第三章 その4
病室に入ってきた犬成の表情は真剣なものであり、何か重大なことが起きたのだと俺はすぐに理解した。
「ちょっと、外で話してもいいですか?」
「分かった」
すぐに俺は犬成の問いかけに返答し、病室の外に出ることにした。
そして廊下に出て周りに他の警察官がいないことを確認してから犬成は口を開いた。
「被疑者を絞り込めました」
「何?」
「被疑者は、江月咲弥の担任教師、新地昇一です」
新地教諭。俺達の担任であり、生徒想いの教師。そう、少なくとも俺は思っている。
「……新地昇一を被疑者とした理由は?」
だから俺は、なぜ新地教諭が被疑者となったのか、その理由をすぐに犬成に問うた。
「被害者、江月咲弥のスカートのポケットにこんなものがありました」
「これは……」
「見覚え、あるみたいですね」
犬成が取り出したのは、見覚えのある色が若干落ちたピンクを中心とした女性向けの切れたミサンガを写した写真であった。
それは、新地教諭が身につけていたミサンガに他ならない。
「このミサンガに付着していたDNAの鑑定結果が先ほど出て、新地昇一のものと一致しました。さらに新地昇一がこのミサンガを常日頃、腕につけていたという証言も取れました。被害者が殺される際に抵抗してミサンガを引きちぎり、ポケットに入れたと考えるのが自然です。ですから捜査本部は、新地昇一を被疑者としてその行方を追うことになりました」
「行方を追う?」
「一昨日、先輩達は警察署で事情聴取を受けてましたよね。その時、江月咲弥を新地昇一が迎えに来て、二人で警察署をあとにしました。実はそれ以降、二人とも行方知れずとなっていまして」
「……そういうことか」
被害者と一緒に行方不明となった人物。当然、警察はその人物の行方を追う。
「もちろん、新地昇一も何かしらの事件に巻き込まれている可能性はありますが、同時に江月咲弥を殺して行方をくらませた可能性もあります」
「だから俺に谷山を聴取させたんだな。新地昇一に繋がる証言を谷山がするかもしれないから」
「そうです。ただ、その前に新地昇一が被疑者である可能性が高い証拠が揃いました」
警察の視点から考えてみれば筋は通っている推理と言えた。
だが、俺からの視点で考えればそれは違う。
犬成を含む警察はある情報を知らない。その情報を知っていれば、少なくとも本当に新地教諭が被疑者なのか、という疑問は生まれるはずだ。
「殺されそうになった江月咲弥が必死に抵抗して新地昇一のミサンガを引きちぎり、自分のポケットに入れた。本当にそれが真実と思っているのか?」
「捜査本部では、そうなっています」
「なら、俺が証言しよう。新地昇一のミサンガは、警察署に江月咲弥を迎えに来た時には既に切れていた」
「本当ですか?」
「ああ。この目で見た」
俺は、新地教諭がミサンガをつけている姿をこの目で見た。
同じく、江月さんと最後に会った時、新地教諭がミサンガをつけていなかった姿も見ていた。
だから江月さんが殺害される時に新地教諭のミサンガを引きちぎるなど、不可能なのである。
「じゃあ、既に切れていたミサンガがなぜ、江月咲弥のスカートのポケットに?」
「それは……」
そしてそうなると犬成が言ったように、なぜ新地教諭の切れたミサンガが江月さんのスカートのポケットに入っていたのかという疑問が出てくる。
だが、その疑問について俺は納得のいく説明ができるかもしれない。
ただ、確証がない。確証を得るためにはもう少し情報が必要になる。
「もう少し、捜査資料を見せてほしい。ミサンガの件を含めて、確認したいことがある」
だから俺は犬成に送ってきた捜査資料以上の情報を見せてくれるように頼むのだが、
「今回の捜査資料は先輩に見せることはできません」
犬成の返答はまったく予想していなかったものだった。
「はぁ? 何でだ?」
「理由は言えません。見せられないものは、見せられません」
「じゃあ何で俺に犯行現場の捜査資料を送ってきた?」
犬成の不可解な返答に対して、俺はすぐにそう犬成に聞き返した。
「ちょっと待ってください。何のことですか?」
ところが、犬成は寝耳に水のような返答をする。
「えっ? 何って、俺に捜査資料を送ってきたのはお前じゃないのか?」
「……今回の事件の現場は、加名盛が引き起こしたあの事件を彷彿とさせるものでした。だから既に警察内部では緘口令がしかれています。そんな状況で先輩に情報を流せるわけがありません。それに、仮に緘口令がしかれていなかったとしても、福栄さんの件のことを考えたら先輩に今回の事件の捜査資料を見せようなんてとてもじゃないが思えません」
言われてみればその通りだ。いくら犬成でも緘口令がしかれた情報を外部の人間に漏らそうとするわけがないし、気が利く後輩として俺にとってトラウマでもある加名盛の事件を思い出させるような捜査資料を見せるはずがない。
つまり、そもそも俺の元に犬成から捜査資料が送られてくること事態がおかしいのだ。
ではなぜ、俺の元に捜査資料は送られてきたのか。
もっとも可能性が高い答えは、ただ一つ。
「犬成。あとで俺に送られてきた捜査資料を渡す。多分、犯人から俺へのプレゼントだ」
犯人が直接俺に送ってきた。それしか、考えられなかった。
「なるほど。……なら、先輩にこれを見てもらうしかないですね」
そう言いながら犬成は数枚の紙と現場の様子が収められた写真を俺に渡してきた。
「今回の事件の、捜査資料の一部になります。念のため手元に持っていたものになりますが、先輩の元に送られてきたという捜査資料は、この内容と同一ですか?」
「……微妙に言葉の語尾とかが違う。あと、記載内容の順番も。それと……写真もだな。撮影の時に使っている備品の配置が違う。断言しよう。俺の元に送られてきた捜査資料は、警察が作成したものじゃない。何者かによって作成されたものだ」
「ただ、細かくは違っていても記載内容は元刑事が見ても違和感があるものではない?」
「……ああ」
そうなのだ。犬成が渡してきた本物の捜査資料と俺に送られてきた捜査資料は細かな違いがあることからわざわざ作った偽物ということになるが、問題なのはその中身。
元刑事である俺が見ても間違ったことは書いてないのだ。
ということは、仮に捜査本部に偽物の捜査資料を置いて他の刑事達が見てもそれが偽物だとは気付かないだろう。
それだけ、偽物の捜査資料は精巧にできているのだ。
これだけ精巧な捜査資料を作るとなると、当然警察としての知識が必要になってくるが、偽物の捜査資料を作ったのは警察関係者かというとそれは違う。
難しい話ではない。今回の殺人事件は加名盛の事件の模倣が疑われるため、先ほど犬成が口にした通り、既に警察内部では緘口令がしかれている。
すなわち、今回の殺人事件の詳細を知る警察関係者は既に限られた人間となっている。
だから偽物の捜査資料を警察関係者が作ったとなると容疑者は絞り込めてしまうため、偽物の捜査資料を作るという行為自体にリスクがあり、可能性は低いと考えられるのだ。
そして、警察関係者ではない場合、偽物の捜査資料を作れるタイミングは限られる。
犯行直後から第一発見者が殺された江月さんの死体を見つけるまでの間だ。しかもそう易々と入手することができない警察の備品を用意している。
さらに細かいところを突っ込めば、通報後警察が捜査を開始して現場写真を撮影した時に日は昇っており、偽物の現場写真も日は昇っていた。
今の時期はまだ日が昇るのは早いが、そうだとしても日が昇ってから第一発見者が殺された江月さんの死体を見つけるまでの間、と考えるとそれはかなりの短い時間だ。
その短い時間で犯人は撮影を行い、用意した備品などを全て片付けて現場をあとにしている。
このことから犯人は警察内部で緘口令がしかれている加名盛の事件に関する情報に精通し、豊富な知識を持ち、それを手早く実行に移すことができて警察の備品を入手することもでき、元刑事が見間違うほどの偽物の捜査資料を作ることが可能な人間だということが分かる。
そんな人間が警察関係者以外にいてたまるか、と言いたくなるところだが、この世にはそれを可能にする人間がいる。
それこそが、スキラーだ。
「事件の知らせを受けてあの犯行現場を見た時、最初こそは青ざめましたけど、すぐにスキラーによる犯行を疑いました」
「……俺も同じさ。最初、犯行現場の写真を見た時、頭が真っ白になった。だが、すぐに犯行現場の違和感に気付いた。それでも、今回の犯行現場は当時の犯行現場をほぼ完璧に再現している。警察組織に身を置き、加名盛の事件に関する情報を知っている人間じゃなきゃ、ここまでの再現は無理だ。スキラーを除けば、だけどな。で、お前らが被疑者として上げた新地昇一はスキラーか?」
そう、犯人がスキラーであるならば、必然的に新地教諭はスキラーということになる。
当然、新地教諭がスキラーかどうかは調べているだろうが、まだその点について警察は確証を得ていないだろう。
苦虫を噛みつぶしたような犬成の表情がその証拠だ。
「一応、新地昇一以外が犯人である可能性も考慮して捜査を継続するよう進言します」
「頼む」
これで、少なくとも捜査は新地教諭以外にも犯人がいる可能性を考慮して進んでくはずだ。
あとは犬成達、警察の力を信じるしかなかった。
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