第二章 その7

 翌日の放課後。俺はそそくさと身支度を整えていた。

 今日、学校で何度か江月さんと視線が合うことがあったが、お互いに話しかけることはなかった。

 話したいことは全て、事務所で話すためだ。


「今日も、迎えの車は不要ですか?」


 身支度を整える俺の様子を見ていた奥山さんがそう問うてきた。


「うん。今日も、ちょっと寄るところがあって」

「分かりました。では、私が心配のあまり心ろ「奥山さんが心労で倒れる前には屋敷に戻るから」……なら、問題ありません」


 そろそろ奥山さんと共に過ごすようになって、それなりの期間が経とうとしている。

 だから俺は奥山さんが次に何を言うのかは、ある程度分かるようになっていた。


「じゃあね、奥山さん」


 そして、身支度を整え終え、駆け足で教室の扉に向かった時だった。


「……旦那様」

「えっ?」


 俺は奥山さんに呼ばれ、思わず立ち止まって視線を奥山さんに向けてしまった。

 俺を呼んだ奥山さんの声が、今まで聞いたことがない、か細いものだったからだ。


「ご無理だけは、絶対になさらないでくださいね」


 そう言う奥山さんの表情は心配のあまり不安に押しつぶされそうな危ういものだった。


「……うん」


 奥山さんにどう返事をしていいのか分からず、俺はうなずくことしかできなかった。




「よぉー、金谷郷」


 事務所に到着してほどなくすると、江月さんがやって来た。


「どうも、江月さん。今、お茶淹れるから待ってて」

「おう、悪いな。ふんふんふーん」


 と、言いながら江月さんは機嫌よく鼻歌を歌いながらソファーに座った。


「随分と機嫌がいいね」

「ん? おっ、分かるか?」

「そりゃー、機嫌よく鼻歌を歌ってたら」

「そっか。まぁ、なんつうか、プライベートでかなりいいことがあってな」

「そうなんだ」


 どんないいことがあったのか少し気になるところだが、江月さんが機嫌よく話した内容は曖昧なものだったので、おそらく他人には話しにくいことなのだろうと俺は判断し、それ以上深く聞くことはなかった。

 そして、お茶を淹れた俺は江月さんの前にお茶と複数の人間が写った何枚かの写真を置いた。


「さっそくだけど谷山って人、この写真の中にいるかな?」

「えっ? んー……あっ、こいつだ。それと……この二人とは昔よくつるんでたな」


 江月さんはすぐに写真の中から谷山と、昔遊んでいた友人達を見つけた。

 谷山が写っている写真は、この辺りを縄張りにしている不良グループを写したものだ。


 昨夜、俺は犬成に三つ目のお願いをした。俺は江月さんと話をするためにもどうしても谷山が写った写真が欲しかった。

 だが、いくら犬成でも名前しか分からない人間の写真をすぐに用意することはできない。


 そこで俺は一つの賭けに出た。

 江月さんが証言した谷山の羽振りが良くなった原因と思われる後ろめたい何か。

 それが何なのか俺には一つ、心当たりがあった。


 フェイクスキルを売る売人。ある意味で今、俺や江月さんにもっとも身近な羽振りが良くなるほど儲かりそうな後ろめたい職業だ。


 警察はフェイクスキルを売るグループについて捜査中であったが、ことがことだけに既に疑わしいグループはいくつかピックアップしていた。

 それらのグループに谷山がいるかもしれない。

 そんな可能性に俺は賭けて、犬成経由でグループが写った写真を手に入れたのだ。


「お前、この写真どこで手に入れたんだ?」

「探偵の卵の伝手を使ってな」

「……探偵の卵の伝手って、凄いな」

「まぁね。で、本題なんだけど写真に写っているのはこの辺りを縄張りにしている不良グループで、最近どうも警察がこの不良グループについて捜査をしているらしい」

「どういうことだよ?」

「理由は二つ。一つは、この不良グループに所属している全員の羽振りが急によくなったから。警察が気にするほどにね。もう一つの理由はこの不良グループが反社会組織のメンバーと最近交流しているから」

「反社会って、ヤクザとかか?」

「うん。ただ、不良グループが何か罪を犯していると確証できる証拠は何もない。けど、反社会組織のメンバーと交流していて、羽振りがよくなったとなると、何かしらの犯罪に関わっている可能性は否定できない。だから警察はこの不良グループを捜査しているってわけ」


 さすがに、江月さんに谷山が警察からフェイクスキルを売る売人として疑われていると教えることはできなかった。

 正直に江月さんに伝えた場合、探偵に依頼するほど谷山を心配する彼女がすぐにでも実力行使に出て谷山を助けようとすることが予想できたからだ。


「以上が、今のところ分かっている全て」

「そっか」


 しかし、江月さんは俺の話を聞くとすぐさま立ち上がった。

 どうやら江月さんにとっては今話した内容だけで実力行使に出るには十分過ぎる情報量だったようだ。

 俺は刺激しないよう落ち着いた声で江月さんに話しかける。


「どこに行くの? 不良グループ達の所?」

「……そうだよ」

「不良グループ達に会って、何をしているのか問い詰めるつもり?」

「ああ」

「なら、止めないとね」


 そう言いながら俺は立ち上がって江月さんに近づいた。


「ここまで調べてくれたことには感謝してるけど、邪魔すんならぶっ飛ば「って、言うのが正しいんだろうけどね」……はっ?」


 江月さんは俺を蹴散らかさん勢いで話しかけてくるが、江月さんが喋っている途中で俺はため息まじりに自分でも何を言っているんだろうと思ってしまうようなことを口にする。


 ここで依頼人を止めるのが、きっと探偵として正しいことのはずだ。

 だが、どうしてか江月さんを止める気にはなれなかった。


 なぜ、そう思ったのか。俺はそれを確かめるべく、江月さんに一つ、質問をすることにした。


「江月さんに一つ聞きたい。どうしてそこまで、谷山のことを気にかけるの?」

「……何となく察していると思うけどさ、そういった連中とつるんでた私は昔、荒れた生活をしてたよ」

「だろうね」

「けど、私は変われた。ある人と出会って、人生はやり直せるんだって知ったんだ」


 そう話す江月さんの顔は、どこか希望に満ちているようなものだった。

 誰かは分からないが、その人との出会いでたしかに江月さんは変わったのだろう。


「それで、今の私がいる。けど、亮二やつるんでた連中はまだ昔の私みたいなままだ。だから、教えてやりたいんだ。お前達だって、私みたいに変われるって」


 自分が変われたのだから谷山も変われる。それが、江月さんが谷山を助けたい理由か。


 若い、と思ってしまうのは体が若返っても心は歳をとったままなのが原因だろう。

 当たり前のことだが、他人は結局他人だ。自分がそうだったから他の人もきっとそうなれるというのは必ずしも正解とは言えない考えであり、むしろ悪い結果になることだってある。


 だが、江月さんは信じているのだ。谷山も自分と同じように変われると、純粋に。

 俺はそんな江月さんが、とてもまぶしかった。


「私がさ、お前にこのことを依頼するって決めたのもそういった考えがあったからなんだ」

「どういうこと?」

「金谷郷。お前、変わったよ。あれだけクラスメートを寄せ付けなかったのに、急に人付き合いするようになったじゃん。ちょっと不器用だけど私は今のお前、嫌いじゃないぜ」


 それは違う。江月さんの勘違いだ。金谷郷政太郎が変わったと思うのは当然のことだ。

 なぜなら中身が、金谷郷政太郎から岩井猛になったのだから。


「だから、そんな変わったお前になら私の依頼を相談できるって思ったんだ」

「そうか」


 しかし、俺は江月さんの思いを否定することができなかった。


「江月さん。一緒に行くよ」


 そして俺は、探偵として正しくない選択肢を取ることにした。

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