第三章 その2

 雨粒が打ちつく部屋の窓を見ながら俺は過去の事件を思い出していた。

 いい記憶と言えるものではなく、思い出すだけで気分が悪くなる。

 しかし、気分が悪くなってでも記憶を思い出さなければならない事件が発生した。


 昨日の早朝。2年A組の教室で、惨殺された江月さんの死体が出勤して校内を見回っていた教師によって発見された。


 学校はすぐさま臨時休校となり、俺達生徒は自宅待機となった。

 江月さんの突然の死に、当初こそ俺は動揺してしまったが、時間が経つにつれてどうにか冷静さを取り戻し、なぜ江月さんが殺されたのか、その理由を探るため事件を調べ始めていた。


 だが、若山さん達が起こした事件とは違い今回は殺人事件。そのためか警察のガードがやたらと固く、金谷郷家の名前をちらつかせてもその効力は薄かった。

 さらにどういうわけか今まで協力的だった犬成も今回の殺人事件については口を固く閉ざしていた。

 なぜ犬成がそんな態度になったのか見当もつかなかったが、今朝方、屋敷に届いた荷物によって俺はその理由を知ることになる。


 荷物の送り主は匿名であったが、中身は江月さんが殺された事件の犯行現場についてまとめられた捜査資料だったことから俺はすぐに犬成が送ってきたものだと理解した。


 その捜査資料を見た俺は、息をするのを忘れてしまうほど頭が一瞬真っ白になってしまった。

 加名盛の再来。当時の事件を知る人間が見れば誰もがそう思ってしまうほどの加名盛が犯した殺人の現場の状況と非常に酷似した現場の写真が捜査資料に含まれていたからだ。


 金谷郷家の効力が警察に効かなくなったのも、犬成が協力的ではなくなったのも、当然のことだ。

 加名盛の事件は警察組織の中でも最重要機密に当たる事件であり、犬成としてもこうして匿名で捜査資料を一方的に送りつけてくるのがやっとのことなのだろう。


 しかし、犬成が捜査資料を送ってきてくれたおかげで俺は江月さんの殺人事件について多少なりとも情報を仕入れることができ、当時あの事件を捜査していた刑事だからこそ分かったことが一つある。

 今回の犯行現場は、過去の殺人事件の現場と微妙に細部が異なる違和感があるのだ。

 まるで、加名盛の事件の詳細な資料を見てその犯行現場をほぼ完璧に再現したが、それ故に小さな違いが大きな違いに感じてしまう、そんな違和感だ。


 つまりこの事件の犯人は模倣犯の可能性がある。

 いや、俺の中ではもう犯人は模倣犯であると確信している。

 なぜなら加名盛が起こした事件の被害者は皆、恍惚とした表情をして死んでいたが、江月さんは違ったからだ。


 江月さんの顔には涙を流した跡があった。


「旦那様」


 どれほど無念だったか。


 どれほど怖かったのか。


 写真に写る江月さんの死体からそれを計り知ることはできない。

 あらゆる感情が湧いては消えていく。

 俺は、俺は……この殺人事件の犯人を――――


「旦那様」

「えっ?」


 俺が思考の沼に落ちていると、部屋の外から奥山さんが呼びかけていることに気付く。

 奥山さんは、いつ頃から呼びかけていたのだろうか。まったく気付くことができなかった。


「コーヒーを淹れてまいりました。中に入ってもよろしいでしょうか?」

「あっ、ああ、ごめんなさい。ちょっと待っててください」


 さすがに江月さんの殺人事件の資料をそのままにして奥山さんを部屋に上げる訳にはいかない。

 俺は手早く資料を隠してから奥山さんを部屋に招き入れた。

 そして、さっきまで資料を広げていた机の上に置かれたコーヒーを俺は黙々と飲み始めた。


「一つ、申してもいいでしょうか」


 コーヒーを飲んでいると奥山さんが脈略なく話しかけてきた。


「……どうぞ」

「今の旦那様の表情……私は嫌いです」


 奥山さんのその言葉に、俺は何も返事をすることができなかった。


 ひどい顔ではあるんだろう。

 ただ、鏡を見て自分の顔を確認しようとは思えなかった。

 どう、奥山さんに返事をするのが正解なのだろうか。


 そんなことを考えていると、俺のスマートフォンに着信が入った。

 俺は電話をかけてきた相手を確認し、


「ごめん。少し、外してもらえるかな」

「かしこまりました」


 奥山さんに部屋から出て行くよう即した。

 返事としては最悪の部類だが電話の相手、そしてその相手が話すであろう内容を考えると、そのことを気にしている余裕はなかった。


 俺は、奥山さんが部屋を出たのを確認してからスマートフォンの着信ボタンを押した。


「もしもし」

『どうも先輩』


 電話の相手、犬成はいつもよりも深刻そうな声色であいさつをしてきた。


『用件を先に伝えます。今、そっちにパトカーを向かわせています。それに乗ってください』

「どういうことだ?」

『谷山亮二を聴取してほしいんです』

「……詳しく説明しろ」


 谷山亮二。江月さんの旧友であり、リンチを受けたため現在入院中。

 今、その名が出るということは、間違いなく江月さんの殺人事件が関連しているはずだ。


『江月咲弥がなぜ殺されたのか。今、その理由を調べています。ただ、そういった理由を調べるのに手っ取り早そうな江月咲弥のスマートフォンは犯人が持ち去ったのか現在行方不明です。なので地道に関係者への聴取を進めています。谷山亮二もその対象です。ですが、谷山亮二は警察の聴取に応じようとしない。しかも谷山亮二の容体はあまり芳しいものではなく、無理やり聴取することもできない。そこで、先輩の出番というわけです』

「なぜ、俺の出番なんだ?」

『どうやら谷山亮二は先輩が江月咲弥と一緒にいたことを覚えているようで……』

「俺が、江月さんの友人として接すれば谷山から証言を得ることができるかもしれないと?」

『そういうことです』

「分かった。協力する」


 犬成が話した通りなら、谷山から証言を引き出す適役は俺しかいない。だから俺は犬成に了承の返答をして電話を切った。

 そしてすぐさま支度を済ませ、扉を開けて部屋の外に出ると、


「旦那様」


 目の前に、奥山さんがいた。


「外に出るのならば、私も一緒について行ってよろしいでしょうか?」


 ついて行けないのならば屋敷から出さない。そんな決意を込めた視線で俺を見つめながら、奥山さんが言った。


 犬成との会話は多分、聞かれていないだろう。大きい音なら聞こえてしまうが、部屋の防音はそこまで悪くないし、一応俺も声が廊下に漏れないよう注意しながら話していた。

 それに奥山さんは優秀な使用人だ。主である俺が外してくれと命令したのだから、中の様子を伺おうと聞き耳を立てるわけがない。


 じゃあ、何で俺が外に出ようとしていると奥山さんが理解したのかといえば、きっとそれは奥山さんの感なのだろう。


 奥山さんの申し出は断りたいところだが、奥山さんの決意は揺るがないはずだ。

 抵抗するだけ、時間の無駄か。


「ついて来るだけなら」

「ありがとうございます」


 こうして俺は、奥山さんの同行を許可することにした。

 迎えのパトカーに一名、同乗する人間が増えてしまうがそれくらいは融通が利くだろう。

 そう考えながら、俺は奥山さんと共に屋敷の玄関に向かった。

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