに関する調査結果の資料に視線を移す。
俺は殺害される直前まで、一冊の赤いノートを読んでいた。
その赤いノートは俺が調べた限りでは見つけることができなかった。
そのため警察の捜査で赤いノートが押収されていないか犬成へ調査の依頼をしたわけだが、その結果は空振り。警察では赤いノートの類は押収していなかったようで、現状は行方不明である。
殺害される直前まで俺が読んでいたということは、赤いノートは俺、岩井猛の死体の近くに落ちているべきなのだが、俺の死体の近くに赤いノートは落ちていなかった。
つまり、何者かの意思によって赤いノートは犯行現場から持ち去られた可能性が非常に高く、何者かの意思によって持ち去られたということは、そこには必ず何らかの理由があるはずだ。
そのことは犬成も当然考え付いており、赤いノートについてはかなりしっかりと調べてくれたようで、調査資料には金谷郷家が経営する文房具メーカーが扱う商品のパンフレットが同封されていた。
なるほど。文房具メーカーを所有しているのなら、金谷郷政太郎が普段使っている文房具は自社製品のはずだ、と犬成は推測したのだろう。
俺はさっそくパンフレットを開き、ノート類の商品が記載されているページに目を向ける。
「…………これだ」
多種多様なノートが記載される中、俺は目当ての赤いノートを見つけた。
赤いノートはプレミアム感を重視した高級品のようで、他のノートとは違い丸々一ページを使って商品の説明が記載されていた。
この赤いノートが重要な手がかりになる。
「お待たせしました、旦那……様」
その時、飲み物を買いに行っていた奥山さんが缶コーヒーを持って戻ってきた。
そして、奥山さんの様子がおかしいことに俺はすぐに気付く。
「奥山さん?」
そう呼びかけながら俺は奥山さんの表情をよく見てみる。奥山さんの表情は、何かに動揺しているようなものであった。
動揺する奥山さんの視線は、俺の手元にあるパンフレットに向けられていた。
それが意味するのは、奥山さんは赤いノートを見て動揺したということであり、そうなると奥山さんが行方不明となっている赤いノートの所在を知っている可能性がある、とも言えてきてしまう。
「……コーヒーです」
奥山さんは動揺したことに気付いたのか、誤魔化すかのように缶コーヒーを俺に渡してきた。
「……ありがとう」
俺は大人しく差し出された缶コーヒーを受け取りつつも、ある確信を持った。
奥山さんは間違いなく、赤いノートの所在を知っている。
さて、ここはやはり奥山さんに確認するべきだろう。
そう考えながら、俺が目の前の机の上に缶コーヒーを置いた時、
「先生、急いでください!」
看護師の慌てるような声が耳に入り、俺は思わず声がした方に視線を向けた。
すると廊下を走って移動する医者と看護師の姿が目に入ってきた。
「……まさか!」
様態が急変した患者が出たことはすぐに分かった。
問題なのは、医者と看護師が向かった方向なのだ。
医者と看護師が向かった方向には、谷山の病室がある。
嫌な予感がしてならない俺は慌てて立ち上がり、谷山の病室に向かって駆け出した。
「谷山さん、聞こえますか! 谷山さん!」
「緊急オペの準備を急げ!」
「は、はい!」
そして、開けっ放しの扉から谷山の病室を覗いてみると、けたたましい心電図の音が鳴る中、医者と看護師が慌てながら谷山の治療を行っていた。
「……ざけるな」
そんな光景を見た俺は、どうしようもない怒りが自分の心の奥底から湧き出てきていることに気付く。
「ふざけるな!」
その怒りはあっという間に噴出し、気付けば俺はベッドの上に横たわる谷山に駆け寄り、谷山の襟元を掴んでいた。
「おい、谷山! 死ぬんじゃねぇ!」
「な、何だ君……金谷郷さん?」
いきなり患者である谷山に掴みかかった俺を医者が止めようとするが、俺が金谷郷政太郎であることに気付き、困惑した様子を見せる。
一方、俺は医者のことを気にもせず、言葉を搾り出す。
「お前が死んだら江月さんの思いは……」
江月さんは、谷山を救いたいと本気で思っていた。そしてその願いは彼女が叶えた最後の願いでもある。
そんな彼女が叶えた最後の願いが、こうもあっさりと消え去っていいわけがない。
こんな理不尽なことがあってたまるか。
とても元刑事とは思えないことを俺が思ったその時だった。
谷山が突如、襟元を掴んでいた俺の腕を掴んできた。
その手の力は尋常じゃないほど強く、俺はそれが命のともし火が消えようとしている谷山が出した最後の力のように感じてしまった。
「ありが……とな……」
「えっ?」
手の力とは裏腹な谷山の弱々しいお礼の言葉に俺は戸惑ってしまうが、
「咲弥の……笑顔が……素敵だって、言って、くれて……」
すぐに谷山が続けて口にした言葉を聞き、俺は呆然としてしまう。
「咲弥……すまねぇ……お前の、笑顔に……答えたく、って……足……洗おう……とした、けど…………もう、一度…………お前に…………会いたか――――」
そして、懺悔のような言葉を吐いた後、俺の腕を掴んでいた谷山の手がするりと離れ、病室には心電図の一定した音が鳴り響いた。
「谷山さん? 谷山さん!」
「し、心臓マッサージだ!」
先ほどまで困惑した様子を見せていた医者が看護師の言葉で正気に戻り、俺のことを突き飛ばして谷山に心臓マッサージを施し始める。
そんな光景を、突き飛ばされた衝撃で床にへたり込んでしまった俺は、ただただ呆然と見ていることしかできなかった。
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